AppleのMacintoshが誕生して30年が経過した。最初のMacintoshは1984年1月24日に誕生したワケだが、当時としては画期的すぎるMacintoshは、一部のマニア受け製品でしかなかった。
GUIをこの世にもたらした名機
Macintoshは、当時のPCにはない画期的なシステムが導入されていた。それがGUI、つまりグラフィカルユーザーインターフェースである。
マウスというものを利用し、画面に見えるファイルを操作できる仕組みは当時のコンピュータにはない画期的なシステムで、従来機のように操作コマンドを覚えなくてもファイルを扱えるという、使用者の敷居をグッと引き下げるシステムだった。
にも関わらず、世の中はコマンド操作のコンピュータが増え続けたのだが、それはAppleのCMが今のような“使いやすさ”を前面に押し出すようなものではなかったかららしい。
当時のAppleのCMは、端から見るとよく分からないものだったと私は思う。
とりあえず、スティーブ・ジョブズのスピーチとCMが収められた動画を紹介しておく。
前半はほとんどがスピーチで、4分20秒ごろからCM映像が流れる。
ハンマー投げの女性選手がハンマーを投げ、淡々と流れる映像を破壊するというCMで、アメリカではCM1984と呼ばれるぐらい特徴的なCMである。もちろん、意味がよく分からないという意味で特徴的なのである。
ただ、このスピーチを聞くとこのCMにも理解が及ぶ。要するに巨大化するIBMが作ろうとする情報化社会を破壊する、という意味が込められているのだろうと思うのだが、要するにこのCMはそうしたプロパガンダであり、商品説明ではないのではないだろうか。
これでは、消費者にはよく分からない内容としか言いようがない。
だから、GUIを搭載した世界初のパーソナルコンピュータだったとしても、今一つ普及力は弱かったとしか言いようがない。どんなに使いやすくても、それを世に知らしめることができなければ売れるものも売れないのである。
そうした事情もあったからなのか、今のAppleのCMは実に製品主体で、使いやすさを前面に押し出している。こんな事ができます的な、使い方をアピールするCMである。この方がずっと分りやすい。
イノベーションを起こしたのではない
Appleと聞くと、先進的かつ革命的なデバイスを世に送り出し、情報化社会に革命を起こしている企業というイメージがあるかもしれない。
だが、この言葉は半分当たっていて半分外れている。
Appleが開発する製品の大部分は、従来からある製品であり、別に全く新しいデバイスではない。小さな会社が作り出し(小さくない場合もあるが)、画期的だが世間が受け入れていないような製品をApple流に作り替え、そしてユーザーが使いやすいように改良、そして「これを使うとこんな事ができます!」というCMと共に売り出すのである。
iPodはそうやって生まれてた。iPod以前にもMP3プレーヤーは存在していたのだから。
iPadにしても、別段驚く程先進的なデバイスではなかった。ただ、操作感がよく、今まで無理と思えた事が実現できるというような宣伝を行った結果が、あの売れ行きだったのである。
こんな事を言ってはいるが、別に私はAppleを非難しているわけではない。
Appleは、イノベーションを起こせるデバイスを再構築し、一般の人に使いやすいようにして、さらに使い方を伝導する企業なのである。
それがいつの間にか「Apple=革新的」という言葉で説明されている。
それだけ時代がAppleを求めたのかもしれないが、この辺りを勘違いすると、皆これからのAppleに失望してしまうかも知れない。
スティーブ・ジョブズ亡き後のAppleには革新的なものがない。
世間ではそう囁かれているのだから。
私の最初のApple
Appleの米国サイトに「My First Mac」というページが作られた。
あなたが最初に触れたMacは何? という事を公表するサイトだ。残念ながら日本語版のページは作られなかったようだが、その1月25日までの結果が以下である。
1位はMacBook Air(2009年)、2位が初代Macintosh(1984年)、3位がMac mini(2010年)、4位がMacBook Pro(2011年)、5位がMacBook Pro(2012年)のようだ。
意外だったのが、Macintoshという名称で言われていた頃の製品が初代しかない。比較的新しい世代のMacが圧倒的に多いという事だ。2007年発売(日本では2008年)のiPhone発売以降のMacばかりなのである。
つまり、iPhoneからMacに流れたという人が多いと言う事かもしれない。
私の一番最初のMacは、1995年5月発売のPower Macintosh9500/132だった。おそらく、当時最強のMacだったはずだ。
価格は…とんでもなく高額で、この時期に「借金トッシュ」という言葉が生まれたぐらいのものである。PowerPC604を搭載するという、IBMとAppleの共同開発による新世代RISCチップを搭載したもので、ビデオカードが外付け、とにかく拡張スロットが大量に用意されたプロ仕様である。
ビデオカード外付けと聞くと、当たり前のように聞えるかも知れないが、Macの長い歴史の中でビデオカード外付けというのは、このPower Macintosh9500シリーズが最初である。
当時、Windowsは95が発売される直前でまだWindows3.1の画面を見ている人が多い時代だった。
その時、私は初めて漢字Talk(Mac OSの日本語版)を知り、こんな使いやすいOSがあるのかと思ったのも懐かしい思い出である。
FM-Townsもウィンドウを採用したOSだったが、あれはMS-Dosの上にそうしたGUIを覆い被せたシステムで、慣れ親しみやすさはあったものの、使いやすかったかというとそうでもなかった。
その前にX68000のHuman 64Kというシステムも触ったし、その上で動作するSX-Windowも使っていたが、操作感はSX-Windowの方がMac OSっぽい感じだったが、いかんせんマシンパワーが足りていなかった(MC68000の10MHz動作ならそれも仕方が無い話だが…)。
今ではWindowsも随分と進化し、比較的使いやすいOSにはなっていたが、ほとんどがMac OSを追いかけているだけのOSというイメージがあった。
それだけMac OSが革新的だったという事だが、Windows 8でWindowsはModern UIを搭載する事でMac OS追従から少し離れた感じがある。
話が随分と外れてしまったが、私が最初に出会ったMacは、当時の私にとんでもない衝撃を与えたものである事に変わりはない。
人が使いやすいという事はこういう事だという事を見せつけられたPCだった。今までは使いこなすのがPCと思っていたが、人がPCに歩み寄るのではなく、OSが人をサポートする…大げさかもしれないが、Macintoshにはそうした思想が流れているように思えたのは事実だ。
私のPCに対する認識が変わったのは、間違いなくこの時である。
今後のAppleは?
私としてはスティーブ・ジョブズ亡き後のAppleも、その意思を継ぎ、センセーショナルな製品を世に投じて欲しいと思っているが、残念ながら今の所そんな感じがしない。
スティーブ・ジョブズ最後の作品であるiPhone4が出た時、綺麗なスマホが出たな、と思ったが、その後出たのはiPhone4Sで、これは形がまるで変わらなかった。iPhone5が出た時も単に液晶パネルサイズが大きくなって縦長になったという感じだけで、基本デザインは踏襲したものだった。現行のiPhone5Sにしても同じだ。
曲面iPhoneが出るとか言われていた時期もあるが、iPhone6でそうなるのか、それとももっと斬新なものがでるのか…いろいろな噂はあるが、私は正直そんなものはどうでもいいと思っている。
何度も言うが、Appleは使いやすいものを提供する企業であり、革新的なものを出すメーカーではないという事。
人が使いやすいと思う事が最重要であり、その為に形を変える必要があれば形を変え、その為にOSを変えなければならないのなら変えてくる。それがAppleである。
世間の人は新製品が出ると「前のものと変わり映えしない」と言うが、そんな事は見た目の問題でしかない。
iPhoneを使っている人は一度Android機を触ってみるといい。最近のものは随分と良くなったが、iPhoneの方が操作感はずっと良い事に気づくだろう。
スティーブ・ジョブズが求めたものは、そういうものであり、美しさである。
スティーブ・ジョブズの逸話で、デスクの上にあるPCの背面のデザインにも拘る理由は、ビジネスで上司のデスクに向かって立つと、PCの背面が目に入るからこの背面が美しくなければダメだ、と言ったというのがある(言葉は違うが意味的にはそんな感じ)。
つまり、PCを使う人へのデザインだけでなく、周りの人から見えるデザインも美しくなければダメだという事だ。
今のAppleも、このスティーブ・ジョブズの意思がちゃんと残っていれば良いが、ヘンに革新的でなければならないという思いに拘りすぎて的を外した製品を投じてこなければ良いが…今の私の心配はまさにソコにある。
前述の若かりし頃のスティーブ・ジョブズの演説を思い出し、原点に還って欲しいと思う。
最後に。
前述のCM1984のリニューアル版が2004年に公開された事がある。
その動画を紹介しておこう。
ハンマーを投げる女性の腰にiPodがある。まさに新時代の夜明けを指すものだったと言える。