国内のタブレット市場で、昨年12月以降にWindowsタブレットが以前に増してシェアを伸ばしているようだ。
8型Windowsタブレットが急上昇
前述したように、Windowsタブレットが急激に伸びている。
しかもその半数が8型タブレットのようで、iPad miniクラスの大きさのWindowsタブレットが急激に伸びていると言えそうだ。
何故伸びているのか? という理由についてはいろいろな説もあるし、実際購入した人を対象にアンケート等を採らないと分からない話だが、「艦これ」が一つの要因を形成している事は間違いないのではないかと思う。
というのも、一時期Androidタブレットが売れ始めた時期があったが、それも「艦これ」が影響していたと考える事が出来たからだ。対抗となるiOSはFlashの再生ができない事から、当初から「艦これ」が遊べないと言われていた。しかしAndroidタブレットはFlashの動作を禁止していない為、ちょっと手を加えるとAndroidタブレットで「艦これ」がプレイできてしまうのだ。
そうやってプレイ環境がある事が判明した段階で、一気に普及が進んだ。もちろん「艦これ」だけが普及の原因ではないだろうが、それが一助になっていた可能性は誰も否定する事はできない。
ちなみに、今ではiOSでも「艦これ」をプレイする事は可能だ。検証する為に私も手持ちのiPhone5で試してみたが、動作はもたつくもののプレイそのものは出来た。
ではそんなAndroidタブレットで「艦これ」の環境が整ったのにもかかわらず、なぜ今Windowsタブレットの普及の一助として「艦これ」が浮上したのか?
それはもちろん、WindowsタブレットはコアこそAtom系の後継であってもx86コアであり、Windowsがネイティブで動作するからだ。
「艦これ」を低スペックPCでプレイしてみればわかるが、思った以上に重いのである。
Androidタブレットなら、なおのこと重い処理を熟さないといけない。プレイ環境としてはWindowsタブレットが圧倒的に優位である事は疑いようがない。
また「艦これ」以外でもWindowsタブレットが普及する要因はいくらでもある。
Windows8.1となってWindowsの市場構成比率が変わってきている。
Windows 8.1が登場した10月には5.8%、11月は7.0%へと上昇し、8型タブレットが市場に本格的に広がった12月には14.7%と10月から3倍近い比率に跳ね上がってきている。
私も驚いたが、販売されているPCのウチ、約20台に3台はWindowsタブレットが売れている、という事になる(かなり大雑把な計算だが)。
当初、Windowsのタブレットなんて…と思っていたのだが、気がつけばこの市場構成比である。MicrosoftがモダンUIを推進していこうと考えるのも無理のない話かもしれない。
モダンUIをもっとスタンダードにする為には
私が考えるに、MicrosoftがモダンUIをスタンダードなインターフェースにするためには、絶対に全てのWindowsマシンにタッチパネルを必須としないと無理ではないかと思う。
Windowsによる生産性に関して、タッチパネルなどなくてもキーボードとマウスだけで業務遂行ができるというのは、私にも解っている。むしろタッチという動作がない方が生産性に寄与するものがほとんどだという事も解っている。
だが、デスクワーク以外の分野ではタッチインターフェースはキーボード&マウスより生産性が高い事も理解出来る話である。
だからこそ、Microsoftは二つのインターフェースを実装したWindowsを創り上げたのだろう事は解るのだが、問題はそれぞれのインターフェースで作られるデータを完全互換にしなければならない、という事だ。
Windowsのストアアプリは残念ながらモダンUI上でしか使用する事ができないため、独立したデータを構成している場合がある。このデータをデスクトップで完全互換として利用することができないと、業務で利用する事が難しい。おそらく、MicrosoftはそうしたデータをOne Driveで同期して使って欲しいという思惑があるのかもしれないが、業務だとOne Drive経由というのが難しい場合も多い。
いろいろなパターンが考えられるだろうが、インターフェースが異なる事によるデータの共有性がもっと透明化し、安易にならないと普及は進まない。
どちらにしても、管理サイドと現場サイドの融合性を高めようと思えば、自ずとタッチパネルは必須になっていくだろう。デスクワークではタッチは不要と考えるのではなく、デスクワークでもタッチが使える、というスタイルにして、積極的にタッチ操作を受け入れやすい土壌を作る事が、スタンダードインターフェースの近道ではないかと思う。
私はVAIO Duo 13を使い始めてタッチパネルはかなり便利という感触を得ている。
昔はWindowsにタッチは不要と思っていたが、モダンUIでなくてもアリなインターフェースだと思えるようになった。
時代は常に変化している。おそらくインターフェースに関する認識も徐々に変わっていくはずだ。
だからこそ、訴求し続けなければならない事もあるし、そうする事で今までの常識を覆す事になるかもしれない。
当初、スマートフォンは使いにくいという代名詞的存在だった。しかし今ではそのスマートフォンが主流になっている。使いにくいと言えるものがあれば、それを使いやすくして訴求する。それを続ける事で、大きな普及へと足がかりを作る。
Microsoftは、今そうした地道なロードワークをしなければならない時期に来ていると私は思う。OSの世界的覇者というあぐらをかいていると、いつしか足下をすくわれる事になる。
私が言うまでもない話ではあるのだが。
艦これ
ブラウザゲームとしては非常に良く出来ている…のは解っていたのだが、今までプレイする事もなく放置していた。
人気が出始めた頃、なかなかアカウントが採れないという事で、そんなに採れないものかと私もチャレンジしてみたところ、私の場合、思っていたよりも早い段階で採れてしまった。もっとも、1ヶ月くらいは掛かったハズではあるが。
ショートランド泊地を割り当てられたのだが、個人的には呉泊地がいいなぁ…とか思ったり、せめて舞鶴だよなぁ…とか思ったりする。まぁ、今更シャッフルされる事もないだろうから、私はずっとショートランド諸島でガナルカナル島を目指し続けるしかないのかという気分である。
話を戻すが、この艦これを先日から復帰しはじめた。もっとも、まだ司令部レベルが9と駆け出しなワケで、主力艦隊旗艦は重巡止りだ。重巡であればそこそこ…と言いたい所だが、艦これの世界では重巡であっても序盤を切り抜けるぐらいしかできないワケで、そのあたりの感覚がまだ私には解っていないといった感じだ。
史実では重巡クラスならかなり奮戦できるレベルであり、駆逐艦といえども最初から夜戦を仕掛けて水雷戦隊として機能するのだが、艦これの戦闘は確実に昼間戦闘から始まるため、駆逐艦は簡単に中破、大破したりする。
このあたり、どうしても太平洋戦争をテーマとしたゲームでは同じような流れになってしまうのかもしれない。昔光栄が発売した「提督の決断」シリーズでも、駆逐艦は消耗品とも言えるぐらいドカドカ沈んでいく。もっとも、建造も資材さえあれば一週間程度で出来てしまう為、まさに消耗品といえる状態になっているのは、やはりシステムとしてそういう立ち位置に駆逐艦を持って行かないと成り立たないという事なのかもしれない。ゲームでは仕方のない事なのかもしれないが、駆逐艦という存在の軽さが、史実の重みを取り去ってしまっているのは残念極まりない。
実際の所、まだまだ司令部レベルを上げて、艦船のレベルを上げて…と地道なクリック作業を繰り返すしかない。ま、このクリック作業を繰り返す、というあたりがブラウザゲームらしい所なのだが、正直、好きな太平洋戦争モチーフのゲームなのに、ノリきれない自分がいる事に躊躇いがあったりする。
あー、ここから先はいろいろと物議を醸す内容なので、あくまでも私の一個人の考えと思って読んでもらいたい。
私は太平洋戦争というテーマそのものがものすごく好きで、戦争そのものはいけない事としつつも、起きてしまった戦争としては意味のある戦争だったと思っている。
よく、大陸の国民や半島の国民は日本が辿った太平洋戦争(大東亞戦争ともいうが…)を侵略戦争だったという一言しか言わないが、私はあの戦いこそ、白人と有色人種の戦いだと思っている。
植民地を求めてアジアや南アメリカ、アフリカへと侵略を続ける白人に対し、有色人種として誇りを持って白人と戦う事を選んだ日本人…という風に私は考えている。もちろん、そこに日本人が野心や支配欲がなかったとは言わない。国として軍事行動を起こしている以上、国家利益を求めている事は間違いない。
しかし、思惑はどうあれ、結果的に日本人は有色人種として本気で米国と戦った。それも、通常2割の戦死者を出すと戦隊として機能しないと言われる軍隊にあって、総玉砕も厭わないという、欧米では考えられない精神で戦い続けたのである。誰だって死にたいわけじゃないが、明日の国家国民の為に日本人の誇りを持って戦い続けたのである。
大陸方面に関しては、当時の周辺国との関係や、その周辺国を取巻く情勢をいろいろと利用しつつ、結果的に侵略という形なったのは残念な話ではあるが、それでも結果的に大東亜構想の下、白人と対等以上に渡り合える情勢を作り出すために戦ったと私は見ている。
繰り返すが、もちろんそんな綺麗事だけの話ではない事はわかっている。侵略した事実は消えないし、日本に野心がなかったとは言わない。
しかし、最終的に日本は負けたにもかかわらず、アジアで欧米の植民地が戦後になくなった事実は消えない。香港はイギリス領として残ってしまったが、インドネシアは独立戦争で国家を取り戻し、他も同じように独立ないし自治という方向に流れていった。
また、日本人は占領地に対し、ある程度のインフラを整備し、教育を行った。これによって国家再建の一助になった国もある。
それぞれの思惑は違ったとしても、結果として成立した事実は、すべてがマイナスとして働いたわけではなく、むしろプラスに働いた事実の方が多いのである。
こうした、日本人の軌跡として、太平洋戦争というテーマはとても興味深く、私の心を掴んで離さない。日本人の誇りと信念、そしてそこから生まれる情というものに感銘を受けるからこそ、どうしても艦これのような軽いノリにどうしても追従する事が出来ずにいる。
さらに、もう一つ、艦これのノリについていけない理由がある。
それは敵が欧米列強でない、という事だ。
戦争は人と人が政治的に戦わされるからこそ、そこに救われない悲劇があり、まして戦時下でなければ知り合いだった人々が敵同士として戦場で相まみえる事になる。
実際、米国と日本の海軍提督同士には一部交流があった人々がいて、そういう人達が実際に戦場で顔を合わせる事態が起きている。
何とも救われない話だ。戦争でなければ戦い合う必要などないのに、国家という無形の、それでいて絶対的な力を持つ存在に翻弄され、戦わざるを得なくなるのである。
太平洋戦争は、そうした戦争の中でももっとも大規模で、救いようのない戦争だった。
何も日本人の悲劇だけでなく、そこには米国人の悲劇すら存在し、複雑な思いを渦中に投げ込んでいる。
私はそういう、何とも救われない人の性に戦争というテーマを重ね、興味があるとしている。
艦これは、敵そのものが人ではない“何か”になっている。
これでは、そこから受ける感情的なものは無機質にならざるを得なくなり、単に勝った負けたの話に終始してしまう。
まぁ、どんな御託を並べたとしても、史実の重みを再現する事などできはしない。
ただ、捉え方として私は艦これに太平洋戦争の影を重ねる事はできない。
別物と考えれば良いのかも知れないが、モチーフがモチーフなだけに、どうしても重ねてしまうのである。
私が艦これにノリきれない理由はまさにココにある。
別に艦これを否定するつもりはないが、悲壮感を感じることが出来ない私がいるという事だけは、ある程度解ってくれるのではないかと思う。
まぁ、人によって楽しみ方はいろいろだから、私の想いを誰かに強制するつもりはないし、時代と共に受け取り方を変えていく必要があるのかもしれない。
そうした気持ちの転換が出来たとき、はじめて私は艦これのノリを楽しむ事ができるのかもしれない。
榛名がでない。
ほとんどの関係ないが、私が今思う、艦これに対する気持ちだ(爆)
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がんばってくれ。それしか言えん(-_-;)
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