私は学生の頃からカメラがほどほどに好きだったが、それが決定的に好きになったのは社会人となってから1年ほど経過した時の事である。
あの時の風景をもう一度手に入れるため
当時、まだ携帯電話にカメラが普通に付いていない時代の頃。
私はある景色に心を奪われた。
当時私は土建関係の仕事をしていて、冬場の林道整備の工事に参加していた。
夏場は林道の道路部分を工事するため、道路側面の斜面工事などは冬場にしかできず、私はその道路側面の工事に参加していたのである。
だから冬場に山の頂上付近までガードレールもまだ整備されていない凍結路面を上り、現地まで毎朝行っていたのである。
今にして思えば、よく行っていたなぁ…と思う事もあるのだが、そんな工事に参加していたある日に、その衝撃的な光景が私の目の前にやってきた。
その日、天気が午後から崩れる…という話を朝、天気予報で聞いていたのだが、山頂付近の現場は天気が崩れるどころか晴天が広がり、天気予報もアテにならないなぁと思っていた。
夕方になり、そろそろ仕事も終わるな、と気が緩んだ時、綺麗な夕日が真っ赤に焼けていた事に気づいた。その夕日を視界に収めた時の事である。
富士山が雲海の中で夕日をバックにそびえ立っている…。
そう、その日は確かに下界は雪だったのだ。雪雲は重いため、我々は雲の上で仕事をしていたのだ。
だから我々の立っている位置は雪雲の影響を受ける事がなく、昼間は晴天の空が広がっていたのである。
あのとき、もし今のようにスマホ全盛の頃だったなら、私は間違いなくその風景を撮影していた事だろう。
しかし、時代はまだそんなに進んだ時代ではなかった。
だからその風景を切り取る事もできず、ただ私の目に焼き付けるに留まるしかなかったのである。
その時から、私はいつか立派なカメラを手にし、その風景にもう一度出会いたい、と思うようになった。
別に風景を専門に撮りたいとかそういう思いはない。人だって動物だって撮りたいと思っているが、私がカメラという物体に一つの特別な思いを抱く事になった原因は、たった一度のおさめる事ができなかった風景に出会いたいという思いである。
そして今年、私はミラーレス一眼のOlympus OM-D E-M1を手にする事ができた。
レンズも相当に良いレンズを手にする事ができ、私の方の準備は整った。
だからGWに入った今日、私はかつて工事に参加したあの林道を走ってみる事にしたのである。
早朝の山登り
自宅から車で走ること15分。私は当時入り込むこととなった林道の入口にいた。
時間はAM 5:40ごろ。ここから約30~40分かけて林道を上って行けば、当時の景色に出会えるハズだ。
林道と行ってもちゃんと舗装されていて、車もすれ違えるだけの道幅もある。
が、当然の事ながら落石などが道路に散らばっていたり、また舗装も所々補修が必要な状態になっていたりと、実に林道らしい林道である。
ゆっくり進みながら、曲がりくねった道を上り続ける事15分。
古い記憶を辿りながら、当時の場所を目指していくのだが、私の記憶ではこの林道の途中で、いくつか分岐路があったハズだった。
ところが中々分岐しているところに出会えない。明らかにオカシイ…そう思った時、上り続ける道と分岐して下る道に出くわした。ところが、下りの道は封鎖されていて、上る事しかできない。
仕方が無いので上り続ける事さらに5分。だんだん山頂に近づいてきた感じがあるが、どうも私の記憶にはない風景がそこには広がっていた。
オカシイ。
明らかにオカシイと言えたのは、天然の木々が周辺に多すぎるのである。またその木々の背の高さが高すぎるのだ。
私の記憶では、当時周辺に木々があっても、その木々は背が余り高くない木々だった。
結局、そのまま上り続けた所、峠付近で道路が封鎖されていた。
これ以上先には進めない所まで来たわけだが、私の記憶のある風景と出会う事はできなかった。
考えられるのは、途中の下る道。おそらくその先、一度下ったあとに沢に掛かった橋を渡って今回走った山の向かい側の山の林道が、私の記憶にある林道だったのかもしれない。
しかし、それも確実にそうだとは言えない。走ってみなければわからないからだ。
遙か遠い記憶の話。曖昧な記憶を辿ることしかできない今となっては、手探りで探す敷かないのである。
そして手探りの中で、今日はゲートが閉じられていた為、断念するしかないという結果となった。
空がブルーに染まらない
早朝に出かけたのは、空気が濁る前に撮影したかったからだ。
だが、午前6時過ぎともなると、残念ながらこんな空の色にしかならなかった。
ちなみに前述の写真はサイズ以外の加工なしの状態。
なので、アートフィルターでちょっと加工を入れてみる。
鮮やかさを増すために、ポップアートフィルターをかけてみる。
濁り気味の写真でもこれだけ変わるというのは、ある意味感動モノである。
前回、ドラマチックトーンで不気味な雰囲気の演出に失敗したため、今回も挑戦してみた。
空の濁りが多少気にはなるが、前回よりはずっと印象的な絵が撮れた。
晴天の景色よりも、曇り空をドラマチックトーンで撮れば、劇的なシーンになるのだろう。
別のポイントでもう一度
行き止まりに出くわした為、今度は下りながら、撮影ポイントをもう一度探してみた。
別に富士山に拘るつもりでもなかったのだが、花もなければ緑も少ないという、実に寂れた山であるため、他に映える被写体がない。
なので結局は富士山がらみの絵を撮る事になった。
これが無加工のもの。
オリンパスブルーには程遠い空の濁りである。
ポップアートを使ってみたが…今度はあまり不自然さがない。何故?
そして同じくドラマチックトーンもテスト。
…なんかサスペンスドラマっぽくなったか?(爆)
ただ、やはり全体的に太陽光が強すぎて、本来の効果が出ていないのかもしれない。
なお、今回のBlogに使われた画像をクリックすると、オリジナルサイズの画像が表示されるようにしてある。
1枚あたり7MB超の画像である。もし見てみたいという人は、クリックしてみて欲しい。ま、大した写真じゃないので、見る価値はあまりないとは思うが。
ファインダー越しの世界
こういう撮影をしていると、カメラのファインダーを覗くという事の面白さを再認識する。
ファインダー越しの絵というのは、何故か普通に見る景色と異なって見える。
そこだけの世界…というか、ファインダーを通す事で、被写体が素晴らしく美しく見えるのである。
最近はファインダーを持たないカメラが随分と増えたが、あれはカメラの面白さを半減させていると思う。
もちろん、ローアングルやハイアングルの撮影で背面液晶が活躍するという事はわかるが、基本はやはりファインダー越しではないかと私は思っている。
そうしたファインダー越しの世界で、あのかつての景色をもう一度撮ってみたい。
かつて見た風景は、工事現場に足を踏み入れる事が出来たからこそ得られた景色かもしれない。
もしそうだったなら、これは私の永遠のテーマになりそうな話である。