中央情報局とは米CIAのこと。
世界のリーダーだからといって
米国は世界平和のリーダー的存在だという事を以前から公言しているところがある。超巨大国家で、軍事的にも経済的にも大きな影響を持つ国家である事は疑いようのないところだが、だからといってやっている事が全て正義の名の下に許されるかというとそうではない。
実際、第二次世界大戦時の米国の行為を許しがたいと考えている人もいる。特に2発の原発投下は、世界的に非難される行為とする人もいる。
戦後、米国は日本の巨大潜水艦「伊400型」を接収したが、その情報を当時のソ連に渡したくなくて撃沈するという行為もした。普通に考えればずるい行為だったとも言える。
このように、米国が世界に対して行う行為は、善意に基づいたものもあるはあるが、中には米国利益最優先で世界的に見れば悪意があるものも含まれていると言える。
最近は、トランプ大統領のアメリカ第一主義の考え方もあり、米国がやる事全てを許容していたら、諸外国が大ダメー時を受ける可能性がある場合も十分ある。
そうした視点から考えると、今回出てきた話は非難されても仕方が無い部分がある話になる。
スパイウェアプロジェクト
今回出てきた話というのは、米CIAと米セキュリティ企業“Siege Technologies”によって共同開発されたマルウェアの話。
米CIAによるWindows OSをターゲットとしたスパイウェアプロジェクト“Athena”と呼ばれたプロジェクトの中でそのマルウェアが開発されたという情報が、国家や企業の機密情報を公開しているWikiLeaksという所によって暴露された。
このマルウェアのユーザーガイドによると、開発されたのは2015年11月19日で、対象となるOSはWindows XP SP3/7/8.1/2008 Enterprise Server/2012 Server/10と現状動作しているであろうOSのほぽ全てに及ぶ。Vistaは含まれていないようだが、恐らくは同様に対象となっている可能性は高い。
このAthenaは、一度PCにインストールされるとメモリに特定の攻撃をしかけたり、任意のディレクトリにファイルを転送したり、当然だがファイルを抜き取る事ができるようになる。この機能はPCを特定する発信機能を持っているためであり、PCをリモート操作できる、という事を意味する。リモート操作できる範囲は広く、Athenaが動作しているPCの設定を変更する事ができる。普通に考えれば、何でもアリ状態である。
こうしたスパイウェアを、米CIAのプロジェクトで開発しているという事そのものが、世界的に正義の名の下に許される事か? と考えた場合、それを許されると声を大にして言えるのは、米国第一主義の人達だけではないかと思う。
実は…
先日、世界的に問題となったランサムウェア「WannaCry」は、米NSA(国家安全保障局)が作成した脆弱性攻撃ツール「EternalBlue」を悪用したものと言われている。
ランサムウェアであろうとウィルスプログラムであろうと、何かしらの意図を持った人間が開発したものである事は明白だが、問題はこれらが国家的活動によって生み出される場合がある、という事である。
世界的にPCで世の中の情報か繋がり、生活が便利になっていくのはよいが、問題はその便利になっていく世の中の影に潜み、悪意をもって情報を盗むだけでなく、情報攻撃できてしまう世の中になってしまったという事は、由々しき事態だと思う。
情報機器が高度化した事で、専門的知識がないと攻撃されているのかどうかもわからないといった事が普通に起きる現代において、しかも国家がこうした現状を作り出しているとするならば、それは決して正義の名の下に許される行為とは言えない。
その時、日本は…
もちろん、私がこんな事を言っている中、日本という国が真っ当な事しかしていないか、となると決してそうは言えないかもしれない。
私が知らないだけで、何か悪意を持って世界的関与をしている可能性だってある。
特に日本人は政治に関与しない人が多く、国家の活動を後から知るなんて人が多い。最近はネット経由でそうした危機を拡散している人もいるが、全体を見れば政治無関心な人が多い。
そういう状態の時、国家がまともな事をしているのかどうかを監視する人が必ずしも善意にまみれた人であるとは言えないワケで、そういう所から情報による暴力が発動したりする。
民主主義とは、数の暴力である。
積極的に関与している人の大多数が間違った回答を示した場合、その間違った回答が正しい事として成立してしまうのが民主主義である。だからマイノリティでも間違った事を間違っていると言える勢力が残っていなければならない、と私は思う。
今はネットですぐに相手を叩き、炎上させてしまう人達が多いが、相手の言い分を深読みし、僅かながらでもその中に正しい部分を見つけられるぐらいの許容が必要な時代ではないかと私は思う。
というか、以前は人々のコミュニケーションの中でそうした事が普通に行われていたと思うのだが、最近は何か一つ不穏な事があると、それらを全て排除するという動きを見せる事が多い。何が正しくて、何が間違っているかを決定的に決める事を、人という単位でできる人はそうはいない。
ただ、それが集団となった時、その判断が大きく鈍る。
だからこそ危険なわけであり、米国の国家プロジェクトが行った情報攻撃プロジェクトも、そうした潮流が生まれたのだとしたら、それとこれとは別、という話がパッと出てこないといけないように思う。米国の利益から考えれば、この情報攻撃プロジェクトは確かに正しい部分を含むが、それは独りよがりな正しさであり、全世界を対象とした視野では語られていない。
多分に二面性を含む話なので、私の記事自体の理解も複雑化しているし、私の表現的限界で私が真に意図している事が伝わっていないかもしれないが、国家だから許されるという事は決してあり得ず、真に正しいと言える事は多方面の視点が必要であり、決して単一の中からその判断が生まれてはいけない、という事である。
今回の米国の行為は、おそらく世界的に非難される事になる。
どう考えても、世界的利益に基づくものでなく、米国第一主義の利益に基づくと言われても、非難する事はできないだろう。
世界のリーダーを語るのなら、この部分はキッチリと善意に基づいたものでなければ、誰も納得する事はないだろう。