前にも一度取り上げた事もあるため、一応触れておくことにする。
…触れなくてもいいんだろうが、私なりに言いたい事もあったりするのであえて触れる…触れたくないが(爆)
秋葉原の歩行者天国で股を開いてケツ出しをしていた事で有名になった沢本あすかだが、東京都の迷惑防止条例違反の疑いで逮捕されたそうである。
ま、逮捕された事自体は今となっては知ってる人の方が多いだろう。
沢本あすか本人のBlogに書かれているが、とりあえず一晩で身柄は釈放されたそうである。
ハッキリ言って、この沢本あすか本人の所行にももちろん問題はあるが、もっと問題なのはそれを擁護したり助長する人たちがいる事だ。
表現の自由から言えば、沢本あすか本人がやっている事はたしかに自由なのかもしれない。
しかし、問題は自由と勝手は違うという事。
沢本あすか本人のパフォーマンスを見たい、支持するという人は、本人も含めそういう人たちが集まる場所でのみやればいい。
一般の何の関係もない人々が往来するアキバの路上でやっている事に問題があるのである。
ローアングラーなどとカタカナの呼ばれ方をして、自ら行っている行為が痴漢行為(犯罪)である事を理解しているのか、それとも理解していて無視しているのかはわからない、そういう人たちが社会的な問題にならないワケがないのである。
昔からそうだが、自由と勝手をはき違える人々というのがいる。
これは権利と義務をはき違える事と同じかもしれないが、解釈の問題とかそういう問題ではない。
自由と勝手、権利と義務をはき違える人々に共通して言える事はほぼ間違いなく自己中心的な発想を持っているという事。
何をするかは本人の自由…なんて言葉があるが、時と場合によってはこの言葉使いは意味がまったく異なってくる。沢本あすか問題をこの言葉で関連づけるとするならば「何をするかは本人の勝手」なのである。
今のアキバにはこの自由と勝手が間違って混在しているケースが多々ある。
そうした混在して意味が違ってきている環境が、次々と同じような問題を起こし始めている。
環境は連鎖する。
これはニューヨークの犯罪対策によって証明された事だ。
すさんだ環境はすさんだ犯罪を助長するが、整った環境はすさんだ犯罪を確実に減らしていった。ニューヨーク市がそうした対策で証明した事実である。
今のアキバは同じ事をしなければならない時期に来ている。
マニアの街はオタクの街に変わっていったが、それが必ずしも良かった流れとは言えない。
いや、オタクが悪いわけではない。
オタクにも世間一般の常識が必要であり、そうした常識がない今の流れは止めなければならないという事だろう。
今一度、アキバという街を見直す時期だ。
もうアキバは日本のアキバではなく世界のアキバなのだから、この異常を正さねば、日本という国が世界に疑われる事になる。
東京都はその事をもっと真剣に考えねばならないのではないだろうか?