グランド・セフト・オートというゲームがある。
このゲームが驚異的に有名になった最大の理由は、その自由度にある。
空想世界の中に放り込まれた主人公は、その一見現実世界と同じような空想世界で有りと有らゆる事をする事が可能で、当然、犯罪行為のその殆どが再現可能になっている。
一時期、このゲームの存在が犯罪を助長するという事でやり玉にあげられた事があったかと思うが、そんなのはゲームをしない人たちの妄想だと言うことは、私のBlogを読んでいる人なら誰でも分かっている事だと思う。
ゲームと現実の世界が混同し、その範疇を超えて実行動に移す輩というのは、ゲームが原因でそうなったのではなく、妄想と現実の境目がなくなる環境下に住んでいた、またはそれを許してしまう環境を周囲(家族等)がそういう輩を作ってしまった、という一連の流れがある。
なんでもゲームやマンガの影響と言ってしまうと、そもそも表現の自由という事を否定する事になる。
映画“バトルロワイヤル”が許されて、ゲーム“グランド・セフト・オート”が許されないというのは、間違いなく表現の自由への冒涜、と私は考える。
そのグランド・セフト・オートの4作目がカプコンから発売される。
プラットフォームはPS3&Xbox360で、当然前作から比べてとんでもないほどの進化を遂げている。特にその映像表現において。
impress GAME Watch
PS3/Xbox 360「グランド・セフト・オートIV」
上記リンク内に公式サイトへのリンクもある。
グランド・セフト・オートという作品をどう評価するかは個人の自由だ。
私はこういうのもアリだと思っているし、コレによって犯罪が助長されるとも思っていない。
こういうアンダーなモノをどう判断し、どう評価するかは個人の思うところであり、その評価基準を作るのはその人物が育ってきた環境次第だと思っている。
その人物を育ててきた環境が良くない事を棚に上げ、影響を与えたであろう作品へあてこすりをする弾圧団体は、要するに自分の行動を棚に上げて他人を否定する事しかできない団体だ。他人を否定する事しかできないから、そういう環境を作ったという事にすら気づいていない。
道徳を忘れた大人達が、どうやって道徳を子供に教えるというのか?
このゲームを危険なものと思うなら、このゲームを危険と評価する子供を作れる環境を構築すべきだ。
なぜなら、一応はこのゲームはCERO規定でZ指定のゲームなのだから。
そもそも子供がプレイする事はできない。
そう、犯罪予備軍となるのは、子供でなく大人。
責任を全うできなかった大人が育てた子供が成長し、そして大人になりきれなかった子供が法律上大人と定められた、まさにその人達が対象となるのだ。
この作品が悪なのか?
そうした犯罪予備軍を育てた環境が悪なのか?
もう答えは出ているハズだ。