先日、ラクジョブなんてものを紹介したばかりだが、経済産業省がアニメ業界の健全な育成を目的としたガイドラインの策定に平成21年度から乗り出すことを発表した。
実のところ、既に政府はアニメ制作を日本の重要産業として保護・育成する方針を打ち出しており、ようやくここに来て実行力を伴う策定が始まる事になる。
日本のアニメは世界的にもジャパニメーション(Japanimation)という言葉が生まれるほど高い評価を得ているが、実際はそんなアニメは数えるほどしかない。
それには理由があり、世界的にも“アニメ=子供が観るモノ”という常識が根付いており、日本とそのあたりは変わりがないからだ。
ただ、恐ろしいのは日本はまだマンガ文化が根付いたおかけでアニメ=子供という図式が崩れ始めているのだが、世界的には未だにその垣根が崩れるどころか、より強固な反対となって根付いてしまっているケースがある。
例えば日本から海外に輸出された有名なアニメ数本は、とかく善人が悪人を力によって倒すという図式が成立した作品になっている。
こうした内容は確かに子供向けには違いないが、行きすぎた力の行使が暴力的と取られる事も多々あり、海外の大人達から批判される事も多い。
つまり、Japanimationと呼ばれる作品は一部の作品であり、基本的に否定的に取られる作品も未だに多いという事実がここにある。
政府はJapanimationを国の重要産業と位置づけているが、まずこのあたりの国際的な認識の差を明確化した上で、どんな作品を生み出していくかという表現の部分もある程度見ていく必要があるかもしれない。でないと、作った作品を海外進出させられない、なんて事が起きる可能性がある。
もちろん、だからといって全てを子供向けに作ればいいという話でもない。
AKIRA INTERNATIONAL VERSIONは、海外で絶大的に支持されるアニメだが、あれは正直言って子供向けではない。
つまり、アニメーションを表現の一つとして展開していく方法もある。
むしろ、こちらが重要になってくるのではないかと私は思っている。
ここ最近、ハリーポッターシリーズやロード オブ ザ リングで、ファンタジー世界の映画が好評だが、20年前にもしこうした作品が出てきていたら、どんな評価をされただろうか?
おそらく、評価は酷いものだっただろう。理由は表現の乏しさがあったからだ。
ここ最近はCGによる特撮や特撮技術そのものの進化で、そうした現世ではあり得ない表現が簡単にできるようになった。
今だからこそ、表現的にマトモになったという事だが、それ故に一般の人々の中で評価されるようになったと言える。
しかし、もしこれがアニメーションだったなら…表現はかなり変わってくる。
現実にあり得ない事を絵で表現するワケだから、特撮に頼る必要がない。
しかし、アニメにも描画技術があるため、20年前に成功するかといえばそれはあり得ない話。結局は実写であってもアニメであっても、20年前は同じだっただろう。
だが、この表現の問題で実写では再現が難しいものもある。
アニメーションは、その部分を表現する手法としてかなり期待できる表現法だと私は思っているし、そこにこそ、ジャパニメーションが世界に打って出るポイントがあるように思う。
だが、このジャパニメーションが世界に打って出るポイントを確実に獲得するには、いくつかの問題を克服しなければならない。
それが、経済産業省がアニメ業界の健全な育成を目的としたガイドラインの策定に繋がる。
現在のアニメ制作現場は、末端に行けば行くほど環境は劣悪と言える。
制作費が足りない…という問題もあるだろうが、もっと別の次元で問題視されているのが“版権”である。
版権とは、今の法律用語でいうところの著作権の事を指すが、実際の所、その中身においてかなり複雑なものになっている。
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公取委がアニメ産業の実態調査報告、「製作委員会方式」にも言及
上記リンクは公正取引委員会の実態調査報告に基づいた記事だが、版権を所有するところが絶対的権力者であり、制作会社は結構なところで貧乏くじを引いていたりする。
私が在職していた頃、つまり今から8年くらい前だろうか、その時から、いやもっと前から、アニメ業界というところはこんな事が当たり前の状態だった。
しかも、この版権を持つという状況は、このコンテンツから生まれる全てのものに影響を与える。
たとえば商品化権を同時に持つため、何かグッズを作るとなるとかならず版権元の許諾が必要なのは当たり前としても、その版権元の下についているところの許可も必要となる。つまり、一つの版権の中にいくつもの階層が存在し、その全てに版権料を支払わなければならない。これはある意味、建設業界のゼネコンと孫請企業との関係に近い関係だ。
こんな状況が当たり前だから、いくら発注元や元請企業が制作費は妥当なところといっても、実作業に関わる人達に支払われる賃金は最低のものとなる。
真ん中に入る企業が恐ろしく多いため、末端まで届かないのである。
こんな環境で世界に打って出るジャパニメーション作品を作れというのは、そもそも無理な話だ。
しかもこの問題にはさらに大きな問題へと繋がるポイントがある。
それはアニメ技術の世界漏洩である。
結局、アニメーターに支払う賃金が最低ラインになってしまうため、国内制作が不可能と判断されると、その作画業務を海外委託する事がある。
最近、アニメ映画のスタッフロールの中に中国人名や韓国人名が出てくる事があるが、それである。
アニメーターという原画や動画を描く人々を海外に委託した結果、結局海外のそうした人材に技術を教えないと、品質を維持する事ができない。
だからいろいろな技術を教えていくわけだが、それによって海外の技術が徐々に向上しているのである。
別にその事をすべて悪いとは言わないが、これは技術漏洩もいいところである。
そして中国では国を挙げての産業としてアニメーションを取り上げたりするワケであり、それが現在、特にアジア圏でアニメーション産業に注力させている原動力となったと言える。
日本でもその流れを食い止めるべくようやく動きだしたワケだが、それによって新たな雇用が生まれるかというと私はあり得ないと思う。
要するに今まで不透明だった部分が明るみに出て、その分の賃金がようやく末端まで届くようになるだけの話であり、そこから新しい雇用が生まれるかどうかは別問題だ。
絵を描く技術は、万人に可能というものでもないし、音や演出もまた然りである。
健全化する事はもちろん良い事だが、これを国の重要産業と位置づけるなら、まずこの権利部分を健全化し、その上で取り組んでいく上での技術継承を考えねばならない。そうしないと雇用対策にもならないのである。
そして残念な事に、それは何もアニメだけの話ではない。
国は技術継承という部分において、ほぼ全産業でそれを推進していかねばならない。
人口が減っていく以上、何かが淘汰されていくのは避けられない。
そのあたりの抜本的対策を、一体どれだけの人が考えているのだろうか?
政治家は、もっと事を真剣に進めなければならない。
献金だ何だと騒ぐのが仕事ではない。
マスメディアは、もっと核心に迫るべきだ。
そうしないと、根本的問題がどんどん埋もれていってしまうのだから。