世界的不況の今の世の中、製造業も(というか製造業が一番被害が大きいかも)例に洩れず苦しい景況の中にいる。
私が勤務する製造会社は、他社が儲けている時からもあまり儲けられていないという、何だかよくわからない会社で、その管理体制の根本的な部分に問題があると私は常々思っていたし、このBlogでも書いてきた。
私の勤務する製造会社(仮にこの会社をS精工と記述する)は、規模だけはそれなりの大きさに膨れあがっているが、人材に大きな問題を持つ。
その人材というのは、何も一般社員の事だけを言っているわけではない。
むしろ、管理職の人材に問題がある…という事も常々書いてきているが、最近になりその問題がいよいよもって表面化してきているように思えてきた。
まぁ、管理職でもない、勤続2年半の私が言う事だから、私の考える所など真実ではないのかもしれないが、このまま行くと完全にダメな会社になってしまうのではないかと考える。
…ひょっとしたら手遅れかもしれないのだが。
管理職の数人で構成される戦略会議。
名称は“会議”と名付けられているが、これは一種の委員会のようなもので、ヱヴァンゲリヲンの世界ならネルフみたいなものである。
そしてこの戦略会議の上には経営陣がいるわけで、さしずめその経営陣はゼーレといったところか。
何故こんな例えをするかというと、まさしくネルフはゼーレのいいなりなのである。
一番現場が見えていないゼーレの言う事が絶対と受け止めているのか、戦略会議のメンバーは現場を無視した方針を打ち出す事がある。
しかもその打ち出された方針が常にブレる。
先月はAという結論を出しているにもかかわらず、突然Bへと結論をすり替えたり(ポイントはすり替えたというところ。置き換えているわけではない)、そもそもAという結論の行き着く先が戦略会議のメンバー自体が見えていないなんて事がザラにあるのである。
さらに付け加えるなら、一つの活動を通して、社員が一丸となって取り組まねばならない、と戦略会議が生産委員会を設立したにも関わらず、その生産委員会の活動に戦略会議のメンバーが関与しない、という事態までもが起きているのである。
戦略会議のメンバーは自分たちがブレインだと考えているのかも知れないが、そのブレインがブレた判断をしていれば、末端は正しい行動など取れようはずがない。
そんな状況であるにも関わらず、社内の生産性が上がらないのは新人~中堅社員のモチベーションや技術、教育に問題があると結論づけているのである。
ハッキリ言おう。
技術や教育に問題があるのは、まさしくS精工の管理職、つまり戦略会議にある。
もっと言えば、その上である経営側にもその責はある。
そもそも戦略会議のメンバーは、組織を運用・牽引する知識や技術を身につけているメンバーなのか?
否、実は年功序列で役職がついたメンバーでしかない。
そこに技術や知識は無関係だ。少なくとも私にはそう見える。
さらに言うなら、組織を運用・牽引する者に必要なモノが何であるかを勘違いしている。
組織を運用する為にもっとも必要なモノ。
それは人望、つまりカリスマである。
よく組織を美化する時、個人の為でなくみんなの為に、という言葉を聞く。
だが、それは大きな間違いだ。
過去に存在した優れた組織は、いずれも優れた司令官のために末端が働いているのである。
この人望というのは、何もその人が優秀である必要など無い。
つまり、優れた司令官というのは常に優れた人材ではないという事だ。
逆に、優れた司令官というのは、能力的に欠陥である事が多々ある。
しかしそれでも優れた組織ができあがるのは、その司令官の欠陥を補う存在がその組織に存在する為である。
重ねて言おう。
組織を運用・牽引するために必要なモノは人望・カリスマである。
人は、結局は人の為に働くのである。
そして人の為に働くという行為の先に、自分の為に繋がる要因があるのである。
中国、三國時代の話。
後に蜀の皇帝となる劉備玄徳が、まだ蜀という新天地を手に入れる前に新野という小さな領地(しかも劉表の客将として)にいた時の話である。
本名を司馬徽、別名水鏡先生と呼ばれる賢人と劉備の会話の一つに、現代のビジネス世界に決定的に必要な格言的な会話がある。
「水鏡先生、なぜ今の世は昔の賢人、張良のような人物はいないのでしょうか?」
「劉皇叔、今の世に人がいないというのは違います。才ある人を見出す人がいないのです」
(会話はもちろん意訳)
張良とは、三國時代の前の時代、漢(前漢)を礎を作った賢人で、劉邦の軍師の事である。
劉備は張良のような人材が見つからず、この世にはそんな人材はいないと思っていたようだが、司馬徽は人材がいないのではなく、その才能を見出す事ができる人がいないのだと言ったのである。
要するに、世の経営者や組織を運用・牽引する者は何も才能ある人である必要がないのである。
必要なのは、人を見る目を持っている事である。
この、人を見る目というのが、人をまとめる為に必要な要素の一つである。
もうひとつの要素を、先に出てきた張良を例にしてみよう。
張良が劉邦(このとき既に高祖と名乗っている)と天下統一を果たした後の事。
高祖が功績の大きな家臣を先に褒賞した時の事である。
高祖自身はその他のものも後から褒賞するつもりでいたようだが、あちこちで家臣達が密談するところを目撃するようになった。
この事を張良に相談したところ、張良は「その密談をする者達は謀反を起こす相談をしているのです」と答えた。
驚いた高祖は理由を聞いた。
「今陛下に褒賞された人達は陛下の親しい人ばかりなので、恩賞を目的に仕えてきた者達は陛下に誅殺されるのではないかと恐れており、それならばと謀反を起こそうと密談しているのです」
高祖はどう対策すべきかと張良に尋ねた。
「功績はあるが陛下が一番憎んでいて、そのことを皆も知っている人物に対して先に褒賞すべきです。そうすれば皆も安心するでしょう」
張良はこう進言した。つまり、功績があるのであれば、その功績を第一として公平に評価しなさい、と言ったわけである。
高祖が張良の進言通りにしたところ、密談はぴたりと止んだという。
つまり、世の経営者や組織を運用・牽引する者に必要な二つ目の要素は、この評価を平等にするという事である。
評価されるべき者が、評価に値しない者と同じ評価でしかなければ、その評価されるべき者は、そこにいる必要性を感じなくなり、いずれいなくなる。
これが人材流出の原因であり、また正しい管理職を作れない原因なのである。
私が考える、世の経営者や組織を運用・牽引する者に必要な三つ目の要素を三国志の故事にならってみる。
“泣いて馬謖を斬る”
この言葉は三國志を知るものなら誰でも言っているだろう。
三國志を知らない者でも故事で知っている人もいるだろう。
これは、不公平なく、罰する者は罰せよという意味である。
諸葛孔明は、馬謖の一度のミスで北伐する蜀軍が全軍撤退する事になった責任を馬謖に問い、馬謖に才能がある事を熟知していたにも関わらず、斬首したのである。
諸葛孔明が軍規を守る事を重要だとしたのは、何もこの時だけではない。
関羽が赤壁の戦いの際、最後に逃げてきた曹操の首を獲らずに帰ってきた時、孔明は同じように関羽に斬首を命じた。関羽が曹操の首を獲らなかったのは、過去に曹操に恩を受けたからである。
この関羽への斬首は劉備の言葉で実行される事はなかったが、その時に孔明はこんな言葉を残している。
「軍規を守ってはじめて強兵が生まれるのです」
つまり、どんなに位の高い人物であっても、全体に迷惑を与えたならば、それはルールに則って罰するという事である。
今の世でいうなら、上級職についていても、ミスすればもちろんそのミスを罰し、見合った処分を与えるという事だ。
この「規律を守り、罰する者は公平に罰する」という事が、人をまとめる3つ目の要素である。
ここまで説明した3つの要素が、私は人をまとめる為に必須と考える項目である。
細かい事を言えばもっと必要な要素はあるかもしれないが、最低でもこの3つがあれば、人をまとめる事ができ、一定の人望を得る事ができるだろう。
本当に人望をあらゆる角度からみて得る事のできる人は、この3つ以外の要素をもちろん持っている。しかし、それらの要素は分かっていて身につける事ができる要素でない場合が多い。だから最低でも前述3つの要素を心がけ、一定の人望を得る事ができれば、人はまとまっていく…と私は思っている。
人を見る目を経営者が持っていないのであれば、人を見る目を持つ人を抜擢し、その人に権限を与え、組織をまとめさせればいいのである。
いかなる人物であろうと、経営者が他人に権限を与える事に恐れがあるのであれば、その会社は下降線を辿るだけである。
人を見ることが出来ないという事は、同時に人を評価する事ができない事を意味する。
また、人を評価する事ができなければ、おそらく正しい規律の下で公平に人を罰する事はできないハズである。
私が勤務するS精工の管理職の人達に、これらの3つの要素を持つ人がいるのだろうか?
私は…残念ながらいると思っていない。つまり、人望が欠落している。
技術や知識、才能が必要なのではない。
人を動かすための人望がある、つまり人を集める事ができる人にこそ、人をまとめる力があるのである。
何かあれば自らの保身に走り、抜本的改革の火種に口を閉じ、都合の良いように解釈して部下を動かす。
少なくとも、このような態度を取る管理職に人は集まらない。
S精工は、厳しい言い方をすれば、今この状態にある…と私には見える。
本当に教育が必要なのは誰なのか?
私はまず経営者にこそ教育が必要なのではないかと考えるし、そして同時に管理職に教育が必要だと思っている。
いや、経営者が先ほどの3つの要素を手に入れたなら、多分今の管理職は刷新されるだろう。
正しい評価とそれに値する褒賞・罰則こそ、人々を安心させ、またまとめる事ができる最大の要素である。
そしてもう一度言おう。
人は人の為に働くのである。
この事を忘れてはならない。
組織を語るのなら、組織は誰がまとめ、そして誰がいて成立するのかを考えるべきである。
最後に。
こんな例もある。
昔の故事にならうのが難しいのなら、こちらでダメな会社とそうでない会社を感じてみるのもいいだろう。
IT Media
生き残れない経営
カリスマの重要性
オイラは中学生位の時に見ていたF1で凄く感じたなぁ
コリン・チャップマン亡き後のロータス、「不調の名門」とか言われたね。
エンツォ・フェラーリ亡き後のフェラーリ、チーム内がばらばらに。
本田 宗一郎亡き後のチームホンダ、徐々にゆがみが…。
チーム全員が一つの方向を見れなくなった時に、勝てないチームと成るのよ。
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司令官…というより、現代の普通の状況で考えるなら、指揮官とした方がいいのかもしれないけど、そういう指揮官に強烈な個性とベクトルがある時、その集団が向かう先というのは間違いなく一点に絞られます。
指揮官を別の言い方をするとオピニオンリーダー、つまり役職など関係なく周囲に影響を与える存在を意味すると私は思っています。
役職が無くても周囲に影響を与える…そんな存在が役職を得て権限を得ることができたなら、おそらく集団はオピニオンリーダーを中心にまとまらざるを得なくなります。
つまり、集団を運用・牽引する為には、このオピニオンリーダーの存在が不可欠だと思います。
…なかなかそのオピニオンリーダーがいないんですけどね。
でも…いないと思っているだけで、いるのに見えてないのかもしれません。
社会とはかくも難しいものなのか…なのでしょう、きっと。
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