4Kと世間が騒がしい。テレビもそうだしPCモニターもそう。そしてカメラもそうだが…。
意味が違う
いろんな製品で4Kと言われているが、それら製品において一つ一つの4Kの意味を探っていくと、確かに一つの意味合いとしての共通性はある。
それは4000という数字と近似値の数値を示唆しているという事。
テレビでいうなら、その解像度において横が3840ドット以上のパネルを採用しているという事が4Kの証しであり、PCモニターもそれとほぼ同じ。ただPCモニターはこれにリフレッシュレートという言葉が付随する事で、その性能に差が設けられている。
これら4Kを表示する側は偏にパネル解像度で4Kという意味合いを強調しているのに対し、4Kを撮影する側はまた違った意味合いが加味される。
撮像センサーとして4K解像度は実はかなり以前から搭載している。
カメラで撮影された画像の解像度は、既に私が持つオリンパスのE-M1ですら4608×3456ドットを記録している。だが、カメラでいう所の4Kというのは、あくまでも動画の事を言うのであり、一瞬を切り取るスチルカメラにおいても、4Kとは同じく複数フレームを持つ動画を意味する。
スチルなのに動画…という、一見矛盾した言葉にはなるが、そこには従来とは全く違った考え方が潜んでいる。
4Kフォトは動画と同じ
4K動画とは、即ち解像度として3840×2160ドット以上の解像度を持つ動画であり、その動画のフレーム数は30fpsだったり60fpsだったりする。
これらの映像を表示するのが前述のテレビであったりPCモニターだったりする。
だからビデオカメラにおける4Kという表現は、比較的テレビやモニターと同じニュアンスで捉えていても間違いはない。
しかし、スチルカメラにおける4Kという言葉だけは、単純にスチルカメラという静止画を扱うカメラにあって異端であり、異色な考え方になる。
即ち、スチルカメラでの4K対応というのは、数秒~数分あるいは数十分の動画を撮影し、その撮影した動画から1コマを切り出して静止画を取り出すという事を意味する。
今までスチルカメラといえば、一瞬を切り出すが如くシャッターで撮像素子に一瞬の映像を写し込む事がその機能だったが、4Kフォトはシャッターで映像を切り取るのではなく、動画という連続したフレームの1コマを切り取る撮影方法なのである。
この4Kフォトの最大のメリットは、シャッターチャンスを逃さないという事。当たり前である。撮りたいものを連続で撮り続け、欲しい一瞬を後から切り出すのだから、巡ってくるシャッターチャンスを含めた映像さえ押さえておけば撮り逃しなどあり得ないのである。
便利である事は理解するが、私としては随分と寂しい話だな、とも思う。
起こる事象の貴重さも失うような感じがしてならないのだが、まぁ、こうした一瞬を捉える事が容易になる事で見えてくるものもあるのだろう。
自動か、それとも手動か?
だが、写真は一瞬が勝負。
動画として記録するとしても、前述のリフレッシュレートが問題であり、今だと大体秒間60コマ(60fps)が上限であり、動画での撮影ではこれを超えるシャッター速度が存在しない。
しかし、スチル写真のシャッターは、私が持つE-M1では最大1/8000秒である。もし1秒間連続でシャッターが切れたとしたら…8000fpsである(爆)
まぁ、そんなのはあり得ない話で、実際には連写速度が6.5コマ/秒(手ぶれ補正OFF時で10コマ/秒)だから、4Kフォトよりも捉えられるコマは遅い事になるが、捉えようとする一瞬は1/8000秒で被写体を捉えるわけで、いわば自動でそこそこ狙ったコマを撮り続けるのが4Kフォトで、絶対的一瞬を手動で狙うのがスチルカメラという事になるかもしれない。
…ま、比較的動体撮影に強くないミラーレス機の場合は、30fpsの4Kフォトカメラでも全く歯が立たないワケだが。
巷ではやたらと4Kフォトというデジカメの話が出てきているが、カメラの意味が今まさに変わろうとしているのかも知れない。
ビデオカメラとスチルカメラの融合が、そう遠くない内に行われる…そんな気がしてきてならない。
それでも…私はやはりスチルカメラによる一瞬の切り出しという行為は、崇高だと思うし、これからも続いていって欲しいと思っている。
動画に込められた想い。
静止画に込められた想い。
それぞれ撮影した側にある想いと、見た側でわき起こる想いは、やはり必ずしも一致しないと思うし、そういう意味では静止画は想像力をかき立てられるものだと思う。
その静止画をもっとも的確に残す事ができるのは…やはり私はスチルカメラによる、一瞬の撮影ではないかと思う。
古くさい考え方かもしれないが、写真とはそういうものじゃないかと思うワケである。
なるほど、4Kカメラの定義ってのはそう言う意味でしたか。
世の中どんどん便利になって、誰でも簡単に使える道具が増えましたよね。
車はATが当たり前になったし、家電はマイコン搭載が当然になったし。
使い易い道具って言うのは当然普及するし便利だと思うんですが、趣味の世界は別かなと思ってます。
私も武上さんと同感で、動画を撮影してそこから写真を切り出す事に寂しさを感じます。
便利で失敗が少ないと言うのは重要だと思いますが、なんだか写真を撮っている気がしないというか…
古臭い考えかもしれませんが、シャッタースピードや絞り、露出補正、フォーカス等を自分で決めて(カメラ任せも含めるけど)、その上で一瞬しかない瞬間を捉える努力をするのは欠かせないですね。
苦労した分、記憶に残る写真と達成感(もしくはがっかり感w)が得られると思ってます。
あー書いてたら写真撮りたくなってきた。
連休中どこかに撮影に行こう…
最近はMFも練習中で、どんどん時代を逆行中のruserでしたw
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私は言ってるほど拘りの写真を撮っていないので、人の事は言えないのかもしれませんが、動画からの切り出しの一枚は、どうしてもそこに込められたメッセージが薄いと思うんですよ。
たとえほんの少しシャッターチャンスをハズしていたとしても、その画の中に込められたメッセージがその写真に価値を与えるのだと思っています。
ま、この考え方も利便性の中にかき消える日が来るのかも知れませんが、少なくとも今はまだ納得のできる一枚を動画から切り出すだけの技術には至っていないように思います。
MFで納得のいく一枚を撮るのは至難の業とは思いますが、がんばってください。
私は物陰から生暖かく見守っていきます(爆)
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