パネルばかりが先行してるように思う…。
品質認定
米国ラスベガスで開催されているCES 2016において、UHD Allianceが“Ultra HD Premium Logoプログラム”を発表した。UHD Allianceは電機メーカーや映像業界、配信業界など、映像の制作や配信に関わる業者が集まる業界団体で、Ultra HD(4KやHDR)の技術的仕様等をルール化している。今回、このロゴやプログラムが策定されたのは、その映像品質を認定する為なのだが、品質認定そのものを業界が一丸となって認定するという事は、実は史上初の事で、何故今のタイミングでこうした品質認定を規格化する必要があったのか、興味のあるところである。
私の私見で言えば、要するに4KやHDRという、より高品位な規格が登場したとしても、それに追従するいろいろな技術が確立され、既に簡単に技術的理解を得られにくくなってきた、という事ではないかと思っている。
また、映像規格などは国によっても様々で、そうした面から見ても一概に4KとかHDRといっても、全てが統一された品質で提供されていないという事も関係あるかもしれない。
そうした、様々なところで出てきたほころびを、どこかでちゃんとした決め事の上で統一しなければならない…そうした考えが、品質認定に繋がっていったのではないかと思っている。
問題は作る側
映像は表示する側と撮影する側、そして制作する側の3つを考えなければならない。
もちろん、それぞれの立場に難しいハードルは存在するのだが、表示する側は表示させる為のデバイスの技術が確立すれば、それを生産体制に載せれば良い。
撮影する側も撮影機材が4Kに対応していけば、あとはハードの問題である。もちろん、そのハードの能力が高くなければ処理に時間はかかるのだが、処理そのものはハードの性能に依存する為、技術開発さえ続けていれば時間の問題…と言い切ってしまえるかも知れない。
ところが…これが制作する側で考えると実は穏やかではいられない。
特に最近の映像作品はCGで制作する事が多いが、これはCGの制作過程で処理能力だけで事が済まない事も多い。人が手を掛けて修正したりする必要が必ず発生し、その修正をした後にさらにハードウェアによる処理が必要だったりと、制作する側は純粋にハードウェアの能力に依存すれば良い、という事にはならない。
今回のUltra HD Premium Logoプログラムでは、その解像度は4Kでなければ品質認定されない。
となると、こうした映像を制作する上で品質認定作品をつくるという事は、単純に4K映像を制作するという事になるわけで、制作する側からすると手放しに喜ぶ事ができない。もちろん制作コストに直接跳ね返ってくるからだ。
現在、映像制作メーカーの多くは、フルHD/HDRでの映像を手がける事はあっても、まだ4K/HDRでの制作をしよう、というメーカーはほぼない、と言える。
4K解像度での制作コストが安くなれば、また話は変わってくるが、現時点ではそこに至っていない事が、制作サイドの歩みを遅らせているように思う。
4Kテレビの普及
このように、制作する側の4K解像度への踏み込みが甘い現状で、4Kテレビは普及するのだろうか?
フルHDのテレビが国内で普及した最大の原因は、エコポイント制度もあったが、オリンピックが一つの起爆剤だった。だが、それと合わせてHDDレコーダなども売られたが、それに搭載するBlu-rayという光学メディアの普及は、実は思った程普及しなかった。
DVDが普及した最大の功労者はPS2だったわけだが、PS3はBlu-rayの起爆剤にならず、Blu-rayを支えているのはアニメファンだったワケで、これは今もって現在進行形である。
つまり、普通の実写映像媒体を見ている人のほとんどは、現時点でもDVD品質であってもあまり問題視していない事実があり、高画質を求める層はアニメファンという事になる。
アニメといえば、現在CGでの制作になるわけで、4K映像を作る場合は当然その制作コストがバカ高い事になるわけで、現時点では4Kによる制作を行うメーカーは存在しない。
こんな状況で4Kテレビは普及するのだろうか?
オリンピック需要がある、という人もいるが、現時点でフルHDで満足しているしている層が、ただオリンピックだからという理由で4Kテレビへと買い換えるとは思えない。
まぁ、テレビの買い換えサイクルを7年とすると、その買換サイクルで2016年あたりにテレビを買い換える人達がいるかもしれないが、高画質を必要としない人達がこの買い換えで4Kテレビを買うとは限らないのである。
業界の思惑とのすれ違い
何となくだが、メーカーと消費者の間に大きなすれ違いが生まれているように思えてならない。
しかもこのすれ違いは、同じメーカーといっても、そのメーカーを細分化した中にも存在していて、目指すべきものに対して現状が追いついていない事実を埋めきれないまま、業界が進んでしまっているというところがある。
もちろん、誰かが推進せねば技術も発達しないし、技術が発達しなければコストも下がらないわけだが、その足並みのそろわなさぶりがものすごく顕著に思えてならないのである。
2016年は、このすれ違いがもう少し噛み合うようになってくれれば良いが、果たしてどこまでいけるのか…。
とりあえずは傍観するしかできないが、上手くいくことを祈りたい。