もうね、TPPやめたら?
環太平洋戦略的経済連携協定
TPP、つまり環太平洋戦略的経済連携協定は、当初、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4ヶ国の経済連携協定として始まった。
その後、アメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルーの4ヶ国を加えて拡大交渉が開始され、そこにマレーシアを加えた5ヶ国が加盟交渉国として当初の4ヶ国との拡大交渉会合を行い、2011年11月12日に大枠合意した。
最終的にはメキシコ、カナダ、日本がそこに加わり、現在は12ヶ国による交渉がそれぞれ行われており、途中、韓国や中国、台湾、フィリピンなども参加の意向を表明したりと、加盟国は増えつつあるように見えている。
だが、そもそも環太平洋戦略的経済連携協定は、自由貿易を確立する為の協定といいつつも、各国の有利・不利の問題が常について回るため、中々合意できる内容に昇華できないのが現実で、それはどの国も自国に不利になるような協定は結べないという、当たり前の言い分が表に出ている為である。
何しろ、各国で経済状況が異なり、またGDP等にも大幅に差があったりするのだから、簡単に決まるハズがない。
まして得意とする産業も異なるわけで、互いに得意とする産業に対して不利になるような協定は結べない。さらに特定産業が不利だからと言って相手に大きく譲歩すれば、それは即ちその産業を相手国にすべて委ねてしまう事にも繋がり、本当の意味での自由貿易からかけ離れてしまう。
そもそもが難しい協定である事は、言うまでもなくわかりきった事である。
そんな環太平洋戦略的経済連携協定、通称TPP協定に日本も加わろうというのだから、相当に慎重にならないと、後でとんでもない事になりかねない。
著作権
私がコンテンツを扱う仕事をかつてやっていた、という事も関係してか、未だに著作権に関わる仕事をしている人との付き合いがある。
そういう人と話をすると、最近よく出てくるのがTPP協定の話である。
このTPP協定の中には、コンテンツの著作権保護を目的とした話も出ていたりして、変な合意の仕方をすると、今まで問題なかったものがイキナリ問題になって裁判沙汰になりかねない。
特に米国は訴訟大国とも言われているのは周知の事実。ここと著作権問題で裁判なんて事は、もはや日常茶飯事である。
コンテンツはモノとして存在はしているが、時には情報として存在していたりするものもあるため、その扱いは実に多岐にわたる。
情報が入ったモノの取扱から、その情報にアクセスする行為、複製といっても個人所有に関してのみの場合もあれば、個人で視聴を目的としたものもある。さらに視聴といってもネットワーク経由での視聴もあれば、物理メディアから直接再生させる視聴もあったり、広範囲に対しての放送という側面もあったりする。
それら一つ一つの行為に対して、保護されるべきものだったり、自由だったりという事を決めていくワケであり、それだけでも大変なのに、それぞれのコンテンツの素性によって変えていく必要もある。
そういうのを一つ一つ決めていくのが理想なのだが、既存コンテンツだけでなく今後新たに出てくるものも対象となるため、結局一つ一つではなく、包括的な内容として詰めていく必要があるワケで、非常にデリケートでややこしい話が毎回行われる事になる。コンテンツの著作権に纏わるTPP合意とは、そうした複雑怪奇な諸条件を加味した上で、毎回行われているのである。
意味はあるのか?
正直、あまり政治の話をBlogで書かないようにしているのだが、TPP協定の合意って必要なのだろうか?
今までテレビなどでも散々と言われているが、この協定にメリットがほぼ見えてこないのである。確かに一部の生産環境は得になるかも知れないが、そもそもがいろんな産業で独自のブラックボックスを持っていて、それがその国の特徴になっていたりもする。TPP協定ではそもそもその特徴を潰してしまう事も考えられるワケで、何がメリットになって何がデメリットになるのかが非常に見えにくい。
さらに言うと、昔からある産業でもその難しさが際立つのに、新しい産業、特にソフトウェア産業だったり、コンテンツ産業だったり、とにかく情報が主体で扱われる産業は、著作権や使用権、所有権などいろいろな権利の相互関係なども考えねばならず、その難しさは他産業のさらに上を行くように思える。
こうした事を協議し、自由化を目指そうとしているのだが、どれだけの時間と予算を費やしているのか? とか考えると、ホントにメリットが見えてこない。
費用対効果という言葉があるが、効果に見合った費用ではない気がするのである。
グローバル化
いろいろな市場がグローパル化を求められている、とはよく言うが、TPP協定があろうがなかろうが、求められている事そのものは変わらないし、やらなければならない事も変わらない。
ただ、そこにTPP協定というものを加える事で、協定を結んでいる国と自由貿易をする上で関税問題がそれに則る、というだけの事である。そこには恐らく何ら意味はないと思う。
そこに著作権の問題だの、使用権の問題だの、所有権の問題なんてものがいろいろ複雑になって、国民の生活が窮屈になるようなら、私は別にTPP協定というものなど不要だと思う。
アメリカの圧力で日本も参加せざるを得ないのだとしたら、あらゆるものに対して相当に偏見のない人がそこに入って検討しなければならない。
最近の日本の一般常識は、どこか一般でない部分があったりして、それはイコール発言力のある人が著しい偏見を持っているからではないかと思う時がある。
そういう人は、本当の意味でグローバル化していく上で面倒な存在になっていると思う。
このような人がいる限り、TPP協定に関わる人に関しても、人選からして間違えると大変な事になる。
いっその事、辞めてしまえばいいのに…と思うのは私だけだろうか?
ただ私は、いろんな産業に対して価格競争に負けるから、というだけの理由でTPP協定を否定しているのではない。
価値を創造できれば、価格競争に負けるという発想そのものがなくなる。日本は、未だそうした価値創造という部分で出遅れている所がある為、そこは自らを変えていく必要はあると思う。
…なんか、妙に真面目な内容になってしまった。
ただただ、TPP協定で生活しづらい世の中になって欲しくないな、と考えているだけなのだが。