もうね…毎回疲弊するんですよ orz
本音と建て前
私は今の勤め先で基本的にISOのシステムを管理するという業務を行っている。
もちろんそれだけをしているわけではないのだが、マネジメントシステムのマニュアル管理だったり、業務上作成される記録の管理を行ったりしている。
だが…実際、そんな綺麗に業務が管理だけで終わる事などなく、時に記録の作成そのものを私がしなければならなかったり、また業務上利用する手順書の改訂を私自身がしなければならなかったり、と、システムを理解していない人達がいる事による“穴埋め”をしなければならない実態があったりする。
こういうのは、マネジメントシステムを全社員が理解していて、それらを手順通りに実行して記録を作ってくれたりしていれば、まさに私は管理だけやっていれば良い話になるのだが、まずもって原点となる“システムを理解する”というところから問題があって、全社員を対象にマネジメントシステムの教育をしても理解されず、結局細かい穴埋め作業を担当者である人達(私含め若干名)が実施しなければならなかったりする。
ハッキリいって、こんな事を大声でISOの審査で言えたものではない。
何故なら、ISOの審査ではこうした記録類の作成含めた業務の遂行は、各部門がちゃんと自分達で実施している事が前提になっていて、全員がシステムを理解しているという事を当たり前の話として受け止めているからだ。
ISOの認証を受ける為に文書を整え、行っている業務の実態を明確にする記録を作成するのは、結局は一部の人間の業務になってしまっている実態は、多分ISO認証を受けている企業の多くで同じような事が行われている可能性が高い。
私に向かない
実際、ISOの外部認証機関の審査(これを一般的に外部審査という)を受ける場合、その窓口となる存在が責任者と共にその審査に張り付く。
この存在、私の勤め先ではほぼ私になるのだが、私としては誰かに変わってもらいたいと思いつつ既に8年くらい続けている。
結局、その窓口をするようになった事が原因で、ISOの管理者みたいな立ち位置になり、現在に至っているわけだが、そもそも私は文書などの管理という業務には恐ろしく不向きだったりする。
元々、企画屋だった頃から、従来の常識などを覆すような発想で企画を立てる事を生業としていて、どちらかというと従来の規制の隙間を抜けるよう生き方をしていた人間が、その行為とは全く逆の、決められた規格に沿って手順を作ってその通りに実行するという業務を行う様になったワケだから、体が未だに馴染まない。
ルールで自分を追い詰めていくような業務スタイルになってしまっているので、精神的にも非常によろしくない。
このBlogも「テキトーなライフスタイル」をモットーにしたBlogである通り、本来の私はテキトーに生きている存在なので、最近は仕事を楽しいと思ってやったことは全く無い。
仕事を楽しくできるような環境にある人は珍しいのかもしれないが、前々職がそうした業務だった為に、今の私はストレスをひたすら溜め込む状況にあるといっていい。
何故、今のような業務の担当となったのか…。
全ては数年前の「当たり前の事をやった事」が原因だろうという事はわかっている。
バカ正直だったのが間違い
正直者はバカを見る…。
そんな言葉があるが、私がISOの担当者となったのは、まさしくその言葉が当てはまるような状況が原因だったのではないかと思っている。
8年程前、私は事務方の仕事をしているという理由で、社内認定としてISOの内部監査員教育を受け、内部監査員として認定された。
別に私だけでなく、当時の事務方のほとんどの人は内部監査員資格を社内認定として受けていたので、通過儀礼のようにその認定を受けたのだが、そうした認定を受けたが故にその年の内部監査員に指名された。
内部監査とは、社内の人間が自分の所属している部門以外の部門を監査し、問題がないかを確認し、問題あれば指摘し是正を求めるという行為なのだが、そこで私はあまりにも当たり前な問題に気付き、それを結果記録に明確に記載した。
その問題というのは、ある部門の年間取組目標が途中で変更されていたという事について、明確な理由がないのに目標が変更されているという問題だった。
通常、こうした年間取組目標というのは、経営者への実績報告などをするマネジメントレビューの結果から経営者より次年度の指示が出て、その指示に応える為に設定する目標なので、それを途中で明確な理由もなく変更している事はまずもって間違いだったりする。
もし変更するのなら、どういった理由で変更し、それを経営者が承認しなければならない。そうでなければ、マネジメントレビューからの経営者指示を無視した事になる。
私はその事を、当時の別部門の上長に指摘し、明確な理由を説明する事、そして経営者から承認をもらう事の是正を求め、そうした記録を書いたのである。
ところが…会社では従来ここまでの是正を求めたりする行為はしておらず、言わば馴れ合い的な感じで内部監査が実施されていて、私の内部監査指摘はそのまま第三者認証機関の審査、つまり外部審査で、大きく取り上げられる事となってしまった。
その際、外部審査員が私が書いた記録を見て「当然の指摘であり、これをちゃんと指摘できる審査員がいる事が素晴らしい」などと経営者に言ったのが問題だった。
気付はその翌年から審査員として常連となり、挙げ句の果てには外部審査の窓口として業務の最前線に立つ事となってしまったのである。
正直に言って、私は別段変わったことをしたつもりはない。
当たり前の、出来て当然の事を記録として書いただけなのだが、周囲はそうではなかった、という事である。
時として、正直者はその正直さ故に、望まぬものも抱え込む事になる。多分、そういう事なんだろうと思う。
毎回が消耗戦
そんなワケで、その時以降、私はISOというマネジメントシステムを業務の中核として持ち、会社のIT関係ふくめあらゆる業務の補佐など、特定の業務に収まらない業務を仕事としている。
今回のように、外部審査機関の審査の対応も毎回のように実施するのだが、審査ともなれば、精神的に毎回が消耗戦である。
何を聞かれ、どのように答えるかという、ある程度パターンは決まっているものの、捉え方で答えが変わるという神経をすり減らすような攻防戦を繰り広げている。
しかも、外部審査員によって回答も変わったりする為、何が答えなのかがハッキリしない時もある。一応、規格の話だから、基準はあくまでも規格書に従ったものになるのだが、解釈の違いで同じ答えが出てこない事も多い。
それ故に、私などでは毎回が消耗戦である。
今回の審査は環境ISOの審査だったワケだが、次は医療のISOが控えている。難易度からすれば医療の方がずっとレベルが高いが、それ故に対応するメンツも環境ISOよりは強力なメンバーが揃っている。
逆にまだまだメンツが揃いきっていない環境の方が、私にかかる負荷は大きく、審査があるというだけで、精神的に追い詰められる…そんな事の繰り返しである。
仕事だからやむを得ない…。
そう思って今もずっと続けているが、正直、この業務の担当になってから、仕事を楽しいと思った事はないし、またシステムを預かっているにも拘わらず、それを広く認知させる事に苦労ばかりしている。
他の社員の人達も、悩むくらいシステムを理解してくれれば良いのだが、作業実務を伴っている人の場合、その作業実務を行う事が一種の免罪符になっていて、結局私の手元に理解されない業務が戻ってくる。
これから先も、このような事が続くのだろうか?
周知教育や日々の活動に対しての取組みをどんなに説明しても、この状況が変わらないのは、私が問題だからだろうか?
こうして、また私の悩みは深くなっていくのである。