いろんな所で平成最後と言われているが…。
それでも私は生きていく
平成30年という年があと1時間足らずで終わる。
今年はいろんな所で「平成最後」という言葉を聞いたが、確かに暦で言えばそのとおりだがそういう言葉を使っているものの内容を見ると、別段「平成最後」だからという意味をあまり感じるものもなく、単に日本人特有とも言える○○記念日っぽい意味をこじつけのように持たせているだけに思えて、改めて「ああ、やはりココは日本なんだな」と感じる。
私は、一般とよばれる平均的な人々より感動が薄く、またどこか常に冷静な自分が脳内にいるような人間だと言われたことがあるのだが、このようないかにも日本人っぽい思考をしないので、自分でも「情緒も感動もないヤツだな」と思う事がしばしばある。
結局のところ、来年は1月1日から平成31年が始まり、4月30日までは平成が続く事は間違いない。単に5月1日になれば新しい年号の年が始まり、2019年は平凡に続いていく。
もちろん新しい天皇陛下が即位し、日本という国としては一つの区切りが始まるわけだが、私としては多分何も変わらない。
心持ちを正す事はするかもしれないが、日々の積み重ねを続けていく事はそのまま継続する事になるだけの事である。
…やはり私は感動が薄いヤツだな。
こういう思考をする度にそう思う。
願うは平穏といいつつ…
そんなワケなので、私が2019年に望む事はまず最初に「平穏である事」といいたい。
とにかく2018年はトラブルが非常に多かったように思う。
致命的な問題に直面しても、何とか切り抜けられた事は間違いないが、できれば出会いたくないトラブルばかりに出会った。
特に母親のスプレー缶事件とPCのIRST事件は繰り返したくない事件である。
なので2019年はそうしたトラブルがなく、できれば平穏であって欲しいと願う。
が、日常生活そのものは平穏を望んでいるかというと、別段そうでもない。
というの、私自身現状の生活を続けていける幸せは感じてはいるものの、現状の生活に満足しているわけではないので、2019年は外部からの神がかり的なパワーを授けてくれないかな、と都合のいい事を考えていたりする。
特に仕事に関して言えば、決して満足していない。それは報酬という意味ももちろんあるが、業務内容に関しても苦手分野ばかりを背負い続けて早6年が経過している事もあり、自分が得意とする土俵で戦わせて欲しいと思っているところがある。
…でも今の職場ではジャンルが違い過ぎて戦えないと言う問題もあるので、結局は今の状況を続けていくか、それとも新天地を夢見るか、という事になるが、年齢的な事を考えると流石に新天地というのは危険極まりない話。
やはりここは神がかり的な力を授かるしかない!
…思いっきり他力本願だな(爆)
というわけで、2018年も当Blogをお読み戴いた方々には感謝です。
来年もテキトーに生きていくので、調子は変わらないと思います(ぉぃw