何故4月1日に発表としたのか?
令とは君主の命令の事
本日、エイプリールフールという日に、次なる新たな元号「令和」が発表された。何故エイプリールフールという嘘に直結する日にこんな大切なものを発表したのかという事については、大きな違和感を感じるのだが、年度始めという事で本日発表というもっともらしい言い訳を聞かされれば、まぁ納得できなくもない。
世間ではいろんな元号が予想されていたが、そのほとんどはカスリもしない結果だったと言っていたが、東大王の水上颯氏は「和礼」と予想していて、おそらく日本で一番近い予想をした人物ではないかと思われる。
私自身、真剣に予想していたわけではないが、中に含まれる漢字として「永」という文字が来るのではないかと予想していただけに「令和」は意外でもあった。
ただ、漢字一文字ずつの意味を読み解いていくと、ああ、なんとなく安倍内閣の今後の政治スタイルを組み込んできたのかな? と思わなくもない。
というのも、「令」の意味は元々は「君主の命令」という意味がある。その後、法律を意味する言葉として時が過ぎていくのだが、意味的にどうしても「君主の命令」つまり日本という国の政治的頂点にいる人物の命令とイメージしてしまう。
また「和」は言うまでもなく「おだやかな様」を表す意味なので、つまるところ「令和」とは「主君の命令にはおだやかに従え」と言われているように思えてならないのである。
…ま、考えすぎだろうし、本来想定している意味と違うだろうから、私の思い込みでしかないのだろうが、予想を斜め上に行った「令和」という言葉の意味は、人によってはこんな解釈もある、という話である。
昭和を夢見る
「令和」という元号から感じる意味として、もう一つ感じたのが「昭和」のような時代にしたいという意味もあるのかな、という事である。
「昭和」は、戦争に突入した時代でもあるし、初期の頃はよくないイメージすら部分的にあるのだが、それでも当時日本という国が世界でも影響ある国に成長していたのも事実であるし、戦後の復興も凄まじい勢いがあったし、何よりあらゆるモノが爆発的に発展・進化した時代でもあった。
昭和末期にはバブルが弾けて経済が大打撃を受けていたのも事実だが、それでも「昭和」という時代だけで見れば世界的にも稀なぐらい、発展した時代である。
平成はバブルが弾けた頃から始まった時代でもあるので、経済的には非常に質素なイメージがあるし、とにかく大きな災害に見舞われる事も多々あり、抑制された我慢の時代というイメージもどこかにある。
そうした平成の流れを、一度昭和に戻したい…そんなイメージがしないでもない。
個人的には昭和の経済爆発がもう一度来るといいなとは思うが、世界的に見てもそれはあり得ない事は目に見えている。せめて国内の経済格差が一度リセットされると思えるような経済的安泰が来るといいなとは思うが、その為には基礎研究にどれだけの予算をつぎ込むか、また海外の巨額資本から国内を守る基準が必要になるので、政府にはそのあたりぐらいは期待したいところである。
勘違いが多い
あと、今回の新元号発表に関して、変な誤解をしている人を多数みかけた。
3月31日に「平成最後の晩ご飯を公開」とか言って、Twitterとかに夕食の写真を載せていた人がいたりしたのだが、彼は4月という1ヶ月を断食するつもりだったのだろうか?(爆)
そう、4月1日に発表というだけの事なのに、4月1日から新元号になると思っている節の人々が一定数いた、という事である。
私は最初からそんな間違いはしていなかったのに、どうしてそんな間違いをする人がそれなりの数でいたのだろうか?
いつの時代にもいるのかもしれないが、一定数は「人の話をちゃんと聞かない」という人がいるという事なのだろうか?
それとも、元号に関する話なんてその程度、という人が多いという事なのだろうか?
どちらとも取れなくもないが、今の時代に元号が本当に必要か? という思いがあるのには一定の理解はする。
正直、和暦と西暦の変換で仕事でも困惑する事が多いのも事実で、グローバル社会を謳っていくなら西暦で統一すればいいじゃないか、と思う事もあるが、日本が古来より続けてきた和暦を止めるというのも日本文化を蔑ろにしてしまいそうな感じがするワケで、このあたりは一定の線引きは必要とは思いつつも、元号はないよりあった方がいいと思っている。
元号にあまり関心のない人も多いかも知れないが、日本の歴史を語る上では外せないものでもあるので、せめて新しい元号が始まる日ぐらいはちゃんと理解しようよ…と、Twitterで晩飯公開した人には小一時間問い詰めたい気分である。
さて、平成も残りあと1ヶ月。
「令和」の時代は希望に満ちた時代になるといいな、と切に願い、綺麗に纏めるとしよう。