形的に夏休みが終了した。
公儀的休暇の終了
8月11日から始まった今年の夏休み。
正式には8日間という期間にわたって休みだったわけだが、実際それだけの休みを経験したかというと、自分的にはそんな感じには受け取れないというのが、率直な感想である。
ただ、仕事をしている身としては、実際には8日間の休みが出ていたワケで、じっくりと休めたと言わざるを得ない。
何となく、不自由な感じだなと思いつつも、それは多分私だけの思いではないだろうな、と世間の人の事も考えて見たりする。
この8日間で、私的にもっとも休みを実感したのは、FF14においてようやく進行度が40%ぐらいになったという事ぐらいだろうか。
メインクエストを終わらせるには至らず、まだまだやる事が残った状態というのは、それだけのボリュームがあるという事で喜んでイイことなのかもしれないが、キメが悪いのもまた事実である。ま、このFF14の進行については、他に問題が出てしまったので、またBlogでその内容を書いてみたいと思う。
このFF14の件以外で、休みを実感したという感じが全くないのは、毎年恒例のイベント的な事を一切やっていないからかもしれない。
最近、このような気持ちの切り替えというのが、上手く出来ていないなと感じるのは、区切りを思わせるようなイベントを実感しないからかもしれないな、と真剣に思うようになった。
ホントは変わりたい?
休みがあったから…というわけではないのだが、私自身、今の状況があまり好ましくない、と思っている節がある。
それは仕事の面でもそうだし、生活面でもそうである。
しかし、何かの変化を与えるには、当然失うものもあり、その失うものの大きな要素としてお金が絡んでくるとなると、そうそう変われないという事実が直面する。
自分の努力云々でどうにもならないものが立ちはだかると、ただひたすらストレスが溜まるのだが、今まさにそんな状況にいるのかもしれない。
ただ、人によっては「自分の努力云々でどうにもならないもの」がそもそも自分で本当にどうすることもできないのか? と言うかも知れない。
お金の問題だとしても、それをどうにかできるだけの知識と判断があると、案外どうにか出来てしまうケースもあるので、私の考えは単に“甘え”だという人もいる。
確かにそうかも知れない。
まず自分の認識を変えていかねば、大きな変化など臨む事はできない、というのは、世の真理かもしれない。
ただ、ほとんどの人はそういう場合でも一歩を踏み出す事を躊躇う。今ある平穏を乱すよりは、平穏をそのままにしておく事で安泰を得られるのなら、好んで乱す事をしたくないのもまた真理である。
静と動。
変化を望むなら「動」を執らねばならないのだが、ここに迷いが出てしまう。
この迷いを咎める事が出来る人は、自ら苦難の道を選んで飛び込める人ではないかと思う。
毎日が停滞してしまった中で生きていく事の窮屈さを感じつつも、実はそれが幸せな事である、という事を理解してしまうと、なかなかこの平穏からは抜け出せない。
ただ、その平穏が本当に自分の望んだ姿なのか?
最近、そういう事を妙に意識してしまっている自分がいる。
休みが明ける事で、一度この自分の思いというものに向き合う必要があるのかも知れない。