古代ケルト起源の収穫祭のなれの果て。
Xmasより盛況
今年もハロウィンの季節がやってきた。
昨年は渋谷で暴徒化し事件にまで発展した為、今年は条例等を整備、酒類の販売抑制と飲酒の禁止等で事件を抑制しようという動きを取っている。
おそらく、こうした活動の周知によって、ある程度は沈静化するとは思うが、そもそも制定した条例は罰則規定を持つものではないので、強制力がほとんどない。飲酒はとまらないだろうし、指定エリア以外から酒類の持ち込みも行われるものと思われる。
このように、昨年大爆発したハロウィンは、既にイベント規模としてXmasより盛況になっている。
何故Xmasより盛況になったのか? を分析するのは学者の仕事とは思うが、私なりに思うのは、コスプレという行為と直結しているからではないかと思っている。
近年の日本では、コスプレという行為そのものが随分と周知されるようになり、またコスプレを伴うイベントも、結構な頻度で行われるようになった。
その一環でハロウィンという大きくコスプレできるイベントがあるとなると、人々としては入り込みやすい、という状況が生まれたのではないかと思っている。
ハロウィンには大きく3つの特徴があるが、不思議と日本に取り込まれたのがこのコスプレだけのように思える。
要素の一つとして「ジャック・オー・ランタン」というカボチャのお化けがあるが、これは真・女神転生好きな私にはなじみはあるものの、日本全体としてはあまり知られていないように思える。
またもう一つの要素として「トリック・オア・トリート」という子供が「いたずらか、それともお菓子か?」という、お菓子を集めて回るものがあるが、こちらも周知はされているものの、ハロウィンのイベント内容としては広まりは小さいような気がする。
結局、一番広まっているのはコスプレ(仮装)というもので、しかもその内容が古来のハロウィンとは全く関係のない内容になっている。
端から見て「端に騒ぎたいだけでしょう」と言ってしまえるような状況が、今の日本のハロウィンではないかと思える。
抑制された感情
私はこの「騒ぎたい」という欲求が、今の日本人の奥底にあるのではないかと思う時がある。
日本人は、日頃から結構自制した行動を要求されている側面がある。これは海外の人からは顕著にそう見えるそうで、日本人とは自分を表に出さない人、と見えるそうである。
つまり、コスプレとは自分でないものになりきり、抑制された感情を解放させる免罪符的な行為なのではないかと考える。
ある意味、日本人とは「とてもめんどくいさい人種」という感じが私にはするのだが、これも偏に民族性という事で片付けられてしまう事なのかもしれない。
ただ、世間的にこの民族性は徐々に変わりつつあるのも事実で、特に若者世代と呼ばれる世代では時に感情や自己主張を外側に向けていく事を良しとする流れもある。
ポイントはそうした流れを良いものとして受け止めるか、或いは行きすぎたものと受け止めるかで、また評価が変わってくるという事ではないかと思っている。
私自身、海外の自己主張の強さが良いとも思っていないので、さじ加減の難しさはいろいろある話ではないかと思う。
今後の在り方
私自身がお祭りを嫌う傾向の人間なので、ハロウィンの今後の在り方を語る資格はないのかも知れないが、周囲に破壊行動を行わない、人を傷つけない、汚さないといった、最低限の行動規制がかかるようであれば、そのままで良いのではないかと思う。
あえて条例をキツくする必要も無いだろうし、罰則規定を設ける必要もないと思う。
ただ、人々に対してモラルを求める行為は続けていかなければならないと思う。
これは日本人だけでなく、日本にいる外国人にも共通して言えることである。
結局の所、このモラルを求める行為が受け入れられるかどうかが、全てではないかと考える。日本が日本たり得ている最大の理由は、このモラルの高さにある。ただ、そのモラルが崩れる恐れがあるから、今いろいろな対策を採っていて、そこにいろんな予算が投入されている。
問題となるのは、この予算が投入されているという部分で、人が集まるから、という理由だけで税金が投入されていることである。
そこで経済が回るような行為が行われているのなら回収もできようが、そうした事がないまま、ただ税金が投入されている。これを是正しないと、タダでさえ予算がないという行政の運用に支障をきたす事になる。
楽しむ人達が集まるのはいい。だが、そこに余計な負担がかかるようであれば問題である。
ただそれだけの事だが、防犯の観点からどうしても人が集まる事で余計な支出が発生する、というのが、今後含めて問題視されていく事ではないかと思う。
やはりこうした問題は一気に解決する事はないと思う。
ただ、だからといって放置できる事でもないので、地道にモラル追求していく活動を続けるしかないのではないかと結論づけたい。