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評価の分かれるNieR:Automata

Amazon.co.jpで評価が大きく分かれる。

ジャンルは何なのか?

NieR:Automataの評価がバッサリ分かれている。
絶賛する人もいれば酷評する人もいて、その真ん中にある人であっても、前作との比較で良作とする人も少ない感じ。
まぁ、注目されればそんなもんだろうな、とは思うものの、最近のゲーム評価というのは、良くも悪くも昔とは見ているポイントが違うな、と私は感じた。
いや、昔と異なるというより、単純に考える事だけで評価されているのかな、というのが私の考えである。
というのは、このゲームははたしてシューティングゲームなのか、それともアクションゲームなのか、それともRPGなのか、はたまたそれらの複合だとしても、定着するジャンルが何なのかが非常に見えにくい作品であり、そのどれかを期待している人からすると、どうしても中途半端感を感じる内容なのではないかと思うワケである。
私などは、ジャンル云々をいうつもりは全くなく、単純にそのストーリーの中にあるシーンに合わせた表現としてジャンルそのものを変えているんだな、という感じで受け止めているのだが、どうも世間ではそうした柔軟さをもった評価をしている感じがしない。
よく見る評価の中に「プラチナゲームスのアクションを期待」している人から、アクションが少ないのが問題という事が書かれていたりするのだが、そもそもそれはブランド買いしているに過ぎず、NieR:Automataという作品を買っているわけではないと私は思う。
もし、プラチナゲームスのゲームがガッツリやりたいなら、何もこんなに癖の強い世界観とシナリオを持つNieR:Automataを選ぶ理由はないと思う。
これは私が思っているだけなのだが、そもそもこのNieR:Automataはゲームとしてデザインする際、各シーン毎にどのような表現方法が良いか? という事をかなり綿密に検討しているように感じる。
というのは、そもそもがメカメカしい世界設定なので、どうしてもアクションさせる際にはシューティング色が強く出てしまう。
もちろんそれをアクションとして成立させる事も出来なくはないが、射撃による攻撃をもっとも端的に表現するとなると、ゲームそのものはシューティングゲームになってしまうように思う。
もしこれを問題視するならば、代わりにどのような表現だったらよかったと言う事になるのだろうか?
FPSのような、一人称視点にすれば良かったのか?
私はやはりそうは思わない。
やはり端的に表現する事にこそ意味があり、わかりやすさを求めるとその表現方法としてはシューティングゲームのようなトップビューもしくはサイドビューになるように思う。

究極のロールプレイ

また、ハッキングの表現として、ファミコンゲームっぽい2Dシューティングゲームを採用しているのだが、特に批判が集まっているのがこの表現である。
これが一度や二度程度出てくるのであれば、批判もそう多くはなかったのかも知れないが、コイツがまぁ2周目以降に頻繁に出てくる。こいつが評価の分かれ目か自分からハッキングを仕掛ける場合であれば、狙ったタイミングでこの表現に切り替わるのだが、逆にハッキングを受ける場合は通常の3Dアクションをやっている最中に、何度も何度もハッキングを受け、この2Dシューティングゲームの割り込みを何度も受けるので、それがうざったくて批判されているのだろうと思う。
だが…私はこのうざい割り込みこそ、プレイヤーに対してのハッキングではないかと思っている。つまり、プレイヤー自身がハッキングを受けている自覚を持たせ、それから自身を守ろうと思考している表現をこの2Dシューティングゲームで表現しているのではないかと思うワケである。
ハッキリ言ってウザイ。それは間違いない。
だが、これを繰り返す事で主人公とプレイヤーを同一視させ、自分がイライラする事と同じことを今目の前にいる主人公は受けているのだ、と感じて欲しいと制作サイドは考えたのではないかと思うワケである。
つまり、ここに批判を当てている人は、制作サイドの思惑に見事ハマッていると私は思う。
プレイヤー側としては、気持ちよくプレイしたい、と思うかも知れないが、今、プレイヤーの目の前にいる主人公たちは、目まぐるしく移り変わる物語の中で、あらゆる外的要因といろいろな方法で戦い続けているワケで、それをプレイヤーが追体験するというのは、ある意味、究極のロールプレイである。
そう考えると、ウザイ表現もまた違った見え方になるのではなかろうか?

それでも娯楽なのだから

と、ここまでNieR:Automataを擁護してみたが、ゲームとは本来何なのか? という原点に還って考えてみると、やはり許容できるものとそうでないものがある。
もちろん人によってその幅はあるワケだが、今回のNieR:Automataの場合、許容できない人が一定数以上いた事は間違いない。
ゲームとは本来娯楽である事を考えれば、先程のハッキング表現は究極のロールプレイとしつつも許容できない類いかもしれない。
せっかくテンポよくゲームが進められているのに、そこに水をさすが如くチープな2Dシューティングをプレイさせ、しかも連続で何度も本筋を中段させてまでプレイヤーに強いるというのは、娯楽として許容できないという人がいても、それを誰も批判する事はできないだろう。
娯楽である以上、やはり楽しくなければならないワケで、そこで苦痛を強いるのはある意味愚の骨頂みたいなものである。
表現者はプレイヤーに強いても表現しなければならない、という強い意志をもってこの演出を組み込んでいるとは思うが、納得させられなければ意味はないし、娯楽の域を超えてしまってはゲームではなくなってしまう。
問題はその“娯楽の域”というのが、人によって幅のあるものだという事だが、許容値の広いであろう私から見ても、多少やり過ぎだと思う所がある。
なので、評価が著しく分かれたのだろうと思う。

あと、このNieR:Automataがもう一つ問題視されているのが、オープンワールドという表現方法を採った事である。
コイツは非常に危険で、自由度が増すかわりに極端にゲームを希薄にしてしまう要素が多い。
要素として希薄であれば、その世界の中の移動もまた長く感じ、ただ歩かされているという意識をプレイヤーに感じさせてしまう。
フロムソフトウェアのダークソウルやそのオリジナルとも言えるデモンズソウルが優秀なのは、そのあたりのさじ加減が非常に上手いという事。
ここのテイストを間違えてしまうと、評価ががた落ちするが、NieR:Automataはまさにこの部分の罠にハマッたタイトルだと思う。
おそらく、その罠の回避の為に「釣り」という要素を入れたのだろうと思うが、この「釣り」もまたほぼ意味を成さない行為なので、余計に評価を下げている。
もったいない話である。

私は許容

と、いろいろな側面で書いてみたが、評価している人のほとんどはストーリーのシナリオと、アクションの一部に対して評価しているのであって、ダメなところはダメとした上での評価である。
全く酷評をしている人は、ダメだった部分が良い部分の全てを潰してしまっているという感じなのだろうと思う。
私は比較的腰を据えてプレイするタイプなので、移動に時間がかかってもあまり苦にならないし、面倒だなと思える演出であっても、その演出の意図をいろんな方向から考えるので、その行為そのもので大体の事を許容してしまう(もちろんそれでもダメと思うタイトルもある事は間違いない)。
なので、私はNieR:Automataというタイトルは面白いと思っている。
その独特の世界観を高く評価するし、キャラクターだって良く出来ていると思っている。
なので、NieR:Automataというタイトルをプレイするかどうか迷っている人は、まず体験版を何度もプレイして、このタイトルはシューティングありきのゲームであるという事を十二分に理解してから覚悟を決めて欲しいと思う。
そもそも、ゲームだって表現者の表現の一つだという事をホントの意味で理解してから、その独特の世界へと旅立って欲しい。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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2 Responses

  1. ruser より:

    今の若い世代のプレイヤーは、ゲームに対して受け身だなと感じます。
    思っていたゲームと違うと酷評し、合ってれば絶賛するのは以前から傾向はありました。
    でも、膨大な数がリリースされる昨今では、切り捨てるのが容易になった為かより極端になってる気がします。
    昔はゲームの数も少ないし、「このゲームをどう楽しもうか」と、プレイヤーが試行錯誤したものです。
    特にニーアみたいな尖った作品は受け身じゃ駄目なんだと思います。
    ハッキングも、DarkSoulsシリーズの闇霊侵入みたいに鬱陶しさを感じつつも、楽しめる様になる…かも?w

    私は買ってませんが、やってみたいゲームの1つです。

    • アバター画像 武上 より:

      今や発売されるゲームの数が膨大なので、確かに切り捨てるのは早いかもしれませんね。
      NieR:Automataは、とにかく尖った作品なので、完全にハマる人は少ないと思います。
      それでもその尖り方に共感する人は少なからずいるワケで、そういう人達以外の人が、他作品と同列で比較して酷評しているように思えます。
      まぁ、そういう人のほとんどは、PVで引き込まれてプレイした、という人なんでしょうね。

      私のプレイ状況は、まだまだ先がある状態のところなので、しばらくはジックリと遊ぶ予定です。
      折角のオープンワールドなので、寄り道しながらいろいろ回収していこうと思ってます。
      ただ…コレやってるとFF14が完全に止まるんですよね(爆)

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