テキトーに生きる日々を積み重ねてきたデジタルノイズをお届けします。
日々の積み重ねはコチラへ
このろくでもない、すばらしき世界に生きる全ての人々に祝福あれ。
(function() {function signalGooglefcPresent() {if (!window.frames['googlefcPresent']) {if (document.body) {const iframe = document.createElement('iframe'); iframe.style = 'width: 0; height: 0; border: none; z-index: -1000; left: -1000px; top: -1000px;'; iframe.style.display = 'none'; iframe.name = 'googlefcPresent'; document.body.appendChild(iframe);} else {setTimeout(signalGooglefcPresent, 0);}}}signalGooglefcPresent();})();
Skip to contentお連れしましょう、テキトーなライフスタイルへ…
テキトーに生きる日々を積み重ねてきたデジタルノイズをお届けします。
日々の積み重ねはコチラへ
このろくでもない、すばらしき世界に生きる全ての人々に祝福あれ。
ずっと放置していたのだが、今更ながら始めてみた。
私はオリジナルのドラクエ3をリアルタイムでプレイした世代である。
しかも、当時行列に並ばないと買えない、という人気作だったにも拘わらず、知り合いから調達する事ができたため、並ばずに自宅で受け取れたというラッキーな状況でプレイできた。
なので、私からするとドラクエ3の思い出は良い思い出しかないぐらいの名作という認識である。
そんな私がリメイクされたSFC版をみて思ったのは…正統進化じゃねーか、という事だった。
性格というパラメータが加わった事で、成長幅に一定の振れ幅があったのも良かったように思った。
で、今回のHD-2D版である。
今回はSteam版を購入してPCでプレイするわけだが…長期にわたって放置していたのは、単にFF14をメインでプレイしているからである。
ただ、流石にそろそろプレイしないと、次のⅠ&Ⅱが迫ってくるので、ついに始める事にした。
グラフィックはめちゃくちゃ綺麗になっているので、見た目はOKだったが、キャラメイクで違和感を感じた。
性別じゃなくてルックス?
これ、ポリコレを意識してこんなのにしたの?
…バカじゃねーの?
幸い、性格をセクシーギャルにする方法は何となく覚えていたので、テキトーにさらっと性格診断したら、ルックスBでセクシーギャルになった。…結果が同じなら普通に男と女でいいじゃんと心底思った。
主人公以外のキャラに関しても、これと同様。なんでルックスなんて言い方でごまかそうとしてるんだろうか?
そういえば…ほりいゆうじもコメントで男女の別に関して何か言っていたような…。
世も末である。
で、いざプレイを始めてみると、各所に至れり尽くせりの仕様になっていて驚く。
RPGは多少めんどくさいぐらいのインターフェースでも良いと思っている私からすると、プレイ環境がイージーモードすぎて、コレ逆にダメだろ? 的な感覚に襲われる。
驚いたのは、レベルアップしたらHP&MPが全回復というヤツ。
コレ、宿屋いらないじゃん…。
というか、ただでさえアリアハンは主人公の自宅がある街なので、宿屋は不必要なのだが、その自宅での休息も不要ってどうなのよ?
それに、ダンジョンなどに潜り込んだ時、残りHPとMPをみながら、まだ進めるか? というドキドキがレベルアップで台無しになる。だって回復するんだから…。
あと…戦闘において、コマンド入力後にキャラの背後グラフィックが消えてしまうのは何故?
キャラの攻撃モーションをみられないようにしているのは、そのモーションを準備していないからだな? というのが丸わかりである。ここまでグラフィックに力を入れてますと宣伝してるなら、戦闘シーンで自前キャラが動くところを見せないと何の意味もないだろう? と思うのだが。
とにかくいろんなところに中途半端感アリアリだというのが序盤から見て取れる。
元が名作だけに、リメイクすればどこかにケチがつくのは仕方のない事だが、今回のはちょっとあまりにも酷すぎるものではないかと思う。
前回、無謀にも2級に挑戦したQC検定を今回は3級で受けた。
以前、私は品質管理という業務に就いている関係から、QC検定は受けた方がいいだろうという事で2級に挑戦したのだが、やはり無謀だったらしく、不合格に終わった。
その後、3級にダウングレードして受検するかなぁ…と漠然と考えていたのだが、母の介護をしたりしていると、平時に時間を採る事が難しく、そもそも勉強できないな、と受検そのものを控えていた。
だが、会社側が団体申込みでQC検定に参加する人員を集めているという話が出たため、それならば、と受検する事を決めた。それが昨年12月の話。
その後、ヒマを見つけては勉強をするにはするのだが、実践と手法の内、実践は何とか記憶力に頼る事はできるものの、手法では計算問題に関係する事から、なかなか頭に入らない日々を送っていた。
思い出すと、QC検定2級は、この手法部分で実際に計算する問題が出てくることから、時間的に非常に厳しい事を思い出す。3級でもおそらく手法が壁になる事は間違いない、と思いながら、勉強していた。
改めて思う。
私には2級は無理だな、と。
もうちょっと勉強法を考えないと、2級は合格できないと断言してもいい。
というか…もともと勉強の仕方を知らない私だけに、そこを解決しないとそもそも資格はとれないのかもしれないが。
3月16日、団体で受けたので規格協会指定の試験場ではなく、とある大学の教室を借りてのQC検定3級試験が実施された。
教室内には…ウチの会社の人間しかいないという、何とも緊張感の欠片もない状態。
だが、これが良い方向に働くかもしれない。
ただ、試験会場は試験官によって厳格に見られているので、当然不正など起きようはずもない。
そこで90分。正直、時間が余るという事は全くなく、2級の時と同じようにギリギリだった。
ただ、一つ分かったのは、3級の手法ではほぼ計算機で計算するような必要性はない、という事。だから日本語さえ理解でき、その計算の結果を予測し、答えの傾向がわかれば答えは導き出せるという事である。
ココが2級とは大きく違うところだという事がわかったところで、合格できるかどうかは別モノである。
というのも…今回ヤマをはった部分が全く出ず、あえて切り捨てた内容の試験が手法で出されてしまったからだ。
試験の問題用紙は、前半に手法、後半に実践の問題が出されているので、私は後半から手をつけたのだが、中盤に手法に取りかかった瞬間から、ヤマが外れた事で焦りを感じていた。
ヤマは外れたものの、全く眼を通していないかったわけではない。何とか記憶の糸を辿り、マークシートを埋めていく…。
90分後、とりあえず全力は出した、と思う。
もうこのBlogはほぼ死に体になってしまったかもしれない。
当Blogは、当初私が「毎日分更新」を目標に掲げて、28年位前に始めたものが起点になっている。
当初はBlogエンジンなんてものもなく、HTMLを自分で書き、そこにメッセージを埋めて日記風に見せていた。
その後、レンタルサーバに用意されたCSSとそれを利用するプログラムを使って、簡易的なBlogエンジンで書くようになり、独自ドメインをもっと全面に出そうと意気込んでWordPressを使い始めたのが2007年の5月、つまりこのBlogの最初である。
その後、2024年4月までは「毎日分更新」を続けたのだが、母の介護が始まり、自分の時間を採りづらくなった事などの影響から、そこで「枚日分更新」を辞めてしまった。
途中から、このBlogは私の生存確認を兼ねていた事もある。
というのも、私の前々職の人達とは未だに(かすかではあるが)繋がっているところがあり、私がちゃんと生きているという事を証明する手段になっていた。
今ではSNSが普及している事もあり、そうした手段はすべてSNSが兼ねるようになったので完全にこのBlogは私の趣味以外の何物でも無くなったわけだが、それをやめて約一年、継続しない事を選んだ事によって、本Blogはほぼ更新されないまま今に至っている。
人間、意地になっている時は継続できるものなのだな、と最近は思う事もあって、その意地を張らなくなった途端に、記事をアップしなくなってしまった。
昨今、SNSでは個人の表現が体勢に影響を与える事も出てきて、軽率な発言にも気をつけなければならない時代になった。
特にインフルエンサーと呼ばれる、影響力の強い人達の発言は、SNSでも十分に気をつけないとマズイ時代に突入した。
それ故に、各個人は情報の真偽を見極める必要が出てきたわけだが、何もそれはSNSがそうさせたわけではなく、以前からこの流れは何も変わっていない。
ネットにある情報は全てが正しいわけではなく、中にはフェイクもあるなんてのは、今の時代当たり前にわかりきった話である。
私もこのBlogでそうしたフェイク記事に誘導され、それに関する内容で記事を書いたことがあり、コメントで指摘された事がある。
私が記事を書いた時はまだ不確定情報だったのだが、その後それが間違いであった事が判った事で、私はその記事を訂正せずにそのまま乗せ続けていたのである。
自己表現をネットで行うというのも、中々難しい話だな、と今更ながらに思う。
だが、いざその自己表現を辞めてしまったら、今度は何か物足りなさも感じるようになった。
140字程度に収まる事を発信するのであれば、Xで発信すれば良い話だが、それよりも長文になりがちな私は、やはりXでは足りないものを感じる時がある。
Xをプレミアム登録すればまた違うのかもしれないが、この「何か足りない」という感覚をどうすべきか?
…悩む。
新NISAから始めた人は利益が出ている感覚がないのではないか?
私は新NISAが始まる1年前の旧NISAから、投資を始めた。
このBlogの過去記事を読めば判るが、NISAが始まった2014年には楽天証券に口座を作ってはいたものの、長期にわたって全くその口座を使うこともなく放置し、新NISAが始まる2024年の1年前、つまり2023年にようやくつみたてNISAを始めた。
しかも始めたのは2023年9月分からのつみたてなので、9月から12月までの4ヶ月の間に旧つみたてNISAの年間つみたて限度額の40万円を積み立てた。
新NISAが始まる際、旧NISAのつみたて分は新NISAのつみたて枠とは別枠になる、という精度から、最大1840万円の投資枠になると考えての事である。
結果的に、この最初の40万円分のつみたては、非常に功を奏し、今よりずっと大きな上昇額で利益を出したとみている。
が、新NISAが始まった2024年。
7月末くらいまでは順調に利益を出していたものが、8月9日になって大暴落。これによって得ていた利益が大きく失われるという事態が起きた。
これを考えると、新NISAになってからつみたてNISAを始めた人は、世間で言うほどNISAによる投資は利益が出ないと感じているのではないかと思う。
実際、私はこの時の暴落から、S&P500やオールカントリーだけのつみたてはいざという時に危険かもしれない…と思い、その2ヶ月後くらいに、国内のTOPIX連動による投信を新たに組み込んだ。
結果から言えば、TOPIX連動の投信は非常に振るわず、損益を出しているか、つみたて額トントンというのが今の状態で、本命のS&P500やオールカントリーは米国主体の投信ではあるものの、こちらの方がまだ利益は出ているかな、といったところである。
ただ、そのS&P500やオールカントリーの利益も、以前ほど出ているかというとそうではなく、大きく割り込む事もあれば延びるときもあるというのを繰り返し、結局は昨年の利益をある程度割り込むといった状態になっている。
つまり…新NISAから始めた人にしてみれば、利益率は決して高くないのでは? と思える状況ではないかと思う。
で、新NISAが始まった2024年1月以降に、私は成長投資枠でNTTの個別株を買った。この話も当Blogの過去記事にいろいろと書いた。
今、そのNTT株はどうなっているかというと…とんでもない損益にまみれている。
私がNTT株を購入した平均購入額165円に対し、現在は147円前後をいったりきたりしている。
一次は190円台にあったNTTだが、その価格に戻ることもなく、ずっと低迷していると言える。伸びていくポテンシャルはあると思っているのだが、NTT法改正の話などが影響しているのか、どうにも伸びていくことなく低迷を続けている。
この成長投資枠で購入できる金融資産は株以外にも投信もあったりするが、個別株の恐ろしさをこの成長投資枠で感じる事になるとは…。ただ、それでも損失は6万円前後くらいに留まっているので、まだマシな方かもしれない。
私がこの成長投資枠で個別株を買った事で、投資というものをもっと理解する必要性がある、と私自身の勉強になった事は、僥倖だと思っている。
そもそも、考え方など根本にある事をもっと理解する必要があると理解できたのは、成長投資枠で損益を出したからとも言える。教訓といえばいいだろうか。
あやうく新品を買ってしまうところだった…。
昨日、昼間まで普通に使えていたスマホ、iPhone13 Proが、夕方になって突然モバイル通信電波を受信していないという事態になった。
自宅で使っている時は基本通信はWi-Fiだし、ヘッドフォンなどの接続はBluetoothを使うので、通信ができていないなんて事に気づかなかったのだが、モバイル通信のアンテナピクトが全く立っていない事に夕方になって気づいた。
最初、それを見て「通信障害かな?」とも思ったのだが、母のガラケーは元気に3G電波を受信していたので「4Gだけ通信障害なのか?」と気になった事もあり、一応ネットで通信障害が発生しているか調べたのだが、ドコモ発表の情報では通信障害は2月に起きたのが最後で、どうも通信障害ではないらしいという事がわかった。
こうなると、私のiPhone13 Proに問題があるのか、となるわけで、それならば、といろいろ対策を講じてみた。
まず最初にやったのは、機内モードのON/OFFである。
これはモバイル通信の機能そのものを再起動する事になるので、リセットとしては的確な手法なのだが、残念ながらモバイル通信を再起動しても圏外は変わらずだった。
次にモバイル通信のON/OFFをやってみたが、何も変わらず。これはリセットしないので、機内モードのテストがダメなら期待薄の施策だが、一応試した。
次に…スマホの再起動を試してみたが、強制的に電源を落として、そこから再起動しても、アンテナピクトが立つ事はなかった。
…コレはいよいよ問題だぞ、と思い、物理的にSIMカードの接触に問題があるのかと考え、SIMカードを一度取り出して再セットしてみるも、アンテナピクトは全く立つ事がなかった。
更新を不定期にした途端、全く更新しなくなってしまった。
2025年に入り、正月に更新したまま、結局今まで一度も更新する事のない本サイトは、もう既に死に体になってしまっているのかもしれない。
ただ、時折私が毒を吐くためには使っていきたい…という思いもあるので、ただ垂れ流すだけの存在として、本サイトはとりあえず残しておこうと思っている。
というわけで、久々の更新である。
最近、資産運用について考える事が多々ある。
考えるほどの資産があるのか? という事に関してはもちろんないのだが、生活必要資金を除く、余剰金をただ通帳に入れておくだけでは、芸がない。
今の金利はそれほどにまで低く、メリットがない。
そこで近年言われているのがNISAという方法だという事は、過去、当Blogでも幾度なく発信してきた。
ただ、最近はそのNISAに関しても、以前ほどの効果を発揮仕切れなくなってきている。
2024年の8月に起きた大暴落以降、人気のS&P500やオールカントリーの投資信託の利益率が伸び悩んでいる。
その前年までは、とにかくS&P500やオールカントリーの投資信託さえ積み立てていけば、間違いなく利益が積み上がっていったのだが、2024年の大暴落以降、資産価値は戻ったものの、その後の伸び率は以前とはかけ離れたものになり、言うほど資産運用として効果があるのか、疑問におもっている人もいるのではないかと思う。
実際、S&P500やオルカンの投信では、配当金という形で利益分配されるのではなく、資産価値がその分上がっていくという形なので、投信を売却するまでは最終的な利益を得られない。
だからS&P500やオルカンで利益が出た、と言っている人も、基本的には資産価値が上がっているというだけで利益が出ている、と判断しているに過ぎず、実際に日本円で利益を確定させた上で言っているわけではないのが実情である。
だから、2024年8月に起きた大暴落のような事がおきると、その資産価値そのものが目減りしてしまうので、今まで積み上げたものが一気に吹き飛ぶ事になる。
この大暴落によって、NISAに対する世間の見え方は、大きく変わったのではないかと思う。
NISAにおけるS&P500およびオルカンへの投信投資は、以前は絶対的な資産運用の決定打として認知されていたように思うが、今はちょっと違うと思う。
依然として、定番の投資というポジションにはいると思うが、今は高配当株への株式投資も、一つの選択肢として選ばれるようになったと私は見ている。
高配当株の配当であれば、株式そのものの価値変動はあったとしても、配当金として利益を得られる事から、投信のつみたてとは違ったアプローチで資産を増やしていける。
だが、残念ながら複利を得ていくには大量の高配当株の購入が必要になってくるので、利益を得ているという実感はなかなか得にくいところがある。
結局、資産運用としては大きな期待はできないという土台の上で、それでも続ける事が肝要だという認識が前提として見えてきた、という事ではないかと思う。
投資とは、元々そうしたものであり、大きな利益を得られる投機とは異なるのだという事である。
NISAも、新NISAになってから始めたという人は、残念だが以前のNISAの時ほど、利益を享受できない状況だと言えるので、その中身に関しては、日々入れ替えや指針の変更が行われている、といったところだろう。
ちなみに私は未だに楽天のS&P500とeMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)、そしてその後に分散をねらったeMAXIS Slim 国内株式(TOPIX)で、月3万円を積立つづけている。
…世間の動向を無視しているようだが、つみたてはもう預貯金と同じという感覚でみているというのがその理由である。
Blogを不定期にしたはいいが、最近全く書かなくなってしまった。
本当は新年明けて早々に記事を書くつもりでいたのだが、最近は記事を書くという習慣が途絶えたことで、その意識が完全に薄れてしまった。
よって、一週間過ぎた今の段階で今年初の記事である。
Blogを書かなくなっただけで、やっている事は今年も昨年と全く代わらない。
元日の早朝、それも午前3時ぐらいに、北口本宮冨士浅間神社に初詣に行き、おみくじを引いてきた。
おみくじの結果は「吉」と悪くない結果だった。内容としては、やるなら早急にやるべし、という事らしい。また、悪いと判っていてやる事に関してはまるで駄目だという事も記載されていた。
ま、自分を信じて正しいと思った事を早急にやれって事だろう。
あと、昨年末に御札の取扱いを調べていて初めて気づいた事がある。
それは神社で神棚に入れる御札を購入した際、その御札に和紙の包みがされているのだが、今まではその包みも含めて御札だと思っていたのだが、これはあくまでも汚れから守る為のもので、実際神棚に入れる時はこの和紙の包みを外さないといけないらしい。
…今まで全くしらなかった事である。
というわけで、今年はその包み和紙をちゃんと取り払って神棚に入れた。
作法はいろいろあるのは判るが、実際知らない事も多いというのを実感してしまった。
その後、新年明けてからの生活は、実に変わり映えのない日々の連続である。
やはり、要介護者を一人で介護する二人家族の家では、長期の休みが合ったとしても、日々の生活はあまり変わらない。
というか、変えられないので、新年が明けてもそのスタイルは変わらないのである。
ただ、そうはいってもいくつかの変化があったのも事実。
ひとつは、毎年年賀状を特定の人から貰うのだが、その中から「来年以降は挨拶を取り止める」という連絡が来た、というもの。要するに来年から年賀状は送らないぞ、という事である。
メールやSNSが普及した昨今、年賀状のやり取りを辞める風潮があり、私自身も、10年近く前からその動きで減らしてきた経緯がある。昨年ぐらいから、周辺で加速度的に年賀状を取り止める動きが見られてきたというだけの事である。
さすがに1通85円ともなると、年賀状を取り止めたいという人も増えてくというものだろう。コストが嵩み、それでいて収入が伸び悩んでいる中の話なので、それが加速度的に問題化するのは、むしろ当然というべきか。
ふたつは、 暗号資産に手を出したという事。
昨年末に、ちょっとした事からビットコインを5万円分ほど所有したのだが、その驚く程高い手数料で、所有した直後は「コレは資産運用としてはないな」と思っていたのだが、その後ビットコインの価格が上昇、最終的に5万円分が7万円ぐらいになったところで売却した。
手数料含めると24,000円ぐらいの増額となった訳だが、こうした投資先の一つとして暗号資産を検討する事を以前は絶対にしなかった。
だが、プロックチェーン技術が世界的なセキュリティの方向性に合致している事などを考えると、この暗号資産はもう投機的なものというよりも、普通に投資と言えるレベルにきたのかもしれない、と考えるようになった。
というわけで、正月早々に暗号資産についていろいろ調べるという事を始めた。昨年までの私では考えられない事である。
まだ、知識としては覚える事も多い暗号資産だが、世界的なものなので、取引所の扱いなど世界共通な部分が見えないものでもあるので、本格的に始めようと思えばまだまだ知識は必要なものと言える。
Blogを継続的に更新するのをやめて、3ヶ月が経過した。
Blogを毎日分更新から、気の向くまま更新に切替えてから3ヶ月が過ぎた。
時間の使い方も大きく変わったが、だからといって私の介護生活が楽になったという事はない。
逆に、介護生活の毎日の私の行動がここ最近大きく変わってきたを実感し始めている。
というのも、母の食事の大部分を私が作っている事実に気がついたのである。
要介護者である母は、既に食事は硬いモノが食べられず、柔らかいものやキザミ食でないと食べる事ができない関係から、ほぼ毎日食べるものが固定されてしまっている。
ただ、流石に毎食同じだと飽きるので、昼と夜とでメインとして食べるものを変えている。
昼は麻婆豆腐、夜はクリームシチューにしているのだが、共にほとんど飲み込むだけで食べられるように食材加工しているのだが、以前はこの料理そののをヘルパーさんに頼んでいたところ、今はもう全て自分で作るようになったのである。
料理の経験などほとんどなかった私としては、大きな変化であり、しかも普通のレシピ通りに作れば良いというものではないので、いくらかの試行錯誤がそこにはあったわけで、自分で言うのも変だが、よくできたな、と改めて思うことがある。
特にクリームシチューなど、普通に作れば野菜がゴロゴロ入っていてのシチューだが、母は喉が細くなり、しかも噛む事に問題が出てきているので、中に入れる食材を全てペースト状にして混ぜ込み、クリームシチューの素でそれらペースト状のものを煮込むという事をしている。
なので、アレンジレシピといえば聞こえはいいが、そこには多分に時間のかかる食材加工が加わる。だからBlogを書かなくなった時間がすべて調理に回っている感じである。
麻婆豆腐にしても、挽肉を入れる戸その挽肉が喉に抵抗があるとして受け付けないので、代わりになるモノを入れてレトルト調理である。
今の私は、まず母が口にして飲み込める事を前提とした調理方法を考えて、食事作りするしかないので、日々、飽きの来ない他の料理を探しているところである。
さすがに2年半も自宅で、しかも一人で介護をしていると、何ができて何ができないかというのも見えてくる。
一人、といっても、介護保険を利用した訪問介護やデイサービス、訪問看護などは利用しているが、夕方から朝にかけては一人での介護になるため、そこでできる事、できない事というのが、ハッキリする事に違いは無い。
私の場合、できる事がかなり限定的だという事は間違いが無く、他の人よりもできる事が少ないというのも既に見えているのだが、できる事として食事にフォーカスした事が、前述した話に繋がっている。
もちろん、他にも体位変換などもしなければならず、また痛みに対するケアもして行かねばならないので、食事だけが自分の領域というわけではないのだが、できない事は早々に諦めて、専門家に任せてしまい、自分のできる事にフォーカスした方が良い、という事はこの2年半で学んだ事である。
そうした、自分のできる事を繰り返していく中で、時折限界点が見えてくる。
要介護者の母の体は、永遠に毎日同じ状態ではないので、その変化が一定の限度を超えた時、自宅介護の限界点が見えてくる。
母は体の拘縮が始まっており、右足はほぼ膝が90℃近く曲げている状態に固定してしまっている。このおかげで、寝ていても足を伸ばして寝ていられないのだが、この拘縮が進みすぎると、体勢の限界点を迎えてしまい、自宅での介護が出来なくなる可能性がある。
最近、この拘縮の影響で足の痛みが酷くなってきているのだが、この痛みが耐えられないレベルになると、もう自宅介護は無理だろうと思っている。
本当はリハビリを毎日のように行って、この拘縮を和らげる必要があるのだが、私の住んでいる地区の問題で、訪問理学療養士などがいないため、リハビリ出来ずにいる。
今後、この問題がもっと具現化してきたならば、もう自宅介護は無理という事が来るかもしれない。
資産形成に苦しむ人は多いと思う。
資産形成を行っていく上で、株で儲けたとかよくX(旧Twitter)で話が出ているのを見るのだが、これらは所謂キャピタルゲイン、つまり株の現物(信用の場合もあるが)取引をおこなった結果で儲けている話である。
1株あたりの価格が安い場合、最低単元100株で購入しても10万円に届かない銘柄も多いが、そうした銘柄はちょっとした情報操作で株が急激に上昇したり、あるいは下降したりするので、こうした発信力のあるSNSなどで上昇期待の株を紹介したりして、トレンドに載せて操作しているように見えるときがある。
ま、それで20%とか利益を取り、それを積み上げていく事ができれば、たしかにキャピタルゲインで稼いでいくこともできるのだが、これには一つ、決定的な必要条件がある。
それはある一定の投資予算をもっていないとダメだという事である。
いくら100株10万円以下としても、それを複数運用しようと思えば、その銘柄数分だけの資金が必要になる。予算として10万円だけもっていたならば、1~2銘柄ぐらいで、運用するしかないので、マイナスの結果を残すリスクが跳ね上がる事になる。
だから、こうしたキャピタルゲインで稼ぐ低位株を利用した運用は、低位株といってもある程度の予算が必要になる。
また、前述したとおりSNSでの情報操作で一気に株価が上昇したとしても、その上昇した理由に業績が伴う理由がない場合は、そう長続きしない内に一気に価格は下降する。株価が正しく上昇するには、ちゃんとした理由があっての話だから、比較的簡単に、しかも急激に上昇する場合は、SNSによる情報から一時敵に買注文が殺到した事が原因で急上昇していると言える。そういう時は、アッサリと価格は下降するというものである。
もちろん、SNSで価格が上昇する低位株の中には、本当に実績が伴って上昇する場合もある。生成AIの分野で新しい仕組みを作り上げた事を察知した人がSNSで買いだと騒げば、当然業績理由が伴うので株価が上昇した後の急激な株価下降は起きなかったりする。
株価とは、実にささいな情報で乱高下するものだという事を実感する一瞬である。
といいつつ、インデックスファンドが恐くないかというとそうでもない。
というか、つい最近一つの神話に陰りが見えたと言える。
今まで、NISAの情報をネットから聞きつけ、つみたてNISAを始めた人たちのほとんどは「S&P500もしくはオルカン(オールカントリー)を選んでおけばOK」という言葉を信じて、積み立てるインデックスファンドとしてこれらを選択していたと思う。
実際、今まではこれらを選択して積み立てていくと、何もせずとも資産価値がガンガン上がっていったはずである。
が、ここに来てアメリカ大統領選でトランプ氏とバイデン氏の動きによって、米国株とドルに不穏な動きが見え隠れし、結果としてS&P500やオルカンの資産価値がガクンと下がってしまった。
今まで延々と積み立ててきた人であれば、今回の下落で全てがマイナスになった、なんて事はないと思うが、ここ数ヶ月から積み立てた人であれば、場合によってはマイナスにすらなったかもしれない。
これで分かったと思うが、インデックスファンドと言えど、全体的な経済指標が下がれば当然価値は下がるわけで、その影響からは逃れられない。
指数変動で運用するインデックスファンドですらこうなのだから、企業の株価で変動するアクティブファンドならさらなる怖さを持つ事になる。
前述の低位株の運用は、まさしくその企業の株価でキャピタルゲインを得る投資なので、インデックスファンドの影響よりさらに大きな影響を受ける。だから株価の変動に敏感に反応できないと、気がつけばそれこそ資産価値がドンドン下落していく事になる。
逆に急騰する事もあるからこそ、低位株を利用した運用で資産を得ている人がいるわけで、この暴落と急騰を敏感に察知していく事が、低位株での資産獲得の鍵となる事はいうまでもない。
元手がない状態で資産形成するのは我慢の連続なのかもしれない。
資産を持たない私からすると、今の生活がいつまでも続くはずもないと言い切れるのに、その未来がとても曖昧で、また不安定だという事しか想像ができない状態にあるのは、ある意味とても不安を煽る行為でしかない。
が、人の想いというものは、そう思わないようにと考えれば考えるほど、最悪の結果を考えてしまうようで、今の私は未来の自分の生活を守るために、どうにかして資産形成する必要性に半ば迫られているようになっている。
そんな中、NISAは昨年から始め、今年の新NISAも引き続き運用中である。しかも、つみたて枠と現状は成長投資枠まで使い、つみたてNISAでは安定して伸びているものの、成長投資枠は株を分割したNTT株を170円弱程度の時に購入し、現在は赤字に転じているという状況である。
資産形成というからには、もっと大きな額で運用したいのは山々だが、元手がない以上、そういうのはどうする事もできない。もしそれが可能だとしたら、FXでレバレッジをかけて…となるが、これも元となる部分に保証金となるある程度の元手がないと運用する事ができない。
結局、時間のかかる投資信託が一番安定性があり、また利益性も高いという結論に至るわけだが、私の場合、今の段階だとこの資産形成だけではかなり不安が残る事になる。
私の生き方の結果だから、後悔しても私の責任でしかない話だが、他に選択肢を持つ事を考えた方がよいのかもしれない。
この話に乗るには、少々時間が遅すぎるのかもしれない。
2024年はビットコインの半減期が来る年で、それは2024年4月に訪れた。
ビットコインは急騰したかと思えば半減したりを繰り返してきたが、そもそも私はどうしてそんな上下する事が発生するのかという原理を知らずにいた。
理由を調べて見ると、半減期によって得られるマイニング報酬が半減する事でいろいろな調整をする反面、マイナー達の旨味も半減するので、価値が上がったり下がったりを繰り返す。
その下がる時期が今年の4月に既に起きていた、という事である。
で、今の価値を見てみたら、4月よりは高くなってはいるものの、急激に高くなったという感じはなく、今から手を出しても、さらに価値は上がっていくだろうという見込みが見て取れた。
もちろん、その読みは今までの傾向から見た話であって、未来を保障するものではない。だが、今動かないと動くべきときに動けなかったという事になりかねない。
というわけで、少額ではあるが仮想通貨に手を出してみた。
楽天ウォレットで口座を作り、現物取引で少額購入した。
ただ、その時初めて知ったのだが、ビットコインは購入時に結構な金額が手数料などで取られるようで、総額で2500円くらい低い価値として運用が始まった。
まぁ…今までの価値上昇幅を見れば、さらに上の価値へと上って行くだろうと想定しての投資である。
上手くいけば良いが、どうなるかはわからない。
Blogの更新をやめ、SNSに振った結果、時間の使い方が大きく変わった。
5月18日以降、Blogの毎日分更新をやめたワケだが、その後はしばらく落ち着かない日々が続いた。
毎日続けていた事が完全に習慣化していたので、それが無くなると穴が空いたよちうな感じがして、どうにも落ち着かないという感じである。
だが、それも2~3日もすれば慣れ、気がつけば自分の生活の時間配分が大きく変わったことに気がついた。
今まで、なんだかんだと1日に1~2時間弱という時間をBlogが占めていたわけで、それがなくなった事で自分の時間が確実に増えたと実感できたわけである。
ただ、その取り戻した1~2時間という時間を有効に使えるかどうかはまた別の話なわけで、自分の1日あたりの時間用途を再確認して、ムダに使う時間にならないようにしていく必要があると思っている。
ただ、そうは言っても介護生活をしていると、この増えたハズの時間を突発的に発生する介護に使用する事は多々あるわけで、今はその介護の負担という部分で私の体が多少楽になったという形で時間が消費されていると思われる。
Blogを辞めた代わりに、SNSでの情報発信がその代替活動になるわけだが、SNSと私の愛称というものもだんだんと見えてきた。
実に相性が悪いのである。
SNSでは、文字だけで情報発信している人ももちろんいるが、多くの人は写真や画像をつけてポスト(ツイート)している事が多い。
つまり、何か自分の生活で起きたイベントを確実に写真という形に残せているから、そうした写真と共にポストできるわけだが、私はどうもその「写真を撮る」という事を咄嗟に出来ないところがある。
実際、よくみんなは写真をさっと撮れるなと思う。私など、実生活で起きた事などを咄嗟に写真に撮るという事が全くと言っていいほどできない。だからSNSに挙げるネタとして使えなかった、なんて事が多いのである。
これではSNSでの情報発信もそう多くは増えないと言える。
イマドキのSNSと私の相性は、やはり良くないようである。
最近のコメント