介護生活の崩壊が始まるか?

介護保険を貰っているからといって全てが丸く収まるとは限らない。

全てが飽和した状態

母の介護生活が始まって既に一年半ほど経過したが、今年の2月以降、その介護の度合いがさらに上がる事となり、我が家の生活はより厳しい現実と向かい合うこととなった。
今年の2月、母が入院することとなった当日、母は言葉を失った。
急に話せなくなり、それが何故そうなったのかの原因もよく分からないままとなった。
医師は母が話せなくなった事をとりわけ大きく取り上げなかったため、私はとても不安だったのだが、何とかなるかも…という希望的なところもあった。何故なら、この1ヶ月前に入院した時も一時的に話ができなくなったが、入院中に言葉を取り戻し、話せるようになったからだ。
だが、2月入院の時はそのような奇跡は起きなかった。母未だ言葉を失ったままで、こちらの話は理解できているようだが、自らの意思を言葉で伝えることはできなくなった。
またしても入院に…
この事が介護生活に与える影響はとてつもなく大きかった。
母からの緊急連絡を私が受取る事ができなくなったため、母の見守りという部分でヘルパーさんの力を多分に借りなければならなくなった。
しかも母が自らの体の調子を訴えることができなくなったので、基本的生活の部分でも不都合を来す事ととなり、訪問看護師を入れざるを得なくなった。
この事で、介護にかかる費用が増大、6月に介護保険の更新見直しが行われ、要介護4から5へと拡大した事で多少は楽にはなったものの、依然としてその枠内に介護費用が納まらず、費用は増大の一途をたどっている。
だが、問題はこれで収まってはいない。
訪問介護士側から、時間超過状態にあるという連絡を受けたのである。

見直す計画

訪問介護士、つまりヘルパーさんは、規定の時間枠で母の面倒を見てくれる人だが、母を2~3時間に一度、様子を見る必要がある子とから、一日に3度、入ってもらっている。
昼食を取る時間帯は1時間、3時ごろには30分、5~6時には30分と一日2時間枠を使っての訪問になるが、それぞれの時間に対して、その決められた時間内に介護が収まらない、というのである。
食事介助と身体介助で1時間というのは、正直ギリギリのところだと思うし、3時と5時に関しても、3時の生活介護は何とかなっても、5~6時の夕食介助は30分で終わる可能性は特に低い。
そうなると、いわゆるサービス残業状態となるわけで、訪問介護士側からすれば、ちょっとまったと言いたくなるのは当たり前である。
私としても、それぞれの時間を30分でも延長したいのはやまやまだが、もともと一日で入れる時間には制限があるという事、週一で訪問看護師が入るという事、週3でデイサービスに出かける事などを組み込むと、今の枠でも介護保険の枠を超過しているというのが減じようである。
なのでこれ以上増やすと、介護保険から超過した分の費用10割がそのまま支払いに直結する。生活の危機がそこにあるわけである。
なので介護計画を見直す必要があるわけだが、正直今の段階では費用的にどこまで許容できるのかが全く見えていない。
まさに介護生活の崩壊が始まろうとしているとしか思えない状況である。

とりあえず関係者で

こんな事を言っていても仕方が無いので、一度関係者で集まって話し合いを持つ事になるわけだが、私からすれば、介護という分野のド素人なので、何をどうする事ができるのかも知らなければ、何が不可能なのかもわからない。
なので、専門科たる人達に、どういった事ができるのか等を聞き、可能な対応を考えて行かねば成らないと思っている。
場合によっては、訪問看護師の訪問を週1回から隔週に1回にするとか、考える必要があるかもしれない。そうしたとしても、大きな違いは生まれないかもしれないし、そもそも私の受け持つ部分をもっと増やす必要があるかもしれない。
そうなると、まず私の生活が大激変する事になる。まともに仕事ができない事になるかもしれない。
そうしたあらゆる可能性を模索しつつ、今後を考える必要がある。
致し方ない事とはいえ、大きな変化に飲み込まれる事は間違いないだろう。

背負うモノは背負って行かねばならないが、背負いすぎた時、介護生活は崩壊する。
何とか崩壊せずとも済む形に収まると良いのだが。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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