最近、結構悩むことが多くなってきた。
Blogを初めたキッカケ
当Blogのアーカイブを見るとわかるが、このBlogというネットエンジンに切替えたのが2007年の5月である。
今が2024年5月だから、Blogという形式にしてから、すでに17年が経過している。
私はその前にHTMLを自分で書いていた時代から毎日分を記事にしてアップしているが、それを合わせると既に27年近くを毎日分記事として公開している事になる。
日記なんて書いても三日坊主だった私が、ネットに記事を掲載するという事を27年も継続できている事にまず驚くが、元々は私の文章嫌いを無くす目的で書き始めた事である。
とにかく文章を作るという事が苦手で、話す事はできるのに、それをいざ文字に起こすとなると全くといっていいほど書けなかった。
25歳の時に入った会社では、商品企画をする事が必須だったため、文章が書けないというのは致命的だったし、その文章で人を納得させる必要があるため、文章力をとにかく必要とする事から、文字を書き連ねる事すらできない事を克服するために、ネット上で日記という形で書き進める事にした。
その後、私の文章嫌いは無くなったものの、それで人に伝わる文章を書けるようになったかは定かではない。だが、この文章を書く事言うことに抵抗がなくなった事は、自分のためにはなった。
その後、勤めていた会社を辞める必要ができてしまい、今の定住地に戻ったわけだが、その時からこのBlogの目的は“私の生存確認”になった。
以前勤めていた会社での知人たちに、私が生きている事を証明するために、記事を書き続ける毎日になった。ま、継続は力なりともいうので、書き続けても良いか、という程度でその後ずっと続ける事になった。
SNS時代のBlogという存在
そしてその後、2009年にTwitterというものを始めた。
以前の知人たちも全員Twitterを始めていたので、私からすると私の生存確認はTwitterでのつぶやきでも十分可能という事になったのだが、惰性とでも言おうか、それとも変わりたくないという私の意地だろうか、その後もずっとBlogは毎日分の記事をアップしつづけていた。
だが、前述したように情報を発信するという意味では、SNSは十分すぎる機能を持っているし、目的はSNSだけで十分果たせる事は間違いない。わざわざ、一日1時間程度の時間を割いてBlog記事をずっと書き続ける意味があるのか? と考えるとそもそもこの行為そのものに意味がない事は明白である。
それにTwitterでは140文字でとりあえずの言葉を発信する事はできるし、逆に言葉を少なくする事で本当に伝えたい事を吟味するキッカケにもなる事から、今まで惰性でやっていた事を見直す良いチャンスにもなる。
ただ、それでも結局は15年もの間、Blogで毎日分を公開するという行為を辞める事なく続けてきた。もう、変わりたくないという私の思い以外の何物でも無いことは、言うまでも無い。
SNSが主流となった今では、Blogは特定の目的、それも一定の規模と価値を持った媒体ではないかとすら思える。
私の場合は、どれにも当てはまらず、ただ単に時代に乗り遅れてやり方を変えられなかったヤツが無駄に続けていたというシロモノでしかない。
Twitter…というかX中心にするか
というわけで、今、私の頭の中ではBlogを辞めてしまおうかという思いがある。
閉鎖…とまではしないが、基本的にX(旧Twitter)中心に一言つぶやくことを毎日行っていき、時折自分の中で何か纏めてしまいたい事をBlogに記事にする…その程度で良いのではないかと考えたわけである。
母の介護生活をしているという問題もある。とにかく時間がないのだから、わざわざBlogに費やす時間を持つ事がなくなるのは、ある意味私の生き方を見直す事にもなる。
せっかくここまで続けてきたのに…というもったいなさも感じないわけではないが、何より費やす時間を考えれば、正しい選択のように思えてくる。
時代に合わせて変化する。
多分、そういう事なのだろうと。
というわけで、Blogの右サイドの配置を変更した。
X(旧Twitter)のタイムラインを一番上に持っていき、カレンダーをずっと下に移動させた。
今後は、Blogに固定ベージを作成し、そこにXのアカウントへのLinkを表示したものを配置し、更新される記事はその固定記事の下へ表示させるようにしようかと思っている。
その上で、X(旧Twitter)にてコメントをつぶやき続ければ、最新のつぶやきは右サイドでも読む事はできるし、X(旧Twitter)にも固定ポストを作ってそれを最上位に表示させ、そこにBlogへのLinkを記載しておけばよいのではないかと思っている。
いつぐらいからその方向にするかはまだ未定だが、そうと決めれば案外と早い段階でそうするかもしれない。
イマドキ、を考えれば、それぐらい変わっていかないとダメだろう。
ただ、タイムパフォーマンスを考えた、という結果ではないという事だけは明確にしておきたい。
私は無駄な事が大好きなのだから。