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逝く者と残る者

 今日、私の本名の方のTwitterに何やら不穏な書き込みがあって、どう反応していいか分からないという人もいたかと思う。
 本日お昼過ぎ、父親が急逝した。その際、私が「恐ろしく冷静な自分に驚いた」とツイートしたのだが、その冷静さは今以て続いていて、今日の段階で葬儀関係の手続きなどは全て終わらせ、淡々と事後処理を進めている自分にあきれかえるほどである。
 当然、涙なんか流してもいない。
 悲しいか? と聞かれれば悲しいのかもしれないが、自分の感情に向き合っている自分が既に冷静で、ここまで淡々としていると、冷静でなく冷酷なのではないかと思ってしまうぐらい、感情の動きを自らが感じない状態である。

 父親の死因は肺血栓塞栓症。つまり、血管の中に出来た血栓が肺につまり呼吸が止まった、というものである。
 何故こんな事が起きたのかというと、事情はちょっとややこしくなる。
 7月末に自宅内で転び、第一腰椎を圧迫骨折したのだが、その直後は入院もせずなんとかやり過ごしていたのだが、その一週間後に動けなくなり、結果救急車で病院に運ばれ、腰椎の骨折が判明した。
 圧迫骨折であるため、完全なる治療法はなく、結局ある程度固まるまでは安静にしていなければならないという事で即入院したのだが、他にも腎臓が弱かったり、心臓が弱くなったりしていて、それで長期入院になるだろう、と言われていた。
 肝心の圧迫骨折は、思っていたほど深刻ではなく、1週間もすれば歩く事ができるぐらいの回復をみせた。ところが問題だったのは、父親は極度に動くことを嫌っていて、ベッドの上に寝たきりになっているケースが多いという事だった。医師からも「動かなさすぎる」と言われ、それは自宅にいたときからも同じだった。
 結局、寝たきりになった状態で長期を過ごした結果、体の内部の血の巡りが悪くなり、血管の中に血栓ができる状態になっていたと考えられる。
 今日は、その血栓が何かしらの影響で動き、肺に詰まったようで、それが直接の死因に繋がったと考えられる、との事であった。
 運動をしない事が自らの死を早めた。父親が死んだ理由はこんな感じであった。

 ハッキリ言ってしまえば「自業自得」である。
 死へのカウントダウンを、自らが始めてしまったのである。もし、私と同じような親を持つ人がいたならば、動かない事が死を招くという事をよく言って聞かせて欲しい。
 逝く者は何も考えずに逝けば良いかもしれないが、残る者はその後を背負っていかねばならないのだ。背負う者の身になって、逝く者は自らを律する事を知って欲しい…そう思わずにはいられない。


 このBlogを昔から見ている人は知っていると思うが、私は背負うべきものを背負っており、その背負うべきものは、私でなく父親が作ったものを背負っている状態にある。
 
もし、父親が背負うべきものを私が肩代わりしているだけなら、父親が急逝した時点で、その相続を取りやめる事で私は解放されるのだが、私が背負っているも
のはもっと深刻で、父親が背負うべきものを私の名義で父親が背負い、それを私が改めて背負ったため、結局父親を相続しなくても私は背負い続けるという生き地獄が今後も継続する事になる。
 つまり、父親は逝ったが、残る者は実の所何も変わらないし、余計に生活が苦しくなるという現実だけが残る状態である。

 そんなワケで、私は今までの生活を続けられるか分からない。
 収入と支出の再計算を行うが、おそらく収入が激減する関係で、従来の生活は維持できないものと考えられる。
 今はその結果が見えていないため、どういった状況になるかはわからないが、明日以降に何かしらの結論が見えてくる。
 その時、また改めて今後どうするかで活動を変えていこうと思っている。

 このBlogを見ている人の年齢層がどのアタリが主なのかはわからないが、人間、いつかは死を迎える。親族の死であったり、もっと近しい人の死だったり、状況はいろいろだと思う。
 その時、自分への影響と自分の影響がどの程度のものなのかを、シミュレートしておく事をお薦めしたい。
 何ら影響を受けず与えないなら良いが、もし少なからず影響を受け、与えるようなら、打てる手は今のウチに打っておいた方が良い。
 被害を最小限に抑え、また与える被害をも小さくしておく。
 できるぐらいなら最初からそうする…と言われるかも知れないが、突然の状況変化では対応できない事も多々あるという事を言わせて戴く。
 少なくとも、苦しい生活をしている人ならこの意味はもっと深く理解出来るハズだ。
 私と同じかそれ以上の生活苦だと、この被害だけで人生を大きく狂わせる事になる。
 何事も用心しておいてしすぎる事はない。
 それを心に刻んで残る者の未来へと繋げてもらいたい。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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