このテーマに挑む事の難しさ。
30分の作品を110分に
知人がククルス・ドアンの島の映画を知人が観に行った。
私自身も公開の話は知っていたし、観てみたいとは思っていたが、正直生活環境からとても行ける状態ではないと思っていたし、その意欲もなかったのだが、その観に行った知人が劇場で販売しているBlu-rayを購入してきたという事で、それを借りる事ができた。
サンライズ作品は劇場公開が行われると、その作品が劇場で販売されるという一風変わった戦略を採っている。
普通こんな事をすると興行収入が減るので、あり得ない戦略なのだが、何故かガンダムの場合はこの戦略でも収益が落ちる事はなく、逆にメディア販売収益が上乗せされるという希有な結果を残すという。
これも「ガンダム」というブランドの強さと言えるだろう。
本作は、テレビ版では23分ほどの「ククルス・ドアンの島」というタイトルを、110分の映画にするという事もスゴイと思ったが、その中身に関してはまるで別モノといっていいものに仕上がっている。ま、当然と言えば当然かもしれない。
ただ、この「ククルス・ドアンの島」というタイトルは、その作品の本質は実に難しいテーマがあり、力を持つ事が争いを引き起こすのか、争いがあるから力が必要なのかという、平和を求めるが故の葛藤が語られている。だからこの作品に関しては、おそらく明確な答えを誰も示せない。示せないところに、一つの回答を提示する事で、あえて避難を受けてでも形にした、という感じを私は受けた。
テレビ版を観た時には、そんな深いテーマなど考えた事もなかったが、この劇場版を見ると実にそうした深いものが見え隠れ手していて、本当にこの答えを見せた事が良かったのかを考えさせられる。
時代と共に
劇場版「ククルス・ドアンの島」を観ていて、その声の違いに驚くことこの上なかった。
現在、既に亡くなられている声優さんもいるので、そうした人達が入れ替わっている事は致し方ないと思っているのだが、やはり年齢的にも入れ替えが起きているな、という事が聞いていてよく分かった。
まずブライトの声は、鈴置さんが既に亡くなられているので、ユニコーンの頃から既に入れ替わっている。またセイラさんの声にしても同じだ。まぁ…セイラさんの声優さんは、その母がララァのオリジナル声優だったわけだが。
またミライの声もフラウの声も変わっているし、ホワイトベースのCICであるオス化の声も江口拓也さんに変わっている。
またマ・クベもオリジナルの塩沢兼人さんが無くなっているので、もう随分と前から入れ替わっている。
こうして見ると、オリジナルで残っている声優さんはほとんどいないと言える。
逆にオリジナルからずっと残っているのは、アムロ役の古谷徹さん、カイ・シデン役の古川登志夫さん、シャアの池田秀一さんぐらいではないかと思われる。
それだけオリジナルが作られてから時間が経過しているという事だが、それだけの時間を経過してもなお、世界的に圧倒的なブランド力を持つガンダムというコンテンツの底力を感じずにはいられない。
安彦ガンダムでリメイクが観たい
今回、ファーストガンダムの全43話の中から1話、「ククルス・ドアンの島」というタイトルが劇場版としてリメイク…というか、再構成作品として作られたわけだが、私個人としては、安彦監督の下でガンダムORIGINの設定でもう一度ファーストガンダムのリメイクが観てみたいと願っている。
事実上、もう不可能という事は知っているのだが、せめて安彦さんが生きている間に着手をしてもらい、世界にもう一度示す事のできる現代の技術をもって作られたファーストガンダムを観てみたい、と思っている。
昔、ファーストガンダムは打ち切りによって43話で終わってしまったわけだが、当時と今では状況がまるで異なるので、今リメイクしても絶対に売れるとしか思えない。
次世代に繋げていくという意味でも、リメイクは非常に重要なポイントではないかと思うのだが…何故かその動きを見せていないのが私的に腑に落ちないところである。
…今だったら、4クール、つまり一年かけて放送しても人気は衰えることはないだろうと思うのだが。
ククルス・ドアンの島の作画は、流石に劇場版のクォリティなので、ここまでは無理だとしても、今ではCGで作られる事から、メカの描写に関しては昔よりはずっと作りやすいのではないかと思うのだが、まぁ、ガンダムはメカだけの作品ではなく、戦争に巻き込まれた人々を中心としたジュブナイル的作品でもあるので、そうしたシナリオを構成する作家陣の問題などで制作が難しいのかも知れない。
どちらにしても、世界的コンテンツとなった事で成功する事は約束されているにしても、それ故に成功させなければならないというプレッシャーを撥ね除けるスタッフを集める事にその難しさがあるのかもしれない。
めげずにぜひリメイクして欲しいところではある。