惰性で生きること

 タイトルからしてダメダメな記事になる事を先に言っておく。
 悲観的すぎる話と言われるかもしれないが、これを前向きに考えられる人がいたならば、ある意味その人は相当なチャレンジャーであり、またひょっとしたら人生を大成させる事のできる人なのかもしれない。
 残念ながら、私はそこまでには至らず、予測できる未来が自分にとってマイナスに進んでいくことしか考えられない。
 なので、今日の内容は多分相当にダメな内容になるだろう。
 父親が入院した。
 左足親指の火傷による入院なのだが、この火傷、突発的な火傷ではなく、いわゆるストーブの前で自分の足を焼いたという感じ。…居眠りしていて気がつかなかったそうだ。
 バカじゃないの? と言い放ってしまえばそれまでの事なのだが、問題はこの火傷が実は3週間前程に起きていたという事。
 なぜ私がしらなかったのか?
 理由は単純で、父親が私に隠していたのである。
 母親は父親に口止めされていたようで、結局知らなかったのは私だけだった。
 で、その足の状態があまりにも悪くなり、今日民間の小さな整形外科に出向いたところ、すでにその整形外科では治療する事が不可能という事で、もっと大きな総合病院に出向いたところ、即入院を通達され、仕事中の私に連絡が来たという次第。
 そりゃ3週間も病院に行くこともなく、独自治療していれば悪くもなる。どちらかというと、この期間がなければもっと簡単に事が済んでいた可能性もあったが、結局放置した結果で入院という事となった。
 なんだ、父親が入院しただけの事か。命にも別状はないみたいだし、とりあえず大騒ぎするほどの事じゃないんじゃない?
 多分、ほとんどの人がそう思うかもしれない。
 だが、それは金銭的に余裕のある家、もしくはそこまでの余裕はなくとも、家族3人にして働き手が1人という家でない場合だろう。
 ウチは3人のウチ働き手は私1人であり、なおかつ借金を背負っているという状態。
 そこにきて入院である。保険で何とかなるんじゃない? と思うかもしれないが、それはちゃんとした保険をかけている家の人の言葉だろう。
 ただでさえ生活に問題のある我が家では、それすらもままならない状態だったりする。
 金銭的な問題だけを挙げても、今の私にはとても前向きに考える事などできない。


 こうした金銭的な問題を突きつけられているだけでなく、実は今もっと問題なのは、この父親そのものだったりする。
 この父親、年も年という事もあり、今ではなかなか働く事もできない。まぁ年金生活だから当然と言えば当然なのだが、そもそも私が背負っている借金がどういう借金なのかを一番知っていなければならない存在である。
 だが、いっこうに前向きに考えない。
 家にいつもいて、何をするでもなく、ただ寝ているだけ。体は弱ってきて最近ではめっきり老けてしまい、見た目以上の年齢になってしまっている。
 世間ではもっと年上でピンピンしているお年寄りもいるというのに、あまりにも酷い体たらく。
 そんな父親を見かねて、最近私は「歩け!」命令を出していた。
 …そう、火傷していた父親に「歩け!」と言い、歩かせていたのである。
 なんという人でなしであろうか?
 火傷を負っている父親に、半ば強制的に歩けと言い放っていたのである。
 私、極悪人だな…。
 だが、父親がこんな状態になったのも、何もせずにただ寝ている状態で、しかも寒い寒いとストーブの前で一日中過ごしていたからに他ならない。
 その行動そのものに問題があったのは間違いないが、問題は今入院となった父親が、その入院を心待ちにしていたような感じがある事。
 要するに、寝て過ごす大義名分を得たわけである。
 ハッキリいって、その姿を見て私は怒りがとても抑えられそうになかったし、今もってそう思っている。
 背負い込んだ借金は、父親の年金がないと返済はとうていできない。
 私の給料だけでは、その借金と、家賃と生活を成り立たせる事ができない。
 だが、今の父親の姿を見ていると、とても借金を全額返済する期間を生き延びる事ができるようには見えない。
 返済前に父親が他界してしまうと、借金の返済はその時点で焦げ付く。
 その時になれば、返済プランの見直しという事になるだろうが、その見直しによって私の残された人生の借金返済期間比率が上がっていく。
 多分、返済がすべて終わった頃には、私の人生において明るい話は一切のこっていないだろう。
 明るい話をするには、あまりにも短い期間すぎる。
 母親に関しても同じだ。
 今年、ようやく年金という話が出た。だが、今まで結局働く事なく、ずっと家にいる。
 …この家には、働く気力と意思のある者は私一人しかいなかったのである。
 この両親は、二人して私を苦しめる事しかしないのだろうか?
 母親は「そんな事はない」と言うが、現実的な話をすれば、結局苦労しているのは私一人というのは明らかだ。
 私は一体何のために生まれてきたのだろうか?
 親を生きながらえさせる為に生まれてきたというのなら、親がいなくなったら私には存在する価値は無い。
 何かを残せるわけでなく、何かをつなぐわけでもなく、ただ惰性で生きる。
 今の私の生き方は、まさに借金を返済するだけの惰性の毎日である。
 そりゃ、私の努力が足りない部分はあるかもしれない。
 しかし、自分の持てる能力を使って、今の勤務先を少しでも良くすれば…そう思って生きていても、それが目に見えて前進する事はなく、また逆に異端扱いされはじめている。
 見返りの無い人生である事を嘆くつもりはないが、せめてこの意味のない人生をどこかで終わらせることができたなら…最近そう思い始めている自分にちょっと恐怖を感じたりしている。
 生きる事の難しさ。
 それは境遇と才能と努力、そして運命の交差する螺旋の中にある。
 貴方は自分の人生で何か残せるものを持っているだろうか?
 もし持っていないなら、今のウチに何かを見つける努力をした方がいい。
 私のように、すでに残せるものなど何もない状況になってからでは遅すぎる。
 螺旋の中で渦に巻き込まれる前に、自分のアイデンティティを示した方がいいだろう。
 跡形もなく消えるのは、私のように手遅れな者だけで十分だ。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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