非実在青少年をも規制対象にしようとする、東京都の青少年育成条例改正案に対し、著名な漫画家の先生達が「改正案が通れば文化の根を断つことになる」と強い危機感を表明した。
まぁ、私が言うまでもなく話題になっている事なので、詳しい話はココには記載しないが、要するに漫画やアニメーション、ゲームなどの仮想的キャラクターさえも、規制対象にしてしまおうという法案が今通過しようとしている。
事の発端はいろいろあるが、ここ最近では2.5次元ゲームで有名なILLUSIONの某ゲームが国際問題にまで発展しそうな勢いだったこともあり、その追い風でこうした仮想的キャラクターをも規制対象にしようという動きが活発化した。
だが、そもそも実在しないキャラクターを規制するという事が適切であるのか? という事には賛否両論あり、おそらく規制賛成という人は正義に基づいた倫理観からそう発言しているのだろうし、規制反対している人は表現の自由や規制する事での視野の狭さを指摘しているのではないかと思う。
これは人の思想や思考の問題が多分に内包された問題であるため、明確な答えが存在しない問題だと私は思っている。
だが、個人的には規制反対派であり、規制する事が青少年の育成を健全化するとはとても思えないと思っている。
世の中の思考法の一つに、逃げ道を作る事を勧めているものは多い。
すべての行く末を封鎖してしまうと、行き着くところを失い、挙句の果てに玉砕覚悟で歯向かってくるという事であり、それは実際の命のやり取りだけの話ではなく、思考や思想でも同じことが言える。
リアルな児童ポルノはNGだが、非実在青少年であればとりあえずは黙認しようという事であれば、本来流れるべきリアル路線はすべて非実在青少年の方面へと思考が逃れてくる。
これによってリアルの実害をなくすという事だ。だが、反対派は非実在青少年へのはけ口にすべての予備軍が向かわない、という事を懸念して、全面反対しているのだろうと思う。
つまり、非実在青少年への妄想が、現実と仮想の区別をなくしてしまい、結果、現実でもそのような犯罪を犯してしまう…多分、そういう事を心配しているのだろうと思う。
だが、それを言ってしまうと、包丁で人が刺されて死んだから、今後包丁を使うことを禁止しますと言っているようなものである。
こういうものは、当初から持っている人の倫理観や道徳観に委ねられることが多く、そうした倫理観や道徳観というのは親が子へと教育(しつけ)するのが本筋であり、学校がそれをサポートするのが本来の姿だ。
ところが、ここ最近では親から子への教育(しつけ)が満足ではなく、それらを完全に学校に委ねてしまっているところがあり、本来持っている倫理観や道徳観というものが、昔から言われているものと異質なものになってしまっている。
この異質なものである事が、非実在青少年への妄想が、現実と仮想の区別をなくしてしまい、結果、現実でもそのような犯罪を犯してしまうという行為へとつながってしまっている。
事の原因を深く掘り下げる事で、本来なら見えてくるものがあるハズなのだが、世の中の親はそうした事に目を向ける人は意外と少ない。まぁ、自分がちゃんとできていない事を自らが告発する親はいないだろうから。
まぁ、現実的な話をしてしまうと、規制したい側はとにかく目に触れなければ子供が健全に育つと思っている。
だが、実際問題、目に触れずに生活する事ができるのか?
私はそれを率直に聞きたいところである。
世の中が情報過多で過激になりすぎた側面はあるかもしれないが、情報を受ける側だってバカじゃない。
そこに物事の善悪の判断があるわけだが、完全潔癖な状態が正常でない事は、自然と感じるハズの事である。
賛成派は、そのあたりをどう考えているのだろうか?
今後のこの改正案の動きは要チェックである。