12月12日、共同通信の報道によると「河野友宏東京農業大教授と川原学佐賀大准教授が、雄が全く関与せず、2匹の雌の卵子から誕生させたマウスは、通常の精子と卵子の受精を経て生まれたマウスより1・3倍長生きだとの研究を12日までにまとめた」そうである。
1・3倍というのが1.3倍という意味なのかどうかはこの文面からハッキリわからないが、多分1.3倍だという意味ではないかと思う。
この実験マウスは体重も通常のマウスの3分の2しかなく、また免疫機能が強いという事で、個体としての強さも持ち合わせているように思われる。まぁ、体重が少ない事は強さではなく逆に弱いという側面もあるわけだが、スリムである事が体の動きに対して有利である事は間違いない。
同教授・准教授は「哺乳類で雌の方が長生きなのは、精子の遺伝情報が寿命にマイナスの影響を与えているためかもしれない」と話す一方で「寿命には多様な側面があり、人間にも当てはまるかは分からない」とも話す。
要するに今回の1.3倍長生きという説はおそらく平均的な結果によるものと思われるが、平均的であろうと標準よりは長生きだという結果は無視できない。
元々、哺乳類には父母のどちらから受け継いだかによって働いたり働かなかったりする「インプリント遺伝子」というものがあるが、同教授・准教授は、卵子の遺伝子を操作し、精子から伝わった場合にだけ働く遺伝子のうち、胎児の発育に必要な遺伝子を働くようにした「雄型」の卵子を作製、その核を別の卵子に入れてマウスを誕生させる方法を開発した。これを「二母性マウス」と名付け、最初のマウス「かぐや」の誕生を2004年に発表したのだが、今回の研究結果はこの「かぐや」などの結果から導き出されたものだろうと思われる。
情報元:47NEWS
人間のDNAの解析は今以て続けられているが、解析が終わった後その得られた結果によってどの部分がどんな効果・意味があるのかを調べる作業がその後に続く。
クローンなどの技術も基本的にはこうしたゲノム解析によって行われる技術ではあるが、DNAが解明されるという事は、すなわち遺伝子の操作で「なんでもアリ」になってしまう事を意味する。
例えば、個体差という言葉も厳密にDNAが解析された後であればなくなってしまうかもしれない。理論上では全く同じ塩基配列と育成課程で同じ生物が生まれるワケだから。
そして現状の遺伝子を操作する事で、弱点克服も可能になるかもしれない。
遺伝子治療なんてのはこうした遺伝子操作によって行われる治療という言い方もできるからだ。
問題は、人という存在が生命体をそこまで操作・加工してよいのか? という倫理問題である。
クローン技術も今まさにこの倫理問題で禁忌とされている(ケースがある)ワケだが、確かに、人が踏み入れてはイケナイ領域という考え方もアリだと思う。
もし、現代人が魔法を目の前で見たとする。おそらく…いや絶対的に見た人はその理論を知らないが故に魔法・もしくは奇跡だと信じるだろう。
では中世の人にテレビというものを見せた時、中世の人はテレビを何と表現するだろう?
現代人はテレビを知っている。放送電波を受信して遠隔地にある放送局からの映像を映し出していると知っている。だが、中世の人はまさしくテレビを魔法の箱、もしくは悪魔の箱と呼ぶかもしれない。
つまり、今理解できない事でもその理論が判明し現実化できてしまうと、それは魔法・奇跡ではなくなってしまう。
今回の遺伝子操作にしても、遺伝子というものの解析が進み、遺伝子操作でいろんな事が可能になったなら、それは既に奇跡ても魔法でも何でもなくなるのである。
今はその確実性が乏しいが故に、遺伝子操作は禁忌と言われる部分を残す。
しかし、遺伝子を操作する事の確実性がほぼ確実となった時、人は遺伝子操作を禁忌と言い続けるだろうか?
今は神の領域などと言われる遺伝子操作だが、人は何れ神の領域にまで手を延ばす事になるだろう。
そうした時、もし今回の河野友宏東京農業大教授と川原学佐賀大准教授の研究結果が正しいとするならば、雄の生きる道は亡くなってしまっているかもしれない。
より優良種を残すという合理的な世界になっていたなら、間違いなく雄は必要なくなるだろう。
これが現代女性の「オス化している」という認識と少なからず関係があるとしたら…その予兆は既に現れているのかもしれない。