自分の仕事でもきっとそうなんだろうな…
勉強が好きになるかならないかの差
私は勉強が嫌い…とずっと思っていたのだが、実は勉強が好きになるキッカケがなかっただけではないか? と思う時がある。
学生の頃は、私は自宅では絶対に勉強しなかった。親が心配になるくらい自宅で勉強をしなかったのだが、それでも学校で行われるテストの結果は決して悪いものではなく、逆にそれなりに良かった。
そのかわりと言っては何だが、学校の授業は人一倍真面目に聞いていたと自負している。つまり、自分の行う勉強の全ては、その授業の中で消化してしまう事を一生懸命やっていたのである。
なので、私が授業を受けた時にとっていたノートは、黒板に書かれた事を丁寧に書き写すという書き方ではなく、私が理解した事をメモとして残すような書き方にしていた。
ある日、教師がノートを提出するように、と言ったので、そのノートを提出したら、教師が驚いたらしく、どうしてこんな書き方をしているんだ? と呼び出されて訊かれた事がある。
私は「ダメなんですか?」と逆に聞き返したら、その教師は「ダメではない。だが、コレで読み返してわかるのか?」と言われたので、自分の中で作られたイメージと合致するから問題ない、と答えたら「そうなのかぁ…変わったヤツだなぁ」と逆に感心されてしまった事もあった。
ところが…そんな成績はまぁまぁ良かった私が、ある時を境に英語が極端にダメになった。
理由は単純。
英語の教師の板書があまりにも達筆すぎる筆記体になり、その文字を解読するのが非常に困難を極め、その解読と授業の会話を同時に行う必要が出てきて、途端にアタマに授業で言っている事の意味をイメージできなくなったのである。
だから英語はその時を境に一気に嫌いな科目になり、その後成績は伸び悩む事になってしまった。まぁ、簡単に言えば「嫌いな教科になった」瞬間である。
逆に国語は好きな教科の一つだった。
私は決まり切った答えを出すのがイヤなひねくれ者だったのだが、国語は時に感性に訴える部分がある為、私は自分が思うがままの感性で答えを考えたりしていた。
それがある時現代国語教師の目に止まった。
授業である部分を示めされ、それについてどう考えるか? という事を求められたのである。私は普通のテストなら間違いになる答えを言い放ち、その答えの根拠となる説明を答えた。するとその現国の教師は「ユニークかつ感性溢れる答えだ」として、私の回答を間違いではない、と言ったのである。まさに私が国語が好きになった瞬間である。
その教師は、現代のテストは決まった問題に決まった答案を求めるだけのテストで、これでは生徒の感性は育たない、という持論を持った教師だった。
このような考え方は当時は異端で、こうした「考えるチカラ」というものが生徒にあまり求められず、ちゃんと「正解を答えられるチカラ」だけを望んでいたのが、私の学生時代の中核的要素だったのだ。
右を見ても左を見ても同じ答えばかりの世の中は、こうした教育方針が生み出したのだと、私は思っている。
それでも公式は揺るがない
私が体験した現代国語のような回答ばかりが勉強ではない。残念だから、絶対的な答えが一つしかないものもある。
そういうのは得てして数学系や理科系に多く、公式と呼ばれる絶対的な中核要素は覆す事ができないものである。
ところが、この公式というのは実に覚えにくい。
私もアタマの中でイメージするのだが、数式だけだとイメージが湧きにくい。教師が大凡こんな感じで考えればいい、という事を教えてくれるのだが、それでもアタマにイメージがわかない事などかなりある。
もし、そういうのがイメージできたなら…きっと私は数学も好きな教科になったに違いない。そういうのは往々にして教え方一つで変わるのである。
もしピタゴラスの定理(三平方の定理)もこんな感じで習っていたなら、当時はもっとすんなりとアタマに入ったに違いない。
テレビで、でんじろう先生(自称サイエンスプロデューサー)が理科の実験を面白く見せているが、ああいうのが実際の授業で展開されていたならば、きっと勉強が好きになる人が多くなり、考えるチカラを身につける生徒が増えるのではないかと思う。
今回はこんな動画をYouTubeで見つけた為、ネタとして扱ってみた。
私は知識を得るという事が今は好きなので、比較的調べ物とかする事が多いのだが、その中で見つけた一つの動画である。
世の中がこういった理解するだけの勉強ではなく、理解の中から考えるチカラを育成する世界になっていったら、もっと知的レベルは向上するのではないかとふと思った次第である。
この感覚、凄く分かります。
私は決まった答えのない国語も好きでしたが、根っこの部分は完全に理系頭でした。
科学や物理の公式以外、例えば化学反応の実験や論理物理学の分野は好きでした。
実験は体験できるので分かりやすいし、論理物理学は頭の中で現象を想像するのが楽しかったからです。
でも、数学を含めた公式は、それを使うことで何が出来る(何が分かる)のかを教えてくれる教師がいなかったので、単なる暗記になってました。
私には問題を解く事だけを目的とした公式を暗記するのは頭に入らず、成績も大して良くなかったです。
ですが、数学に関しては数年前に読んだ「数学ガール」と言う小説が認識を一変させました。
何のための公式なのか、その公式がどうやって導き出されたのかが分かりやすく解説されていたからです。
この本、小説ではあるんですが内容は完全に数学書。
かなり高度な内容なんですが、学生時代に何のためなのか全く理解できなかった微分積分も初めて理解できました。
霧が晴れて視界が明るくなった気がしました、ホント。
授業では時間的に難しいのは分かりますが、この理解を学生時代に得られていたらと思うと、今とは違う道に進んでいたかもしれません。
理解しやすいって、本当に大事ですよね。
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数学ガールかぁ…。
そういえばそんな小説ありましたな。今はマンガ化もされているそうな。
私も読んでみたいなぁ。
日本のテストは、ちゃんと勉強した知識や考えるチカラが試されるものではなく、合格の仕方を学んだ事をどれだけ再現できるか? という事を試すものになってしまっています。
私はコレが日本をダメにしている一つの問題だと思っています。
理解する事を求めているのではなく、覚えている事を求めている今のテストは、本当の意味で学力を問うものではないと思うワケです。
ただ、それでも日本はアジアの中ではダントツにノーベル賞受賞者を輩出しているワケで、日本人の気質、勤勉さが成せる業なのかな、と思ったりします。
それだけに、本当の意味で考えるチカラを与えられた子供達が大人になったなら、日本はもっとスゴイ事ができるのではないか? と思うワケです。
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