FinalFantasy13が発売になった。
発売直後にネタにしなかったのは、多分同じ内容のBlogが乱立するから。
なのでいつもの如く、微妙なタイミングで私は書き始める事にする。
FinalFantasy13(以下FF13と略)、各方面でいろいろな評価が成されている。
面白いかどうかは人によって考え方が違うだろうから、プレイしていない私はそこに踏み込むつもりはない。
ただ、そのシステムからゲームというものを考えさせられる作品であると思っている。
FinalFantasy(以下FFと略)という作品群、私は6までをプレイしたが今のFFは6までのFFとはゲームとして異なると私は考えている。
作っている側はどう考えているかはわからないが、少なくとも私がFF6をやっていた頃のゲームとしての面白さは今のFF13とは明らかに異質なものだと思う。
このグラフィック、既にCCを駆使した映画とも言える映像だが、FF13はこの映像クォリティでゲームとして進行する。
これは確かに凄い事だ。まさにPS3だからこそ…とも言える。
だが、FF6までのミニキャラがごちゃごちゃ動くシステムは、それはそれでゲームとして間違いない面白さを持っていた事は、歴史が証明している。
逆にFF13はストーリーが一本道であるばかりか、マップまでが一本道という話もある。
要するに用意されたレールの上を進めるだけの作品という事である。
これはゲームというスタイルで考えていいのだろうか?
最近、これはゲームなのか? と思う作品がヒットしている。
「ひぐらしのなく頃に」「うみねこのなく頃に」などのシリーズである。
コンシューマに移植された際には、ゲームとしての体裁を整えたものもあるようだが、オリジナルは完全に“読み物”として構成されている。
ただ、表示される文章を読んでいくだけ。デジタルノベルと言ってもいいだろうし、そう呼んでいる人も多い。
最近のFFシリーズでも、戦闘パートは存在するものの、そこ以外にプレイヤーの意思が介在しない作りになっているケースが多い。
用意されたシナリオの上をただなぞるだけ。
これはシステムとして前述の“読み物”と言われるゲームと同じと言えるのではないだろうか?
そうなるとゲームとはなんぞや? という話になる。
おそらく、これを論じ始めると答えが出てこなくなるだろう。
人によってゲームという定義が若干なりとも異なるからだ。
だが、私はゲームは娯楽であると同時に試行錯誤の一つと考えている。
答えが一つでない娯楽。
映画をはじめとした鑑賞を主とする娯楽は試行錯誤がないが、ゲームは解に道筋がない、と思っている。
であるならぱ、今のFF13は?
シナリオだけでもゲームという枠からハズレ始めていると言えなくはないだろうか?
もっとも、私のゲームという定義が正しいワケではないが、私と同じと考えている人は、同じようにFF13をゲームとして捉える事は難しいのではないだろうか?
10月にNDSソフトとして発売された「ソードワールド2.0」というゲームがある。
これは往年のT.R.P.G.の名作ソードワールドシリーズをDS化した作品だが、これはゲームブックというスタイルを採っている。
ゲームブックを知っている人は今はもう少ないかも知れないが、小説スタイルでありながら順を追って読んでいくワケではなく、所々に出てくる選択肢によって章番号を飛ばしながら、時には戻って読んでいく。選択肢が有るわけだから、当然クリアまでの道筋は一本ではない。そこに試行錯誤が存在する。
NDSで発売された「ソードワールド2.0」も、この選択肢とダイスロール(サイコロの目)によって進行が変わる。だから当然ストーリーの結末に向かう道が一本道ではない。
この試行錯誤が今のFFシリーズには明らかに欠落しているように思えてならない。
ただ映像を見せる(魅せる)だけであれば、ゲームというスタイルにする必要があるのか? とすら思えてならない。
世間のゲームプレイヤーがそれを望み始めたという事なのか?
それとも制作側がそういう方向にプレイヤーを持って行ってしまった結果なのか?
どちらにしても、ゲームという試行錯誤を楽しもうと思う人からすると、FFシリーズは明らかに方向が違うように思える。
そしてここに面白い数字が存在する。
FFシリーズは確かに売れ線ソフトの金字塔的存在ではあるが、面白い事にその斑馬本数はFF7の400万本を特例としてその殆どのタイトルが250万本前後に落ち着いているという事だ。
もちろん、これはFF3くらいまでの100万本以下のタイトルとPSにプラットフォームを変えたFF7は除外される。
しかしその他のタイトルは概ね250万本前後に落ち着いている。
一方、クリアまでにある程度の道筋が用意されていても、いろんな自由度が確保されているドラクエシリーズは300万本は堅い。それどころか中身が薄いと言われたドラクエ9は400万本を超え、シリーズ最高本数をマークした。
今回のFF13は初回180万本を出荷したという事だが、小売店レベルでの感覚では仕入れすぎという感じがしてならない。
プラットフォームがPS3という事で、本体普及率を考えれば明らかに多すぎる出荷数と言える。
試行錯誤があるドラクエ9の本数を仮に400万本タイトルとする。
そして読み物と化したFFの本数を250万本前後タイトルとする。
その差は150万本超あたりになるが、この数字はFF3の140万本、FF4の143万本と合致する。つまり、FF3、FF4をプレイしていた人数をドラクエ400万本から差し引くと今のFFプレイ人口になるのである。
どんぶり勘定であるため、変な捉え方ではあるとは思うが「読み物と化したFFを許容してプレイしている人+ゲームとして異質化したから離れた人=ドラクエ9プレイヤー」という言い方も出来るような気がするのである。
もちろん、許容している人という枠はいろいろ細分化し、また重なる部分も多々あるだろうが、ゲームというコンテンツの捉え方で明らかに異質な部分を取り除いていくと、今のFFにそうした面白さを感じなくなっている人がいるように思えてならない。
ゲームボーイを作った横井軍平氏任天堂ゲームの面白さの根底を作った人でもあるが、かの師は「枯れた技術の水平思考」という言葉をゲームに持ち込んで本当に面白いゲームを提供していた。
今のFFシリーズは最高の映像技術は持っていても、ゲーム本来の面白さである「水平思考」の部分が欠落していると思う。
そしてその水平思考を失っているFFをゲームと定義する事ができるのか? といった疑問は、おそらく今後も語られ続ける事になると思う。
時代と共に定義など変わっていっても問題はないが、数字として打ち出したとき、それが従来の比率を明らかに逸脱している結果なら、やはりそこには根底から外れた何かが影響しているハズだ。
今のFFは、そうしたデータを提供する格好のコンテンツなのかもしれない。