昨日崩落事故となった笹子トンネルでは、最終的に9人の方が亡くなった。
私自身、笹子トンネルは仕事などでも通ったりする所だったりするわけで、今回の事故が他人事にはとても思えない。
今なお落ちた天板の撤去作業が行われている。
130mに渡って1枚1t以上もある天板が落ちた…にも関わらず、下敷きになった車が3台だけだったのは、偏に日曜日の朝8時台に起きた事故だったからだろう。これがもし夕方にさしかかった頃に起きたなら、もっと大惨事になっていたに違いない。
そう考えると、下敷きとなってしまった車に乗っていた方々は、なんと運がなかった事か…。
だが、これを運がなかったとか天災だ、などと思ってはいけない。
この崩落事故は人災だと私は思っている。もちろん人工物による事故だったからだが、ここにきて35年前の話が浮上してきている。
トンネル上部のアーチ部分に強度不足がある。35年前に会計検査院がそう指摘していたようだ。
通常トンネルは掘削機と発破で掘り進んでいき、一定の大きさを広げた段階でセントルでコンクリート打ちを行う。その際、広げた地盤とコンクリート表面までの距離を規定値以上にする事でコンクリート厚を確保するが、その地盤の広げ方が少ないとコンクリート厚が薄くなってしまう。
また、地盤とコンクリートをより密着させたり強度を稼ぐ為には、そこにアンカーを打ち、薬剤注入などで地盤強化を行うのだが、それ以前の問題としてコンクリートと地盤の間に隙間が出来ないようにモルタルを注入する。しかし、どうもモルタルの充填も不十分だったような気配が漂い始めた。
今回の事故は天板が落下した、という事故だが、アーチ部分の強度不足にモルタル不十分だとするならば、天板が35年間支えられていた事の方が奇跡に等しい。
これが事実だとするなら、これを人災と呼ばずに何を人災というのか?
トンネルの工事は見えない部分の工事でもあるため、施工する側がちゃんとしていないとごまかす事がいくらでもできてしまう。
もちろん、中日本道路公団側がごまかしたくてごまかしているという事はないだろうが、管理側の怠慢による事故と今回の事故を言ってしまえばそれまでになる。
このような事故を以前にも話に聞いたことがあるかもしれない。
たしかあれは阪神大震災の時だっただろうか?
高架の橋脚のコンクリートに使う水が海水が使われていて、鉄筋コンクリートの鉄筋部分が錆びてしまっていて、地震が起きたとき橋脚が倒れてしまい、高架にある道路がすべて落ちてしまった…という話である。
こういうのも、もちろん施工側は無実というつもりはないが、管理側がどれだけちゃんと仕事をしていたか? の話である。
このような事故の最悪な部分は、事故が起きてからでないと表面化しないという事。
かつての土木建築業界の事なかれ主義が引き起こした、いわゆる手抜き工事の行く末が、今ツケとなって降り注いでいる…そんな感じではないかと思えてならない。
今回の事故から、管理という仕事がどういった側面を持っていて、どれだけの責任を伴うものなのかという事が学習される事を切に願いたい。