Conceptの稲船氏がコンセプターとして企画に参加していたPS VITA版“SOUL SACRIFICE”だが、初週の動向はダブルパック版と通常版合わせて11.4万本だった。
ここ最近のゲーム販売本数としては上々の数字かもしれないが、私が考えていたよりは少ないのかな、と思わなくもない。
“SOUL SACRIFICE”は、そのデザイン設計からして日本だけを対象としたタイトルでない事を考えると、この数字はあくまでも国内の初週の数字でしかなく、今後これがどれだけの数字に膨れあがっていくのかが気になるところだが、問題は、国内の、それもゲーマーと呼ばれる人達の反応で11.4万本だったという事実が、どういう意味を持つのか? という事を考えてみたい。
稲船氏は自分の肩書きを「コンセプター」としている。
これは企画のコンセプトを最後まで貫き通す存在という意味がある、とどこかのインタビュー記事で読んだのだが、この立ち位置は以前同じような職種についていた私からすると実に大切な部分だと思う。そういう意味で言えば、稲船氏が「コンセプター」という肩書きを持つ事は必要な事であり、まさしく適した表現だと思う。
実際にゲームを制作していくと、それぞれの役割や技術で、最初に考えていた方向と異なったベクトルを持つ事がある。それが一番最初のコンセプトと同じ方向を向いているならそれでよいのだが、往々にしてベクトルはズレていく。このズレをなくすのが「コンセプター」の役目であり、ズレをズレとしてでなく、加速の為の勢い(もしくは適宜に合わせた制動力)に変化させるのが「コンセプター」の仕事である。
ほとんどのゲーム制作現場では、このような役目を担うのはプロデューサーだったりディレクターだったりするのだが、明確な棲み分けというものがないため、結局そこで迷走する事になる。
おそらく今、ほとんどのゲーム制作現場ではこの迷走が原因で良作が頓挫した経験を持つのではないかと思う。
稲船氏はそこを明確に指摘し、だから「コンセプター」として未知の領域へと切り込んでいったのだと思う。
そして打ち出したのが“SOUL SACRIFICE”である。
その“SOUL SACRIFICE”の結果が11.4万本。
ここ最近の他ソフトの動向や、PS VITAの普及台数から考えれば、貢献している方だとは思う。
ダークソウルなどのダークファンタジーがロングラン作品になる今の時代、このテーマを取り上げた事自体にコンセプターたる稲船氏の目の良さが光っていると思う。というより、海外を視野に入れて検討すると、このような流れになったのかもしれないが、それを受け入れ、作品の方向性を選択し、コンセプトに織り込んだ事はさすがというべきか。
では11.4万本という数字に関して、これをどう考えるべきなのか?
単純に言うと、体験版から得られたコアゲーマーの数だと私は思っている。
その理由の一つに私自身が購入していない、というのがある。
体験版をプレイした時、当初稲船氏が打ち上げていたコンセプトを私があまりにも過大評価していたためかもしれないが、ギャップを感じたのである。
つまり、そういうゲーマーに対する精査をしたのが体験版であり、その体験版を受け入れた人が11.4万人、という事だと私は思っている。
体験版は諸刃の剣であり、どんな作品でも体験版を出せば良い、という事はない。
この体験版を出した方が良いと判断するかしないかが、プロデューサーの腕の見せ所といえるのだが、“SOUL SACRIFICE”では、稲船氏の手腕が大きく影響していたようである。
コンセプターとは別に特別な肩書きではない。
やっている事は、従来のプロデューサーとディレクターを兼ねたものであるし、そもそもプロデューサーとディレクターを兼ねていてもプロデューサーと名乗っている事もあれば、ディレクターと名乗る事もある。
ただ、それを稲船氏はコンセプターと名乗っただけの話。
特別でも何でもないが、その手腕はプロデュースにも大きな影響を与えるし、ディレクションにも影響を与える。
11.4万本の数字の大部分は、この手腕が作り上げた数字である(もちろん実作業をした人の努力の結果でもあるのだが)。そういう意味では、とても意味のある数字であり、これから先、ゲームを制作、発売していく人達の指標になる基準ではないかと思う。