実体化といっても、リアルフィギュアとかそういうのではない。初音ミクたらしめている声を、単体デバイスで再現できる機器がいよいよ登場するのだ。
歌うキーボード
YAMAHAがeVOCALOIDやReal Acoustic Soundを搭載したLSIチップ『NSX-1』を発表したのは2013年10月。
その『NSX-1』を搭載した最初の歌う音源ボード『eVY1 shield』がスイッチサイエンスから発売になったのが2013年11月だった。
この『eVY1 shield』はほとんど手作業で生産されていたという状況もあって品不足が続いた製品だが、MIDI音源モジュールとして使用可能なもので、これによってVOCALOIDはソフトウェアだけのものでなくなった。
制御する方法がWindows/Macでなくても可能になった第一歩であり、これを使用した手軽なデバイスの登場が期待されていた。
今回、学研教育出版から発売される『歌うキーボード ポケット・ミク』は、そんな『eVY1 shield』と同じNSX-1を搭載したものだが、その声の音源がVX1でなく、初音ミクになっている。
この「声が初音ミク」というところが重要で、この商品価値をより強く、大きくしている。というか、シリーズ化したとしても初代機は初音ミク以外でないと売れないだろ? と私は思う。
この初音ミクキーボードは、そのプロトタイプが昨年から企画されていて、いろいろ試行錯誤していたようだ。
今回、2014年1月31日から6月1日まで明治大学米沢記念図書館で開催される「初音ミク実体化への情熱展」が開催されているが、この展示会にこの『歌うキーボード ポケット・ミク』がまだ試作段階のものではあるものの、展示された。
この『ポケット・ミク』だが、ハガキ大の小さな楽器になる。タッチペンで鍵盤を押すと、予め決められた歌詞をメロディーに乗せて初音ミクの声で歌わせる事ができる。さらにこの予め決められた歌詞は書き換えが可能で、Webアプリで歌詞を作成しそのデータをUSB経由でこの『ポケット・ミク』に入れ込んでやれば自由に歌わせる事ができる。
動画を見ればわかると思うが、単体で結構いろんな事が可能になる。特にリボンを使った滑らかな音程変化、ビブラートボタンによる歌の臨場感をその場でスッと出せるのは中々のものである。
これだけでもそれなりの事はできるのだが、さらにいろいろな仕掛けをこの『ポケット・ミク』に仕込んでいるようで、これから先に公開されるアプリケーションでさらにできる事が増えていくらしい。
リアルタイム演奏で歌わせるなら
この『歌うキーボード ポケット・ミク』だが、リアルタイム演奏で歌わせるなら、確かに物理的にキーボードになっていた方がよいと思う。
だが、生演奏でないのなら、やはり通常のソフトウェアを使うべきだろうし、その方がいろいろ設定も出来、細かい事が可能だ。
だが、そうしたレコーディング用途は今までに使われてきた手法だけに、新しい商売へと繋がりにくくなってきている。おそらく、YAMAHAがこうしたLSI音源を企画した背景には、何れくるであろうソフトウェアの頭打ちすらも考慮されていたのではないかと思う。そしてVOCALOIDというシステムを組み込み系に対して開放する事によって、楽器という位置付けでVOCALOIDを使うことができるようになる…おそらくそこから生まれた新しい手法でもって、再び市場を活性化したいという思いがあったのではないかと思う。
変な話、今回は『ポケット・ミク』という名の商品が出てきたが、これはNSX-1に初音ミクの音声データを組み合わせたからそうなったのであって、別のVOCALOID音源を当て込めば当然その声で歌い出す。
という事は、このポケット・ミクをもう少し高度化した製品として『ポケットVOCALOID』なんていう製品を展開し、拡張スロットに『ミクカートリッジ』を差し込めば初音ミク、『リン・レンカートリッジ』を差し込めば鏡音リン・レン…なんて構成にする事もできるわけだ。そうすれば、複数台の『ポケットVOCALOID』を使えばコーラスのセッションをする事も可能になる。
リアルタイム性をもったVOCALOID音源としてこうしたキーボードが生まれ、そしてそのVOCALOID音源に多様性が生まれれば、そこからまた新たなものが生まれてくるのである。
楽器は昔に回帰する
ポケット・ミクは楽器としては今から発売される新しい形のものだが、昔からの楽器の進化を読み解くと、実は楽器という形を持つスタイルから、徐々に形のないソフトウェアへと進んできたのがつい最近までの流れである事に気がつく。
昔は独立したデバイスで作られていた楽器が、PCの処理能力の向上から専用ハードでなくソフトウェアで提供され始めた。今ではスタジオの中で行われる処理ですら、PCの内部で処理できる時代になった。さらにそのソフトウェアでの楽器は、iPadなどのタブレットデバイスへと流れ、この動きは未だに続いている。
だが、ここ最近になって昔のシンセサイザーなどが復刻されはじめている。
KORGでも「MS-20」は当初ミニサイズで復刻されたが、その後フルサイズでも復刻された。同じくKORGで、伝説のシンセメーカーであったARP Instrumentsが世に送り出した伝説のシンセ「Odyssey」を復刻するという話が今まさに出ている。
KORGが昔のシンセを復刻しているのは、MS-20の業績が良かったからだと言われているが、今のPC主体のソフトウェア音楽シーンに対し、こうした昔のような単一デバイスのスタイルが望まれている事実があるのは、この動きから見てもなんとなく解る。
つまり、ソフトウェアで統括的に扱えるスタイルに一定の幅が生まれた現在、楽器は本来の単一デバイスへの動きを見せることで、鋭角化した存在を取り戻そうとしているように思える。そしてその動きは、ソフトウェアに慣れ親しんできた若い世代からも見えてきたという事ではないかと思う。
今回のポケット・ミクがそうした単一デバイスへの回帰の中に含まれるかどうかはちょっと微妙かもしれないが、その存在そのものは間違いなく単一デバイスとなるものだ。
ある意味、音の原点に回帰する方向と、最新デバイスが向かった方向が同じになったという事は、時代がそうしたニーズに向かっているという証しではないかと思う。