明確な数字は忘れてしまったが、今回の選挙に限らず面白い数字が出ているという。
実は得票数はあまり変わらない
今回の衆院選は、結果として自公連立側が大勝利を収めた。
議席数は320議席を超える数字を獲得し、自公だけで3分の2の議席数を超える為、これはもう圧倒的勝利と言って差し支えない。
だが、実の所この議席比率そのものは以前と変わりがない。つまり、大勝利と言いつつも変化がないのだ。だからこそ、今回の衆院選は「無駄」だったと言いたい人が沢山いる。
変化があったとすれば、それは維新の会が減り、その分共産党が増加した、と言えるが、大きな変化はそれぐらいでしかない。
そしてその変化のなさは、池上彰氏の番組を見ていたところ、実は得票数にも表れているそうだ。
なんと…前回3回分を比較しても、自民党が得ている得票数に大きな変化がないのである。
つまり、組織票である程度獲得できる票数が分かっていて、他党がその自民党の組織票以外のところでどれだけの票を集められるかで、自民党が圧勝するかどうかが決まるような感じであった。
この得票数は、全体の票数、つまり投票率によって大きく変わるが、それでも自民党の組織票に大きな差が出ないところが面白い。もし自民党を与党から引きずり下ろしたいなら、とにかく投票率を上げる、つまり大多数の国民に政治関心を持たせ、投票させればいいのである。
そうすれば、ある程度は割れるかもしれないが、自民党の組織票以外の票が他党に流れ、野党のどこかが政権を勝ち取る事ができる可能性がある。
まぁ、現時点では依然として民主党がその可能性が最も高いわけであるが。
数の暴力
時に民主主義というのは、数の暴力とか数字の暴力である、という言われ方をする。
たとえば全体100の議席を制するには51議席あればよく、その51議席を制するには26議席を制すれば良いのである。
実際には、過半数を維持できるだけではダメなのだが、単純に数字だけみれば全体100を制するのに26を制すれば全体を掌握する事ができるのである。
だが、この数の暴力のシステムを許容するのは、紛れもなく民主主義的発想であり、政党政治という体制を採っているところは必ずこの数の暴力の中で政治を行っていると言える。
数の暴力を抑制する術がないとは言わないが、今の自公連立政党を見ていると、まさに数の暴力で政治を起こっているとしか思えない節がある。
自民党の悲願である憲法改正も、上手くやれば可能なまでの議席を獲得したわけである。
日本は二院制であるため、衆議院だけを制しても意味はないが、参議院を今の自公連立政党が掌握する事も、今の段階では決して不可能ではないし、過去、自民党はそれを実現していた時もある。
今まさに過去と同じような体制が繰り返される時が来たと言えるかも知れない。
だが、問題は過去と今とでは、世界情勢がまるで異なるという事。
過去、日本は米国の後を追いかけるような政策を採っていれば良かったかも知れないが、今は前例のない経済の中にあり、模範とすべき答えを持たない政治を行わなければならなくなっている。
果たして数の暴力で圧倒的優位に立つ自公連立政権が、この難局を乗り越えられるのか?
…いや、乗り越えてもらわねばならないのだが、もし乗り越えられないのなら、とっとと与党の座から下りてもらいたいものである。
ただ…下りてもそれに変われる政党がないのも、また事実なのだが…。