Xデーは2012年ではなかった…。
マヤ文明
当初、2012年12月23日に人類が滅亡するというマヤ文明の人類滅亡説が存在していたが、当然だがそういう事は起きなかった。
しかし、近年になり、このマヤ文明に伝えられていた人類滅亡説には計算ミスがある事が判明し、実は2015年だった可能性が浮上した。
マヤ文明の人類滅亡説が信憑性を強く感じさせる理由はただ一つ。
それはその正確な計算に導き出された明確な回答にある。当初、ミスはあったものの2012年12月23日と明確にしているし、その他の事例でもマヤ文明は正確に暦を作り、数字によって文明が発達したとみられているからだ。
しかし、解っているのはそれぐらいで、マヤ文明には解らない事が非常に多い。
人間が文明を築いた場所の特徴に、必ず川、それも大河の存在がある。しかしマヤ文明は大河なく、しかも乾燥地帯で繁栄したという特徴があり、明らかに他文明とは異なる成り立ちをしている。
また繁栄の真っ只中にあった古代マヤ人が忽然と姿を消した、という部分も今だ謎のまま…というのもある。
これだけ神秘性のある文明が高度な数学を持ち、人類滅亡説を唱えていた…となれば、気にならないワケがない。
それだけに、計算ミスがあった…となれば、それもまた気にならないワケなどないのである。
では実際、そのミスを修正した時、人類滅亡説の指し示す日というのは何時になるのか?
1,250日の誤差
当初、マヤ暦を解読する上で重要になってきたのが現在のグレゴリオ暦とマヤ長期暦との変換に使われる「GMT係数」であったのだが、近年この「GMT係数」が完全ではない事がわかってきた。
というのも、マヤ長期暦の1周期を約5,000年としてグレゴリオ暦に換算した場合に“うるう年”を計算に入れていなかったというのである。つまり、マヤ長期暦1周期でいえば1,250日(5,000年÷4=1,250日)という誤差というワケである。これを修正した結果が2012年12月23日から1,250日後の2015年9月3日である。
だが、単純に考えてマヤ長期暦の1周期を約5,000年にするのはいいとして、その5,000年分まるまるのうるう年の1日を加算するというのは、果たして正しい計算なのだろうか?
そもそも、この計算の起点となる年がいつなのかによって、加算されるべき日数が変わるように思うのだが…。
まぁ、私の拙い疑問は置いとくとしても、この計算ミスが修正された事によって慌てはじめたのがエジプトの研究者だったりする。
消える神々の加護
古代エジプト暦の研究者たちがどうして慌てはじめたのかというと、ナイル川上流にあるフィラエ島のイシス神殿の言い伝えに起因する。
このフィラエ島のイシス神殿というのは、1970年のアスワンハイダムの建設によって、半水没状態になってしまった。
この神殿は、エジプト神話の女神イシスが太陽神ホルスを産んだ場所とされていたものの、西暦550年には閉鎖されていた。閉鎖されていた為にアスワンハイダムの建設が進められたようだが、その影響だからとして半水没状態にしておくのは問題があるだろうと、ユネスコによって1980年にアギルキア島に移築保存する為の調査が開始された。その結果、神殿の壁に1,465体の神々が描かれている事がわかった。ところが、この事が言い伝えに照らし合わせて恐るべき預言に繋がってしまったのである。
というのは、その言い伝えが“この場所が閉鎖されれば毎年秋分の日に1体ずつ神々の加護が失われ、全ての神々が去った年の秋分の日に世界が水没する”というものだったからだ。
前述したように、もともとこの神殿は西暦550年に閉鎖されていて、毎年ナイル川の氾濫が起きていた事を考えると、毎年神の加護が失われていた…と仮説すると、西暦2015年9月の秋分の日に世界が水没する事になってしまうのである。
繋がる2つの予言
そこで先程のマヤ文明の人類滅亡説との話に繋がる。
マヤとエジプトの預言が、共に2015年9月に人類滅亡を指し示したワケだ。
まぁ…正確性を持つマヤ文明の計算も私的には微妙だし、計算ミスを修正したらエジプトの言い伝えと重なったというのも、偶然の一致のように思えなくもないが、その9月もあと数日で終わると考えると、最後の最後でもしかしたら…なんて事をちょっと考えたり(爆)
…こんな事を考えるのは、私が今病んでいるからか?w