毎年、この時期になると必ず購入しているものと言えば手帳。
紙というアナログ
年末のこの時期になると、毎年私は来年の手帳を購入する。
最近はスマホも手帳のかわりになったりするので、そちらで済ますという手もあるのだが、私はあえて手書きの手帳を準備する。
というか、これは私のポリシーでもあるのだが、できるだけメモなども手書きで紙に書くようにしている。
というのは、とにかく手で書かないと字が崩れていくのである。人間、使っていたものを使わなくなると、それがどんなものであってもどんどんと劣化していく。だから、普段から綺麗な字を書くことができない私からすると、字を書かなくなるとどんどんと酷くなるので、できるだけ文字は書くようにしている。
なので、仕事でも電話を受けたりすると、そのメモはかならず手書きで残すようにしている。
今はE-ink採用の手書きメモパッドというものも存在し、手書きしたものをPDFデータ化してくれる便利アイテムもあるのだが、私はそのPDFデータにするという部分にも実は否定的だったりする。
というのは、私は手書きのメモをもしどうしても残したいとなると、それを読み、あえてテキストに打ち出すという行為で記憶に留めるという事をしている。手書きで一度書いたからと言って、それをそのままPDFデータにしてしまっては、記憶が曖昧になると考えているのである。
ま、一度でも手書きで書いていれば記憶に残る、という人もいるので、私のやり方が正しいとは言わない。それに私のやり方だと、図形などを書いたときにそれを残す事が難しくなる。書いたものをそのままPDFデータ化する方が、図形も残るし本来は正しいのかもしれない。
また、このような用途なら、MicrosoftのOneNoteやEvernoteを使った方が良いという事もわかってはいる。だが、私はあくまでもアナログ的な感覚をメモやノートに残したい、という意味合いで紙の手帳を使っているのである。もし、私がOneNoteなどを使っていこうと考える時が来るとしたら、イマドキのiPadとペンを手にしたときではないかと思う。
今の所、それらを購入する予定はないので、もうしばらくは紙のノートを使って行く事になるだろうと思う。
手帳は高橋
というわけで、今年購入した手帳は高橋書店の「Weekly T’s Direction Diary Wide No.395」という手帳である。
実は2020年版も同じものを購入したのだが、本命の手帳だった製品が欠番となったが故に、その代替アイテムとしてNo.395の手帳を昨年購入した。
で、今年一年このNo.395を使い続けて思ったのは、案外使いやすかったという事。
月間部分と週間部分で完全に分かれてしまっているのだが、特に秀逸なのが週間部分。縦軸に時間が割り当てられていて、横軸に曜日があるという、普通の作りではあるが、その他にその週内にやっておくべきToDo欄があったり、また週間でまとめて書き込める方眼用紙的な部分もある。ちょうど、Googleのスケジュールのような見た目と言えばわかりやすいか。
これが思いの外使いやすいので、今年も同じNo.395を購入した。
サイズはA5とB6があるのだが、大きめのA5サイズを購入した。大きめを購入したのは、書きやすいというのもあるが、丁度A4の半分というのも大きい。もしこれがB6サイズだとコレまた微妙なサイズ感になるので、あえてA5サイズにしている。
ま、この辺りは人によって適したサイズがいろいろあるだろう。扱うサイズもそうだが、書き込む量や持ち運ぶ問題などもいろいろ関わってくる部分である。
電子化
私が紙の手帳を使用している理由は前述した通りだが、私もこのままアナログでいいのかどうかは結構微妙な問題だと思っている。
本を読むにあたってKindleを購入したように、徐々に電子化の流れになるというのも理解はしているのである。
ただ、その時であっても絶対に忘れたくないのが「手書き」という部分である。
なので、もし電子化したとしても、そこにはタッチペンの利用が必須だろうし、アプリケーションも単純にテキスト化するものではダメだ。
OneNoteはある意味理想的なツールになるだろう事は予想しているが、もしOneNoteを使うのなら、OneNoteが使えるデバイスを選ばないと意味がない。
ま、イマドキのほとんどのDeviceなら、Microsoftのモバイルツールが使えるので、AndroidタブレットだろうがiPadだろうが使えるだろうとは思うが、そこには手書きテストをできるかぎり餅粉みたいと思っている。
そうなると、何となく選択肢がiPadぐらいしか残らないような気がしてならないのが残念な所である。大きさ的にはiPad miniくらいのサイズが丁度良いのだが、iPadは製品更新が微妙な時があるので、さてどうしたものか…。
何はともあれ、私が手帳をデジタル化するのはまだ先の話になるだろう。
とにかく手で書くという事にこだわりを持ち、そこだけは譲れないポイントとして今後も考えていくだろう。字が致命的な汚いという事態だけはどうしても避けたいので、この思いは決して変わる事はないだろう。
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