新年、あけましておめでとうございます。
コロナ禍の初詣
毎年、私は決まって冨士浅間神社に初詣に行く。
昨年もこの書き出しで新年初のBlogを書いているぐらい、恒例の話。ココを見れば昨年の記事と同じだという事がわかるだろう。
正確に言えば、昨年だけでなく、毎年の1月1日の記事は同じような書き出しで始まっているハズである。
これは私の行動の既定路線なので、変わりようがなく、毎年同じになるのはある意味必然である。
なので、掲載する写真もほぼ同じになる。
ただ、今年は毎年とは異なるところがある。
そう、参拝客が非常に少ないのである。おそらく、毎年撮影する社殿写真の中で、今年が唯一、人が写り込んでいないのではないかと思う。今年も昨年と同じAM4:30~5:30という時間帯での参拝だが、昨年は短いとはいえ行列があったものが、今年はこの有様である。
とは言っても、この規模の神社なら太陽が出て日中になればおそらくある程度まとまって人はやってくるだろうと思う。
ただ、コロナ禍という事もあって、いつもの参拝と異なる部分がいろいろあった。
まずは手水舎に柄杓が見当たらなかったという事。予想はしていたが、やはり感染の恐れが出やすいものは撤去されていた。
また、御札を販売しているところなどはアクリル版で仕切っていて、飛沫対策をしていた。これも今ではよく見る光景である。不特定多数の人が出入するところなので、こういった取組みは当たり前なのだろうが、この微妙な距離感が感じられる生活には慣れたくないなぁと個人的には思っている。
早くいつもどおりの生活に戻ってくれないかなぁと思っているのだが、例えワクチンがいつでも使える状態になったとしても、以前のような生活スタイルに戻る事はないのだろうか?
一度このように変わってしまったなら、清潔感第一で今みたいな生活が続くのだろうか?
感染の恐れがなくなれば、人同士はもっと距離を詰めても良いのではないかと思うが、戻れるのだろうか?
今年のおみくじ
さて、私は初詣に行くと必ずおみくじを引いてくる。
引くといっても、100円を投入したらガサッとおみくじが入れられた箱から一つおみくじをツマミ取るというものなので、六角振出箱から引くというおみくじではないのだが、毎年同じおみくじを引いている。
で今年はというと…
こんな感じ。
昨年も「吉」だったので、今年も同じである。昨年は第40番だったが、今年は少しズレて38番。なんかこの近い番号というのは因縁でもあるのだろうか?
神社本庁が公開している「神道いろは」では、順番として「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶」と書かれている。あくまでも一例の解釈として考えれば、大吉の一つ下、という感じ。解釈によっては中吉や小吉の方が上という見方もあるが、個人的には「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶」が正しかろうと思っている。
こうしたおみくじにとって重要なのはその本文に書かれている事。今年は「目上の人の引き立てによって幸運に恵まれます」とある。誰か好意的な上司によって好転するのだろうか?
また「元気を出して事にあたること」とある。これが私には難しい。元々、私の日常は結構淡々としていて、覇気がある方ではないのだ。
「いかし勢いにまかせると心におごりをうみわざわいがおこります」というのは、多分大丈夫ではないかと思うが、より新調に行けという意味では心に留めておく必要はあるだろう。
と、素直に受け止めて今年を生きていけばいいのだが、あえて冷静に言ってしまうと、実は占いも同じなのだが、当たり前の事がそのまま書かれているだけの事であり、大なり小なり全ての人に当てはまりそうな事が書かれていて、人はそれぞれ勝手に自分に当てはめて解釈しているに過ぎない…というのが、こうしたものの本質だ、と誰かが言っていた。
ひねくれた解釈とも言えるが…事実そうなのかもしれない。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」とは上手く言ったものである。
とはいうものの…
そうは言っても、人がおみくじを引くには、生きていく上での道標が欲しいからに他ならない。
そもそも、自分に自信があり、神に縋るような事を必要としない人はそもそもおみくじなど引かない。
古来から、吉凶占いとは見えない未来を見たいという欲求から来ている。その欲求は未来に対する願いからであり、また恐怖からである。
だからおみくじに書かれている言葉を隅々まで見てしまう。真実かどうかわからない未来に願いを賭けて。
というわけで、詳細はこちら。
「病気」のところが「案外早くよくなります」とあるので、先日の肩の痛みがこれに当てはまるといいなぁ、とちょっと思ったりする。
「願事」が「他人の助けによって早く成功するでしょう」とあるが、この願い事はどこまでのレベルのものなのだろうか?
また、一番困るのが「学問」の「努力することが第一です」というヤツ。コレ、わざわざ書かなきゃならないというのが問題で、学問を修める時には努力は必然なワケで…。
とまぁ、受け取り方はいろいろあるが、それを自分の尺度に合わせて解釈し、生きていけば悪い方向にはいかないだろう、と思う。それぐらいに考えていれば、気も楽というものである。
というわけで、今年もいろいろあるかと思うが、当Blogをお読み戴いている方々には、本年も宜しくお願い申し上げます。