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思ったよりも重症かも…

失語症になったであろう母とのコミュニケーションは難しい。

話せないという事

昨日、母が退院してきて、本日はデイサービスに出かける日であった。
退院してすぐのデイサービスの日なので、今までの日常で行っていた事を取り戻しての対応という事になるが、明らかに以前と異なるのが、母が話せなくなっているという事である。
デイサービスで送迎にくる人は、あらゆるタイプの人と接してきているので、ある程度は慣れているのか、母はとりあえず問題無く施設に運ばれていった。
残された私は、母が家にいない間にやるべき事を済ませるという、以前やっていた日常に戻るわけだが、入院前からの変化に合わせた改良を自宅内にしなければならない関係から、その準備を本日は行っていた。
特に、カテーテルから採尿しているバルーンの位置が足元に移ったため、足元にバルーンを吊り下げる方法を考えねばならない。
そういった細かい細工を考えて、本日は対応していた。買い物がいろいろと増えるのは、正直生活としては苦しいところではあるが。
だが、こんな細かい部分は実は大した問題ではない。
やはり一番の問題は、母が話せなくなったという事である。
この事で、確実に意思疎通が難しくなったし、母の扱いの難易度が跳ね上がったと言える。
デイサービスから帰ってきた母と、いろいろ接していくウチに、一つ明確に判った事がある。
それは「話せないという事=言葉として口から発音できない」というだけでなく、そもそも「話せない=話したい言葉を作り出す事ができない」という事である。

やってはいけない事をした

私は、安易に考えすぎていた。
話せないなら、筆談すればいい、と安易に考えてしまったのである。
ただ、母はもう右手に力が入らないため、文字を書く事ができない。なので、50音を書いた紙を作り、話したい言葉に指を指して伝えたい事を示して貰おうと考えたのである。
だが、母は順番に「あ、か、さ、た、な」といった感じに指さしているだけで、言葉を作り出す事ができないでいた。
本人は一生懸命何かを伝えようとしているのだが、それが日本語の文字、語句になっていないのである。
つまり、頭の中で何かをイメージしているのだが、それを文字や語句として認知し、構成する事ができないのである。だから、伝えたい事が言葉として口から出てこないのである。
話せないという事は、単に口から音として言葉がでないという事ではなく、そもそも発する語句にできないという事なのだとハッキリと認識した。
介護の覚悟
昨日から、そうだろうな、とは思っていたが、本日それがハッキリした。
失語症としては、このような何かを言おうとした時に、言うべき言葉が出てこない状態を「喚語困難」というらしい。しかも母の場合は、単純に言うべき言葉が出てこないだけでなく「残後」という状態にもなっている。残後とは「全失語」などの症状が出ている場合で、特定の言葉が繰り返し出てくる症状である。ちなみに母は「ココ」という言葉ばかりが出てきていて、何を聞いても「ココ」というので、そこに何があるのか? と考えてしまいがちだが、これは単に「残後」の症状で言っているだけのようである。

これらは失語症というものを調べた結果、得た知識であるが、このような失語症の人に50音表などを利用した筆談を求めるという事は、あまりやってはいけないらしい。
理由は…おそらくではあるが、本人の尊厳を傷つける恐れがあると言うことと、自分が言葉を話せない、伝えられないという事の現実を突きつける行為になるからである。失望という形で本人を直撃してしまう事になる。

思った以上にキツイ

医師の疎通に問題がある、という事が、今更なから重くのし掛かってきた。
こちら側の意図は何となく伝わっているのだが、そのリターンが来るとこちら側が理解できないケースがあり、そこでもコミュニケーション問題が表面化する。
本人にも人としての尊厳があるわけで、あまりにも伝えたい事が伝わらないとただでさえナイーブになっているところに、追い打ちをかける事になってしまう。
そして総じてこういう時、家族のほとんどは無力である。私も全く以て無力であり、今、その事に打ちひしがれている。
母の尊厳を傷つけず、それでいて言っていることをできるだけ理解するよう努める…言葉にすれば簡単だが、それを実現する事はとても困難である。
今日は、日中は細かい事に追われ、夕方以降は母とのコミュニケーションで打ちひしがれる結果となってしまった。
これから先、まだまだ続くであろう状況に際して、この先どのように接していかねばならないのか、ある程度は見えてはいるものの、見えているだけで実現できない現実があり、不安しかないというのが本音である。

介護にもいろいろなレベルがある。
そして、そのレベルによって、それぞれ重い課題があり、当人にとってはどれも軽いものではない。
課題に対してある種の割り切りが必要になってくるだろうが、家族であるが故に、その割り切りができない事が、ひょっとしたら問題なのかもしれない。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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