エイプリルフールだが、嘘ではない。
母、帰宅する
2月23日より入院していた母が、本日午後、退院となり自宅に戻ってきた。
入院前と大きく異なるのは、今まではちゃんと会話が成立していたはずが、今は会話が成立しないという事である。
カテーテルを入れ、尿をバルーンで採尿する状態になってから、母は腎臓の感染症で発熱する事が増えた。
本来ならそんな感染症は発生しないように配慮されているのだが、ウチの母は何故か細菌が入りやすいのか、1月に2週間ほど入院した後、1ヶ月も経たずして腎臓の感染症で再び入院となった。
カテーテルの交換頻度を月1回にしているので、通常であればそんな感染症となる事はあまり考えにくいのだが、どういう理由高判らないが、2回も連続して感染症を患った。
入院にならなかったここ半年の間でも、何故か尿が紫色になったり、血尿が出たりと、とにかくトラブルが多い。
ここらへん、カテーテル交換頻度を上げるなど、今後も対策が必要とは思うが、とりあえず今回は1ヶ月近く入院して、本日が退院日となった。
介護に関して、いろいろと選択肢がある中で検討してみたりしたが、結局、小規模多機能の介護施設が受け入れしてくれないという状況となって、結局は自宅介護の道を選んだ。
そういったことは、当Blogでいろいろと記事を書いてきた。
で、退院日である本日、介護に携わる人たちで、担当者会議を自宅で実施した。
基本は以前の延長上
今回、担当者会議に参加したのは、デイサービス事業所の人、ヘルパー事業所の人、ケアマネージャと私の計4人だった。ちなみに介護を受ける当人である母はすぐとなりのベッドで話が聞こえる位置にいた。
本来なら、ここに装具事業所の人も参加する事になるのだが、装具そのものは以前と何も変わらないので今回は不参加となった。
ケアマネージャから、ここ1ヶ月の入院までの経緯と入院後の状況の説明から始まり、介護をしていく上で食事はどうなるか、水分補給はどうなるか、リハビリはどうするか等々、介護に必要な情報共有が行われた。
また、私からの要望をそれに加え、各事業所からの要望を確認し、お互いの要求の確認を行った。
結局のところ、多少入院した状況を加味した事はしたが、介護内容そのものは大きく変わる事はないという事である。当人が会話できないので、当人の要求をどこまで聞くことができるのか? という問題は残るものの、こちら側の言っている言葉のほとんどは理解できるという事から、見守りの回数が増える以外に大きな変更点はない状態だった。
正直…不安である。
もちろん、入院に至った状況と会話ができないという事は加味されているので、その上での対応はしてくれるとは思うが、ホントにコレで大丈夫なのだろうか?
とりあえず、予算をあまりかけない介護としては限界の介護内容なので、コレでやってみるしかないが、今後問題が出れば、またその時に他の選択肢を当たるとしよう。
会話ができない事の問題
だが、それぞれの介護スタッフがいなくなり、自宅に私と母だけになった時、いよいよ会話ができない事の問題が表面化する。
母は必死に何かを訴えるが、それが何なのかがなかなかわからない。この時の自分の無力さといったら言葉にできないほどである。
いろいろな試行錯誤で、以前の母が要求していた事をそれぞれ思い出しながら、何をして欲しいかを試行錯誤し、とりあえず今に至るが、今後はこの会話ができない事で、全ての対応にそれなりの時間がかかる事を覚悟するしかない。
今までは要求が何かがハッキリ判っていたので、対応するにしてもその対応する時間だけで済んでいたが、今からは何かを理解する時間が必要になり、それは今までの倍以上の時間がかかるだろう事が予想される。
何とか、会話を取り戻す為に、今後いろいろなリハビリは続けていくが、結構厳しい道を歩む事になるだろう。
今回、会話が成立しない事でいろいろ判ってきたのは、母はこちらの言っている言葉をそのまま理解しているのとは違うという事である。
おそらく、耳から入ってくる言葉の大凡の意味は理解しているが、言われている事に繋がる情報を頭の中で紐付けられていない。思考力が明らかに落ちている。
なので、単純に失語症といっても、言葉を話せないだけ、というのとは違うようである。
とりあえず、しばらくいろいろな事をやって様子を見るしかない。
果たして、私はどこまでできるのか?
正直、心配である。