介護プランを変更して3週間が経過した。
介護プラン変更で見えたもの
母が退院して3週間が経過した。
入院前と退院後の今とで大きく異なるのが、母が失語症となった事であり、その失語症の問題で介護プランの見直しを余儀なくされた。何しろ、しゃべれなくなっただけでなく脳内で話したい言葉のイメージが言語として成立していないので、声は出せるが言葉を作り出す事ができない状態だから厄介だ。
しゃべれなくなったという事は、何かトラブルに遭ったとき自分で私に連絡してこれなくなったという事を意味する。自らが介護ベッドから動けない以上、これは由々しき事態である。
今までは自分でケータイを持っていて、トラブルがあると私まで連絡してきていたが、それが出来なくなった。もし話せなくても私にケータイで連絡をしてくる事ができれば、まだマシだったのだが、最近は右腕・右手の力がほぼなくなり、自由に動かせなくなってしまっていて、ケータイの取扱いもままならない状態となってしまったので、ケータイによる連絡そのものが絶望的となっている。
なので、見守り用の家庭用ナースコールを導入した。この事は当Blogでも記事にしている。
この家庭用ナースコールだが、Blog記事を書いた時不明だった事がいくつか判明している。
それはナースコールボタンがある場所(つまりは母親がいる場所)と、そのナースコールを受けるスピーカーのある所(つまりは私がいる場所)が、別の階にあっても、ちゃんと機能する、という事。そしてもう一つが、ナースコールを受けると、私が別のネットワークにいても(つまりは外にいても)、スマホに連絡が来るという事である。
これによって、ケータイがなくても母が私に連絡してくる事は可能になったが、ちっょと問題があって、このナースコールのボタンが結構簡単に押せてしまうので、首から提げているボタンユニットを手でつまんだだけでボタンを間違えて押してしまう事があるのである。
なので、私が外にいる時は、1回押しただけでは私は反応しない、というルールを決めて、母親に言い聞かせてある。何度も連打した時だけ、緊急事態だと判断する事にした。コレ、ボタンユニットでなく、押し込み型スイッチスティックになっていれば、こんな問題にはならなかったのだろうが…ま、製品の仕様だから仕方が無い。
この家庭用ナースコールを導入し、ヘルパーさんが来宅するタイミングを昼、15時、17時と3回に分けて母の見守りを行うプランに変更、それを3週間続けた。
ヘルパーさんに私に直接連絡できる方法も作ったので、今の所上手く機能している感じである。
それに伴う介護費用
ただ、全てが丸く収まったわけではない。
それは介護費用が少なくとも前よりは確実に上がっているという事。
私の住む地域では、要介護4では介護票30万円枠となり、その1割を自己負担する事になる。
つまり、以前は3万円を超える事なく費用は抑えられていたのだが、今回、ヘルパーさんの来宅回数を増やした事などで、自己負担金が3万円を超える設定になっている。
多い時で大凡6万円程度と、以前の倍くらいはかかる事になる感じで、安くても5万円くらいは係る計算になっている。固定しないのは、1ヶ月の日数が30日と31日の日があるという事と、突発的に朝にヘルパーさんに入って貰わねばならない事が出来た時などで料金が追加するからである。
1日くらいで何故? と思うかもしれないが、要介護4の介護保険枠が30万円なので、それを超過すれば当然超過した分は全額負担になる。だから1日1時間のヘルパーさんを追加しただけでも月間で1万円増額なんてのはザラにある。
それでも、施設に入るよりは費用はかからないので、今は何とかなっているが、これがもし特別養護老人ホーム、通称特養などに入るという事になれば、自己負担額で月に10~15万円かかる事になるので、ウチのような環境では普通に考えて無理な話になってしまう。
これ以上の負担は増えては欲しくはないが、こればっかりは母親の介護状況次第なので、このあとどう変化していくかはまだわからない。
介護は終わりのないマラソン
いや、終わりはあるのだが、終わるという事は要介護者が介護を必要としなくなったとき、つまりほとんどの場合は亡くなったという事になるので、亡くなる事を前提とした話にしない為に、あえて終わりがない言い回しにしている。というか、私は終わってほしいなんて思った事など一度たりともない。
介護は要介護者がそこにいる限り、継続して行かねばならないものである。
障害者にも同じ事が言えるが、その人が生きていく為には絶対に必要な事なので、平日や休日といった区別もなく、常に続けていく必要のある任務である。
任務ではあるが、そこには当然、家族以外の人間が関わるとお金がかかり、その費用も延々と続く。
時間、人的リソース、予算とこれら全てをコントロールしないと、介護は達成する事が難しいので、達成すべき内容を決め、その内容品質をどこまで努力で高められるかを考えて行かねばならない。
このバランスがとても難しく、生活に余裕がある人なら難なく出来る事が、生活がカツカツな人だとかなり苦しい状況に立たされる。
私は今、そうした中に身を投じる事になっているワケだが、ホントに終わりのないマラソンだな、と改めて実感している。
予算が尽きるのが先か、私が尽きるのが先か。
予断を許さない状況はまだまだ続きそうである。