2023年の私自身のトピックスをいくつか。
つみたてNISAに挑戦
2023年、私の一番大きなトピックスはというと、以前から気になっていたNISAの世界に飛び込んだという事ではないかと思う。
自分の未来に関していろいろな事を考えはじめたのが2013年ごろで、当時はまだ親の借金を抱えながらもそれをひたすら返済していた時期である。
2014年には楽天証券でNISA口座を開設するが、返済の為になかなか投資に回せる資金など出来ようはずもなく、その後8年間も口座を寝かすという状態にしてしまっていた。
2021年には、NISA口座をつみたてNISA口座に切替えるも、結局そこでも積み立てるという事ができず、ようやく動き出したのが2023年の8月ごろだった。
この時には既にNISA口座は2024年から新しい制度へと切り替わるという事が言われていて、今までのNISA枠とは別モノになるという事から、個人のNISAで非課税対象となる総金額の枠は今年のつみたてNISA分だけ積み上がるという事で、ほぼ雪崩のような形で急遽つみたてNISAをはじめた。
簡単にいうと、新制度のNISAでは個人では総額1,800万円の非課税枠(成長枠とつみたて枠の総額)になるが、今までのNISAの金額はこの1,800万円とは別になるという事。つまりラスト1年でつみたてNISAをはじめた私は、総額として1,840万円の非課税枠になるという事になる。
この40万円が追加された枠は20年にわたって非課税枠として個別に存在する事になるので、私はなんとか2023年中に40万円分の積み立てをする事を決意し、2023年9月から、月10万円の積み立てを行った。
現在、私の楽天証券にあるつみたてNISAには40万円の投資が行われているが、その金額は大晦日の時点で41万円超になっている。もちろん、変動しているので、今後40万円を割り込む可能性もないわけでもないが。
とにかく、2014年に作った口座がようやく使われはじめたのが2023年である。
新PCをAMDで組む
2023年1月に、久々にメインPCを組んだ。
ホントに久々で、しかも半導体コストが跳ね上がっている時期に結構な高級パーツで組んだ。
今までで一番予算投じたのではないかと思うほどの金額になったワケだが、性能には満足しているものの、一部動作的に納得のいかない状況にもなっている。
まず性能としてはミドルハイクラスを実現しているという事。流石にハイエンドとは言えないが、8コア16スレッドでメモリもDDR5-6000MHzにOC運用という、今までの安定性重視の私とは異なる仕様に挑戦した。
もっとも昨今のPCはメーカーが積極的にOCさせるスタイルなので、特別何かをした、とか言う訳でもないのだが、ようやく世間一般の流れに乗ったPCだった。
あと、世間の流れとはいえ、10万円超のビデオカードに手を出したのも初めてだったと言える。昨年はGeForce RTX 3070Tiを中古で購入したので10万円を超えることはなかったが、今年は4070Tiを新品で購入したので、初の10万円超えdGPUとなったのも記録と言えるかもしれない。
全体的にPCパーツ価格が高騰しているので、価格が新記録というのは割けようが無かった部分ではあるが、マザーボードがまさかの7万円超えというのは、もうホントに勘弁してくださいという領域だった。
母が失語症
これはもうある意味今年最大の私の中での災厄である。
2月に入院した母は、それまでは会話が普通にできていたにも関わらず、退院してきた時には一切話す事ができない状態になってしまっていた。
それまでも瞬間的に会話できない状況になっていた事が一度はあったが、その翌日には普通に話せるようになっていた。ところが今回は入院前に会話できない事が発覚したが、その後改善される事なく、約1ヶ月後に退院してくる時には、もう会話できる状態ではなかった。
おそらく当人が一番困惑したのではないかと思うが、私がこの状態を理解するまでに結構時間を費やしてしまった。
当初は単に話せないだけだろうと思い、50音表を作って言いたいことを指さして貰おうとしたのだが、失語症という状態になると、脳内で言葉を作る事が困難となる場合が多いようで、50音表を見せても、言いたい事を言葉にして指し示す事ができず、かえって本人が言葉にできない事を自覚してより一層パニックを引き起こさせる可能性があるらしい。
母の場合も例に漏れず言葉を作り出す事ができないようで、50音表は無意味に終わった。
結果、コチラの言葉を理解してそれを母が表情とハンドサインで回答する、というコミュニケーションに変わってしまった。
一部「痛い」とかの言葉は発する事があるが、明確な言葉を私に返す事はほぼなくなってしまった。非常に残念である。
とまぁ、介護生活を送っている状況では、アクティブにいろんな事ができる、という事は余りなくなってしまったわけだが、自分の未来に向けた取組みに初めて足を突っ込んで年だったというのが、一番の印象である。