正直、日本でも最近は廃れてる。
日本だけ意味がズレている?
バレンタインデーと聞くと、日本人だと女性が好きな人にチョコレートを送る日、とされてきた。
もっとも、義理チョコとかそういうのが出始めた頃から、本来の意味から随分とズレはじめ、最近では好きな人に渡すとかそういうのすら見えてこなくなり、挙げ句の果てには女性から女性に送ったり、男性から女性に送ったりと、今までの流れとは全く異なる風習として定着しつつある。
元々、お菓子メーカーが仕掛けたようなイベントであるため、お菓子メーカーからすれば、売れてくれればその中身などどうでも良いのかも知れないが、世界的に言われているSt. Valentine’s dayは、ちゃんとした行事として成立している。
元々のイベントとしては、ローマの司祭であるバレンタインの記念日で、愛する人に贈り物をするという日である。ここに男女のベクトルの違いは存在しないし、何もチョコレートである必要も無い。だから、当然だが海外ではホワイトデーも存在しない。日本だけが変な解釈の基でイベントが広まり、独自進化してしまっている。どちらかという、メーカーの陰謀の方が前面に出てしまっているのが否めないお祭りである。
言い方を変えれば、まさに平賀源内でいうところの“土用の丑の日”という事である。
今年は少ない
私は、毎年このバレンタインデーにいくつかのチョコをもらう。
欲しいと願っているわけではないのだが、もうほとんど義務的に送られてきて、儀式的に受け取っている。
義務的に送られてきて儀式的に受け取っている時点で、もうイベントの主旨など完全に捉えておらず、感覚的にお中元とかお歳暮という意味合いになっている。
…毎年、送ってくる当人達には「もうやめようよ…」と言っているのだが、ホワイトデーに何か欲しいから、という理由だけで送られてくる。
要するに…私の側からすれば“1個でもチョコをもらった”という既製事実が出来、相手側も“1個でもホワイトデーのお返しがもらえた”という既製事実が出来上がる。つまり、それだけの為だけにモノが動くのである。
…そんな無意味な事を続けて何になる? と互いに解っていて、それでも何かに突き動かされたように送られてくるのである。
義理チョコを通り越して、既成事実チョコとでも言おうか。互いの見栄の為に贈答が行われる、まさに儀式である。
だが、今年は例年と比較して少なかった。
今まで私が「もうやめよう」と言い続けてきた事がようやく功を奏してきたのか、一部は辞めたようである。
いや、理由はそれだけではないかもしれない。今の世の中の景気を反映しているのかもしれない。どっちにしても、3月の私の財布にやさしくなったのは言う迄も無い。
チョコが欲しくて仕方が無い、という男性も以前から比べれば少なくなったのではないかと思う。
だが、敢えて言おう。
私のようなチョコのやり取りはまさに不毛である。こう言うのでも良いから欲しい…と昔知人に言われたことがあるが、私からすると不毛以外の何物でもない。
とっとと、こういうイベントは姿を変えて定着してホシイものである。
ちなみに。
先日、会社でちょっとしたものは別でもらったが、それは感謝の印として受け取った。
もちろん、感謝の意を込めて3月にお返しをしようと思っている。
今後は、こういうやり取りだけになってくれるといいなぁ…と切に願うものである。
いや、本当。
義理のやり取りは撲滅してほしい。
まぁ、今の職場で、女性いないし、今年は日曜だったので、なかったですが。
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単純に「贈り物」というレベルに落ち着くのが一番良い終着点ではないかな、と私は思っています。
が、世の中そう上手くいく事ばかりではなく、欲と陰謀が渦巻く限り、こうしたイベントは利用されつづけていくワケで。
私ではなく、相手方の見栄の為だけにずっとこのやり取りをしてきていたので、そろそろ決着が付いて欲しいんですけどね。
まぁ…相手方の一部は「見栄だけじゃない」と言ってたりする時もあるので、どこまでが本気でどこまでが冗談なのかは、わかりませんが…。
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