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Tagged: 生活

不幸は重なるもので…

もうね、お祓いがいるんじゃないかと思えるほどに。

水道料金、3倍の罠

2日ほど前の話になる。
自宅の郵便受けに2枚の紙が入れられていた。
1枚は水道メーターの検針票で、もう一枚はよく分からない藁半紙(最近あまり見かけないけどね)を1/4ほどに切った紙だった。
検針票か…多分いつもと同じ内容なんだろうな、と、使った水道の量が大きな変化がない事を理解しているので、そんな感じで何気なく見たところ、なんと、その金額が平時の3倍超という数字に!
普通に考えてあり得ない結果である。
で、もう一枚入っていた1/4の藁半紙というのが、その検針をした人の連絡文で、その検針担当者も今回の結果が異常だと感じたのか、その異常値に関する案内文として、この紙を投函していたものであった。
その内容を見ると、検針結果が異常なので、漏水の可能性がある、との事。
漏水の場合、金額の減免が受けられる可能性がある、との事で、その場合、指定業者に確認してもらい、図面や写真などを準備する必要があるという。
そしてその紙には指定業者の連絡先が11社分ほど書かれていた。
良くない事が連鎖している…
なるほど、漏水の可能性があるのか、とそこまでは分かったのだが、私の場合、ここから先の話は私に帰属しないな、と判断した。
理由は、住んでいる物件は借家だからだ。

ウチの領域じゃない?

で、早速この検針結果を大家へと連絡した。
大家の自宅に連絡をすると、この賃貸業務は息子がやっているとかで、実家にはおらず、結果、携帯電話で本人に直接連絡する事となった。
今まで、借家の中でいろんな設備トラブルがあった際には、宅内という事もあって自分でいろいろと対応してきた側面があるのだが、水道がらみとなると、外にメーターがあったり、具体的には地面下に水道管が通っていたりする事から、これは家の所有者の問題だろうという事で、大家に連絡したワケである。
滅多に私から連絡する事などないので、大家からするとびっくりしたのだろうが、事情を説明して地域指定事業者での点検、対応をお願いした。
即日対応…というわけにはいかなかったが、本日、業者に来てもらい、点検等を実施したとの事だが、その結果、とてもイヤな結果が出てしまった。
実はウチの借家は、もともとは二世帯が住む一軒家だったのだが、現在、家の半分を解体、駐車場に作り替えたという経緯がある。
なので、正確に言うと水道メーターは2つあるのだが、ここがおそらく大家のミスであり、その結果が住んでいた二世帯に降りかかっていた。実は二世帯がいたころから、水道局が確認していたメーターはそれぞれの世帯を見ていたのではなく、片方の水道メーターしか見ていなかったようなのである。
ウチの周辺は住所の区分が大雑把なところがあり、登録が正常ではない状態のようだった。
結局、現在はその一世帯分を解体したので、我が家しかそのメーターを使用していない状況なので、特に大きな問題にはなっていないのだが、今回、業者が備え付けられているメーターを両方とも確認したところ、本来の我が家が使用すべきメーターでは漏水が全くなく、もう片方の水道メーターにのみ、漏水が確認されたというのである。
ここまでの話を聞いて、アレ? と思った人は勘がいいと言える。
そもそも、この2つの水道メーターは両方とも水道の大元の水道管に繋がる際に1本に集約されているのである。つまり、A宅とB宅の水道メーターがあったとすると、A宅→B宅→大元の水道管と繋がっていて、本来我が家はA宅のみの検針量で水道料金を支払えばよいのだが、水道局はB宅の検針メーターのみを計測していて、水道料金としてB宅はA宅の水道量を含んだ水道料金を支払っている、という状況である。で、現在はB宅がなくなったので、A宅がB宅の水道メーターの料金を支払っているという状況なワケである。
二世帯が住んでいた時、おそらく隣は二世帯分の水道料金を支払っていた可能性が高い。
コレ、どう考えても大家のミスだろ?

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生活必需品、壊れる

何故生活必需品というものは一つ壊れると連続して壊れ始めるのだろうか?

ガスコンロ、逝く

自宅のガスコンロはコンロが左右2連のものなのだが、その内の左側が点かなくなるという状態になった。
左側のコンロは火力の強い方で、おそらくほとんどの家が左側のコンロの火力が強いのではないかと思う。一応製品としては右側が強い製品も存在するようだが、シンクなど水周りの位置と利き手の関係から、ほとんどが左側の火力が強い製品だと思われる。
そんな左側が点かなくなるという事になったため、とにかく使いにくい。ま、使用してきた年数で考えればそろそろ買い替えの時期なのかもしれないが、前触れなく壊れるとその買い替えタイミングは必ず壊れてからになるので、非常に厄介かつ面倒である。
当たり前の事ができない事が困るこうした生活に密着したものが壊れると、通常生活に支障が出てしまうので、可能な限りその前触れを感じられるようにと家族にも言っていたのだが、上手くいかないものである。

湯沸かし器、逝く?

で、こういう時、何故か他のものまで引っ張られるように壊れ始める。
正確にいうと、壊れたわけではないのだが、湯沸かし器でお湯を出そうとすると、妙に時間がかかるのである。
日本のガス湯沸かし器は優れモノなので、普通ならお湯を出して数秒でお湯が出てくる。ところが、ここ最近になってから、お湯になるまでにどうも1分近くかかっているようで、いつもの状態でない事が見えていた。
壊れたわけではないだろうから、様子見という形で現状維持していたのだが、湯沸かし器本体をよくよく見てみると、今年は点検時期に入る年数であり、そろそろメーカー側か想定したオーバーホール時期である事が見て取れた。
これなら確かに調子も悪くなるワケで、ガスコンロが壊れたのとあわせて、こちらも入れ替えたいと家族から話が出たので、ガスコンロと湯沸かし器の両方を新しくする事になった。
…ああ、なるほど、こうして纏めて入れ替えるから壊れる時期が一緒になるのか(爆)

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今年最後の日曜日

何だかんだと今年最後の日曜日がやってきた。そろそろ今年の総まとめでもやろうかと。

自粛と言う名の日常活動

今年2020年というのは、全世界的に実に不幸な年だったとしか言いようがない。
3月頃から世界的に新型コロナウィルスが本格化し、その活動が自粛へと向かう流れとなっていった。
今でこそ、これがとんでもないダメージを引き起こすパンデミックだと言えたが、正直、3月頃の私はまだここまでの話になるという認識が全くなかった。
だが、4月に入るとついに緊急非常事態宣言が出され、生活活動そのものに影響が出るようになった。
観光業はこの時点でアウト、飲食業にも影響が出始めたが、実の所、私の生活そのものは、日常にマスクをするという事以外、何も変わらなかった。
日頃の私は、そもそもあまり外出しないし、ほとんど家にいるだけ。活動範囲がほぼ自宅であり、つまり世間でいうところの引き籠もりだったわけである。なので私自身は通常の生活を強いられるだけの事で、私自身に変化など起きようがなかったのである。
その後5月、6月と月日は過ぎ、当時の日本は世界的に見ても影響があまりない国と言われていたが、それでも私の勤務先含めて新型コロナの感染に対して自粛活動せよという命が出ていた事もあって、あまり大がかりな活動というものをしなかった。
私はといえば、当時はノートPCの買い替えを思案している真っ最中で、その候補としていたMacBook ProをApple Siliconに変わる前に購入すべきか、それとも待つかという事をひたすら議論し、シミュレートしていた。ある意味、実に生産性のない活動を繰り返していたことか…。
その後、7月に入って結局私はIntelコアを搭載したMacBook Proの購入を決め、7月末から8月にかけてはMacBook Proを実用的にすべくいろいろな試行錯誤を繰り返していた。
その後、9月、10月、11月と月日は過ぎ、自粛ムードは変わらず続くわけだが、その間も私は別に日常生活と変わる事など一切していない。前述したとおり、マスクが日常に入り込んだのみである。
12月に入り、日本でもコロナの感染者が増加を始め、世間ではより強い自粛が要求されるようになった。だが、その強い自粛という活動にしても、私の日常生活と変わらない活動でしかないので、私の生活に変化は全くない。唯一変わったのは、より扱いやすい製品にするため、加湿器を新しいものと交換したぐらいである。

令和という時代

こんな事を書くと、不謹慎とか思われるかも知れないが、私自身は令和という時代に入った途端、実に良くない事ばかりが起きる時代になったように思えてならない。
令和元年もちろん、それは時代が悪いわけではなく、本当に何かの歯車が狂い始めた事が原因なのかもしれないが、世界中で今までなかった事が起き始めたように思えてくる。
あまりこの事に深く突っ込んでいくと、世界情勢だの国政だの国際問題だのと、話が大きくなり、政治的な話が全面に出てきてしまうのだが、とにかく生活していて今までと異なる情勢の中で生きていく事を強いられている感じがより強くなったように思う。
これを変化だというのなら、確かに令和は変化の時代なのかもしれない。少なくとも、もうすぐ終わる令和2年までは、実に目まぐるしい変化の中にあったと言わざるを得ない。
その変化の時代の真っ只中で、私は一体どれだけ変わったのだろうか?
前述した通り、コロナ禍の中、私の生活スタイルは実に何も変わっていない。ある意味、時代が私の生活スタイルに歩み寄ってきた、という表現ができてしまうワケだが、シンプルに、非活動的に粛々と生きる生活スタイルに、この令和2年はマッチしたという事になる。
変化の時代なのに、私には変化がなく、しかもその変化のない私の生活様式が求められる時代になってしまった。
この結果でもって、令和3年を私はどう生きる事になるのか?
全く以て予想できない事態である。

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