個人的にはちゃんとした説明だけはしてほしかった。その上で、STAP細胞に可能性があるのなら、その行く末を見たかった。
可能性はゼロじゃない?
小保方研究ユニットリーダーは未だSTAP細胞の検証の為の実験を続けているが、笹井副センター長が自殺した原因がSTAP細胞にあるとするならば、小保方氏はこの笹井副センター長の行動をどう見るのだろうか?
もし、笹井副センター長の自殺が、理研解体の可能性もしくは責任者達の更迭というところにその理由があるのなら、汚点を作ってしまった自分の未来に絶望したのか?
どちらにしても、ある種無責任な幕引きをしてしまったな、と私には思えてならないと同時に、日本の科学界において大きな損失になったな、と思う。
個人的には、STAP細胞は可能性はゼロではない、と未だに思っている。
仮にSTAP細胞そのものが否定されたとしても、新たな再生細胞研究の一端を担う可能性はあったかもしれない。そう考えれば、まだこの結論を出すには早すぎただろうし、早すぎた事で、今の小保方氏が行っている検証研究が無駄だという事を笹井氏が言っているようで、その方向から考えても笹井副センター長のとった行動は軽率だったと思う。
自殺を選んでしまったのは、エリート街道を突き進んできた笹井氏が精神的ダメージに弱かった、という事が原因かもしれないが、それだけの権威と地位を得た者ならば、世間に対しての責任があった事くらいは自覚していて欲しかった。
結果的に膿を出す
私は今回のSTAP細胞事件そのものは、理研の中にある膿を出すというとても重要な役割を果たしたと思っている。
見えない権限構造、そして資金の流れ。少なくとも、理研内にあるこうした不穏な動きを世間に公表したという事で意味のある事件だったと思うのである。
官公庁もそうだが、こうしたエリートが創り上げる世界には、必ずどこかに歪みが存在していて、その歪みの原因が、或いは金だったり、或いは権威だったりする。理研はまさにその渦中にあるわけで、公的資金の流れがないとはいいつつも、天下り含めた権威的問題が渦巻いている。理系だからこそ、そうした部分も白黒ハッキリつけられる状態なら良かったのだが、そういう部分に限ってアナログかつ曖昧という事で、実力と見返りが必ずしもイコールにならない組織を見直すには、こうした組織の根底を揺るがす事件がないと、問題が露呈しにくい。
問題を引き起こした関係者が、そうした思いを持つ事はできないかもしれないが、周囲が、そうした考え方や思いを転換させるような働きが出来ていたなら、笹井氏の自殺は防げたかも知れない。しかし、世間は笹井氏含めて関係者を叩きまくった。その気持ちも分からないでもないが、ハッキリした結論が出る前に叩きまくった。その結果がコレである。
誰にもメリットはなく、ただデメリットのみが残る結果になってしまったワケである。
これで有耶無耶に…
私が次に恐れるのは、笹井副センター長の自殺によって、理研問題が有耶無耶にされる事である。
昔のハラキリではないが、笹井氏がハラを切ったから問題は解決…なんて方向に話が進んでしまわないようにしなければならない。
組織やそれらを組閣する人達が万全万能だという事はあり得ず、そしてそういう人達で作られたものが完全万能だという事は絶対にあり得ない。
だからこそ、キッカケを得たならばそれで改革していかなければ意味がない。
事なかれ主義なんて考え方は、今の世には合わない。そうやって有耶無耶にしてきた事で、今の問題は元が小さい問題だったものが積み上がって重大問題へと繰り上がってしまった。
そうした事を再び起こさないためにも、せっかく得たキッカケを有効に使わないといけない。
私よりずっと頭の良い人達が、社会のシステムを考え、また動かしているのだから、その辺り、しっかりやってほしい所である。
そうしないと、笹井副センター長も浮かばれないというものである。