“うみねこのなく頃に”をとりあえず終わらせた。
CD-ROMにはEP1とボリュームに書かれている通り、まずエピソードの一つが語られたに過ぎない。
おそらく次回はもう一歩前に進んだ形でこの物語がもう一度語られる…のかもしれない。
内容としてどうなのかといえば、ミステリーとすればかなりおもしろいと思うし、ミステリー小説の王道をずいぶんと進んでいるなと言える。
わかるのだ、次に○○が死ぬかも…という予感が。
この予感させる書き方というのは、なかなか難しい。もちろん、ミステリー作家を志望している人にとってこういう書き方は狙って出来なければならない事の一つかもしれないが、そうそう狙って出来る事もない。
技法…というよりは作法に近いもので、それが効果的に現れるかどうかはセンスが偏に握っていると言える。
そういった観点から見ると“うみねこのなく頃に”は読み物として観る分においておもしろい作品と言い切っていいだろう。
ネタバレは書かないが、私は犯人の予想がある程度ついている。
もちろん、ここにその予想は書かない。
というのは、現時点で与えられている情報だけではどうもハッキリと見えてこない部分が多いからだ。
文章というのは、人の思考を誘導できる。だから私はその誘導にひっかかり、情報が足りないと判断しているのかもしれない。
ひょっとしたら私が予想している犯人は間違っているかもしれない。
しかし、現時点で足りないと判断される情報をもって考えると、ある人物が真犯人である可能性が極めて高くなる。
まぁ…私の推理は若干ながら足りない部分を自分の予想で補い、作者の意図をねじ曲げてしまっているかもしれないが。
前作“ひぐらしのなく頃に”は、正解率1%のミステリーだと言われているらしい。
それを考慮すると“うみねこのなく頃に”の今のエピソード01の段階で真犯人がわかるわけがないのかもしれない。
作者はおそらく読者のいろいろな推理を今楽しみに観ているかもしれないし、当たっていそうな推理を逆に次回作に反映させようとしているかもしれない。
私が“ひぐらしのなく頃に”などの作品があまりフェアじゃないなぁと思っているのは、続きが公開されるまでにいろいろな人が推理を出し合い、作者はそれを淡々と閲覧できる事にある。
つまり、途中で納得の出来る路線変更なら何度か出来てしまうという事である。もちろん、ココには“納得の出来る”という絶対条件がつけられるワケだが、それが出来ればシナリオは変更出来てしまうのである。
まぁ…ホントに最初の作品が発表になった段階ですべての謎とシナリオが用意されているのかもしれないが、そうでなければ、どんなに優れた推理が読者から挙がったとしても、作者の気まぐれで謎が改竄されてしまう可能性があるのだ。
これは犯人を読み解かせるミステリー小説を前後編で発売するよりも姑息な方法であり、ネットワーク時代を逆手に取った手法だと言える。
ゲームであれば、ユーザーの情報など集めるのに苦労はしないし、掲示板などを用意すれば、そこにユーザーはこぞって推理を書き連ねるだろうから、そこから違った方向を見出すことができるのだ。
邪推もいいところだが、こうした一度にすべての謎が解明されない作品は常にそうしたねじ曲がった考え方を内包させてしまう。
作者に私が期待したいところは、そうしたねじ曲がった邪推を内包する作品だからこそ、次回の続作は今回のトリックを納得させる内容にしてもらいたいという事だ。
“ひぐらしのなく頃に”はそれを見事やり遂げたのだろうから、今作もぜひそうしてもらいたい。
期待作は常にこうした重圧の中にある。
それが定めなのだから。