興味はあるんだ…興味は…。
ゲームクリエイター
私はその昔、ゲームクリエイターになりたかった。
だが、私がその夢を持った当時は、ゲームクリエイター=ゲームプログラマーという図式が当たり前の時代だった。
その時代に何とかパソコンと呼ばれるものを手にする事が出来た私は、プログラム技術を身に付けるべく、いろいろ挑戦してみたものの、結果的に私にはプログラムを組む事はできなかった。
ゲームが好きで、毎日のように遊んではいたが、その影響で自分でもゲームが作りたいという思いだけは強かったが、いざプログラムとなると、全くといっていいほど手も足も出ない…そんな状況が私にゲームクリエイターの夢を諦めさせた。
だが、時代は進み、次第にゲームは分業制の制作スタイルを採るようになった。いや、最初から分業制だったのだが、より細かい分業で制作される事が当たり前になった。
これはゲームというエンターテイメントが時代と共に成熟し、より高度な内容を求めるようになった事で、プログラムとストーリーやシステムを考える人が別であるスタイルが確立できるようになったという事である。
そうなると、私はプログラムという諦めた道から解放され、私でも制作できる分野が存在するという事になり、私は諦めた道を再び目指せると考えた。
だが、プログラムではなく、より高度な中身を制作する事を考えた時、私の中でまたしても立ちふさがる問題が目の前に現れた。
私は特にストーリー性のあるロールプレイングゲームが好きだった。だからストーリーを拡充する為には、世界のもっといろんな知識が必要だ…と考えたのである。
この問題を解決するのは、プログラムを習得するより、より困難だったと言えるかも知れない。だが私は、この問題に対しより原点に立ち返るが如く、より深い知識を求めるようになり、世界の歴史、風土、民俗学など、そういった万物の状況を知りたいと思うようになり、大学に行ったなら宗教学を学びたいと思うようになった。
何故宗教学かというと、歴史的に人の活動は何かの思想や宗教といったものに根ざしている事が多い為である。そして宗教学を学んでいけば、それは即ちその宗教の歴史を知る事であり、その土地の風土を知る事であり、その土地の民族を知る事になる…そう、全て繋がっていくのである。
おそらく、別に宗教学でなくても、これが民俗学であっても考古学であっても、結果的に行き着く所は同じなのかもしれない。
とにかくそうした道に進みたいと思うようになったのである。
そして同時に、科学や文学に関してもいろいろ知りたいと思うようになった。
今のこのBlogの記事が、方向性としてジャンルに拘っておらず、いろんな事をテーマにしている背景には、この時の私の思いが深く関係している。
ゲームという一つの作られた世界を構築するには、世界を構成するイロイロな知識が必要である…そう考えていたのである。
夢、叶わず
結局、私はイロイロな事情で大学に行くことはできなかった。
能力が足りなかったのかも知れないし、環境が許さなかったのかも知れない。
何か一つの理由というわけではない理由で、実現する事ができなかったのである。
学生という立場で専門的に学ぶ機会を失った私は、結局世間の流れに流されるままの生き方を採るしかできなかった。
もちろん、その間に好きな道を諦める事はできなかったので、何とか知識を身に付けるべく独学でいろいろな事を知る努力はしたが、道は自分で切り開かねば夢を叶える事はできない。
結局、家庭の事情に6年ほど振り回され、それでも道を諦めなかった私は、知人の助力でようやくエンターテイメントの世界に繋がる道を得る事ができた。
ここまでが、Blogの「Profile」に書かれている2行目までの出来事である。
その後私は上京し、デジタルコンテンツ業界でエンターテイメントの世界に身を投じる事になるのだが、結局その後、再びイロイロな事情からその道を閉ざされてしまう。
ゲームクリエイターになりたかった夢が、一度はその道に限りなく近づいたにも拘わらず、結局叶える事なく現在に至っている。
だが…本当にそれでいいのか?
今でも時々そう思う時がある。
プログラムを組めるという事
もし、私が諦める事なくプログラムを組めるだけのスキルを身に付けていたならば、きっと今のような道を辿ることはなかったのではないかと思う。
変な言いがかりかもしれないが、プログラムを組めるという事は、即ち、ゲームの根幹をつくる事ができるという事でもある。
ここで言うゲームは、コンピュータを利用したゲームの事を指すが、コンピュータで動く以上、何かしらのプログラム言語でゲームが動作する以上、このプログラムが組めるという事は、確実に何か形をそこで創り上げることができる事を意味する。
もちろん、それがどれだけ困難で難しい事か理解できていないわけではない。
だが、少なくともプログラムが全く解りませんというよりは、一歩、実現に近い立ち位置に立つ事ができるハズである。
もっと理解できる環境が欲しい。
私はずっとそう思っていた。
だが、日本では世界的にみてプログラム言語を学ぶ機会が少ないらしい。
実際、世界的にもプログラマーの数は需要に対して増えていない、と言われている。まぁ、だからといって常にプログラマーの需要があるかといえばそれはまた違う話になるのかもしれないが、少なくとも、自由にプログラミングできるスキルがある事で、実現できる事が変わってくる事は間違いない。
そういう意味では、今後生まれてくるであろう未来の担い手には、私のような結果に鳴って欲しくないな、と私は思っている。
もっとプログラムを学べる機会があれば…。
今は、作られている環境が整備されてしまっているため、ゼロからプログラムを組む事をしなくても、それなりのものが出来てしまう時代。
それではダメではなかろうか?
もっと自由に、もっといろいろな事を可能にするプログラムを組める人材が必要なのではないか?
そう思えてならない。
Raspberry Pi
私の様な危機感とは全く違うかも知れないが、同じようにプログラミングできる環境を整えたい、という思想で作られた財団がある。
それがRaspberry Pi財団である。
財団が普及活動を行っているハードウェア「Raspberry Pi」は、その最上位機種であっても日本円で6,000円ほどで手に入るものである。
これを実現した財団は凄いな、と本気で思う。
もっと安いハードも存在していて、5ドルの「Raspberry Pi Zero」という製品も投入している。これで世界の後進国でも何とかプログラミング環境を構築できるのではないか、という思想で作られたようだが、世界ではこのようにしてプログラミングできる環境を作り、いろいろな状況の人にチャンスを与えている。
活用できるソフトウェアも、無償配付されているものを利用できるため、基本的な事であれば、このRaspberry Piだけでプログラミングは可能である。
実に素晴らしい発想だし、未来を見据えた人材育成だと思う。
ひょっとしたら数年後にはこのRaspberry Piで覚えたプログラムから、世界的なゲームクリエイターが生まれるかもしれない。
そう思うと、私も再び夢を見るのも悪くないのかもしれない…そう思ったりなんかして。
夢追い人
ただ、私の場合はやはり物書きの如く文章を書き続ける事は慣れてきたが、それ以外はやはりまだまだである。
実際、ホンモノの物書きの人達は、私の書く文章量とは比べものにならない量を書き続ける。これはホンモノのライターを幾人か観てきた経験上、よく知っていて、その道はその道で実に険しく深いものだという事を知っている。
夢を実現する事はそんなに簡単ではない。これが紛れもない事実であり、絶対的な事だと思う。
このBlogの記事を読んでいる人も、いろんな夢を持っていたのではないかと思う。
貴方はその夢をどこまで実現させてきたのだろうか?
私は一度はかなり近づいたが、結局叶える事はできなかった。
いや、諦めるかどうかはまだ解らないが、少なくとも現時点では夢は夢である。
余談
今日の話は正直落としどころがない。
多分エンドレス。それは夢をテーマにした時点で決まっている。
なので、最後は余談で締める事にする。
Raspberry Piの3代目、Raspberry Pi3に「MADE IN JAPAN」の製品がアキバに出回った。
こんな安い組込ボードのようなハードを日本の工場で作れるのか? と疑問に思っていたのだが、その実際に製造した工場がわかった。
製造は愛知県のソニー稲沢工場のようである。
日本のような人件費の高い国で、このような安いコンピュータが製造できる。
これはある意味驚異的な事である。
案外、日本国内の製造コストは世界と普通に戦えるのかも知れない…。