私の生活でもそうなのだが、今の時代、コンピュータがない生活を想像するのは難しい。
私の環境では自作PCが1台、iPhone4、PS VITAと情報端末が最低でも3台あり、使用頻度はバラツキがあるものの、それぞれがそれぞれのシーンで活躍している。
これら情報端末は、インターネットという情報閲覧の為だけに使われるのではなく、主としてゲームに、主として仕事に使用されている。
つまり、私の生活は、演算機を搭載したもの=コンピュータが既になくてはならない存在になってしまっている。
インターネットと呼ばれるものが始まった頃、まだコンピュータの性能はとても十二分と言えるような事はあり得なかった。
画面表示や情報の読み込みなど、人間が結果を待つ状況は今よりもずっとウェイトが大きい状態であったし、新機種が出る度にそうした部分の速度が向上していき、それらも顕著な差が出ていた。
しかし、今の世の中は画面表示や情報の読み込みといった部分で待ちに待った、なんて事はほとんどなくなってきてしまった。一部、3G回線などから情報を得ようすれば読み込みに時間がかかって待ちに入るなんて事はあるかもしれないが、普通に光回線でネットに繋いでいる状況だと、場合によってはローカルディスクから情報を得るよりも速く画面表示していたりする時代になった。
それはとても喜ばしい事だし、それだけコンピュータと呼ばれるものが高性能になったという証でもあるが、これだけ高性能化してくると、どれだけの性能のコンピュータを使っていけばいいのか? 対コスト効果を気にしてしまう。
私は一昔前のPC選びでは「今買える最高性能のものを買うのが最も損をしない買い方」としていた。
だが、今から5~10年くらいの感覚だと「最高性能の一つ下くらいがコストパフォーマンスに優れたPCの買い方」となった。
Intelでいうなら、Extreme製品ではなく、その一つ下を買うのが良い、という事である。
だが、今現在はどうだろうか?
Ultrabookと呼ばれる区分のノートPCが世に出てきたが、このUltrabookの性能で困るという人がどれだけいるのだろうか?
ネットに接続できてメールが出来て、チャットが出来れば問題ない、という人であるならば、おそらくUltrabookの性能でも十二分な性能なのではないかと思う。
いや、場合によっては、それだけの用途ならPCである必要すらない。iPhoneをはじめとしたスマートフォンや、iPadのようなタブレットPCで十分かもしれないし、逆に用途としてPCでない方が使い勝手が良いかもしれない。
こういう状況だからこそ、コンピュータで何をするのか? という事がコストにとても重要な要素になってきたように思えてならない。
私は基本パワーユーザーなため、かなり性能にかける予算配分が大きい。
だが、その持て余すだろうパワーを何に使うのか?
まぁ私の場合は、高精細なオンラインゲームをする為にハイエンドなビデオカードが欲しい、高パフォーマンスなCPUや環境が欲しい、となるわけだが、それすらも「そこそこ遊べれば十分」という人は、中堅以下のPCであっても遊べてしまうだけの性能が今はある。
であるならば、どのレベルのPCを購入するのか?
或いは用途としてネット、メール、チャットのレベルなら、PCでなく別のデバイスへと切り替えるというのもアリな話だ。
デバイスそのものすら選べてしまう。それが現在であり、PCと言っても用途別でコストが大きく変わってくる時代である。
IntelのIvy Bridgeは、そういった意味では実に幅広いコスト帯をカバーしている。
もちろんIntelだけでなく、AMDのFusionコアも同じだ。
そしてスマートフォンやタブレットに使用されているARMコアを含めると、その幅はさらに広がる事になる。
まず、コンピュータで何をするのか? 何がしたいのか? どこまでしたいのか?
個人の考えている幅で、使用するデバイスとコストが変わってくる。
だからこそ、自分含めて周囲に問いたい。
コンピュータを何に使うのか?
何がしたいのか?
どこまでしたいのか?
今の時代、もう「今買える最高性能のものを買うのが最も損をしない買い方」は正しくないのである。