東日本大震災。あれから4年が経過した。
日本は過去から学んだのか?
4年前。
私は今まで経験した事のない揺れを体験した。
しかし、私はまだ揺れを体験しただけと言えるだけ幸せだったと言えるだろう。
実際に被災に遭った東北の人々からすれば、まさしく人生をひっくり返す事象に出会ったのだ。
そしてその事象は未だに尾を引き、未解決のままの事さえある。これが現実であり、この現実が残る限り、解決したとは言えないと私は思う。
私が思うのは、この東日本大震災の恐ろしい所は実は地震ではなく、その後にきた津波であり、そしてその津波から発生した原子炉のメルトダウン問題である。
今更、私が言うほどの事ではないのだが、改めて考えた時、日本はこの天災から何を学んだのだろうか?
原子力発電所をなくす…という方向に進むのかと思えばそうでなく、津波が来るから津波の来ない所へと移動するという事でもない。
まぁ、津波の件に関しては、想定できる対策をもった上で新たな街作りが行われているのかもしれない。原子力発電所でも想定できる対策を施した上での再稼働を薦めているのかも知れない。
しかし、元々東日本大震災自体が、その想定を超えていた事象だった事を覚えているのだろうか?
街作りに関しては、ある程度被害想定をしての再構築が進んでいる、という事を何かの特番放送で見た。仮に被害のない地域へと移住して下さい、と土地の人に言ったところで納得できるものでもないだろうから、そうした方向性に進んで行くしかないという事情もあるだろう。
だが私にとって、原子力発電に拘る日本は過去から何を学んだのだろうか? とどうしても思ってしまうのである。
無知故に…
私は普段、こういう話題にはなるべく触れないようにしている。
私自身の無知故の発言で、的を射ていない話をする可能性があるからだが、今回はあえてその話をしてみようと思う。単純に私が思っている事を吐き出すだけの事ではあるが。
原子力発電の仕組みは核反応時に発生する熱で水蒸気を発生させ、その水蒸気でタービンを回して発電する、という仕組みである。
ものすごく単純に言えば、お湯を沸して上昇する水蒸気で羽を回してタービンを回すという、実に単純極まりない発電方法である。ただ、その水蒸気を発生させる熱の発生源として核反応を利用しているという事と、その発生する熱量がハンパなくデカいという事で発電量が大きいという事にすぎない。
まぁ「すぎない」という言葉が正しくないのはわかっている。日本の電気消費量を考えれば発電量が多い事に越した事はないワケであり、それで国も原子力発電に注力してきた経緯がある。
だが、原子力発電は、今回の東日本大震災を経験する前にも問題になっている件がある。それが使用済み核燃料の処分である。
その問題が完全解決する前に東日本大震災に遭い、そして今度はメルトダウンを経験する事で放射能問題を抱えることになる。
現地でこの対策に立ち向かっていった(いる)作業員の方々の勇気と努力には頭が下がる思いだが、こうした問題が解決できない状況下でありながら、未だ原子力発電を再開するという動きがある事に私は疑問を感じるのである。
前述の使用済み核燃料の処分も含めて、放射能汚染物質の処分がとても大きな問題としてのし掛かっているにも拘わらず、未だ原子力発電に頼らざるを得ないとする動きがあるのは、日本は過去から学んでいないように思えてならない。
もちろん、私だって電気がなければ生活に困る事は間違いない。だから自信を持って「原子力発電なんかやめてしまえ」と言い切れない部分もあるが、もっと安全な発電方法に国の施策を切り替えるという方向は考えられなかったのだろうか?
風力、波力、地熱、太陽光…
所謂自然エネルギーと呼ばれる発電方法は、沢山ある。
だが、問題はその発電力であり、残念ながら原子力発電ほど安定的に大電力を得られる方法がないという現実があるのかもしれない。
だが、それは初期の原子力発電でも同じだったのではないだろうか?
今まで国策として進めてきたからこそ、原子力発電で大きな発電が可能になったのではないだろうか?
であるなら、私は国策として何かしらの自然エネルギーへの切替を進めるべきではないかと言いたい。
日本は火山帯国であり、それ故に地熱発電などは有効に利用出来るようにも思えるし、周囲が海に囲まれている事から波力発電という手段も往々に利用できる。太陽光発電は日照問題等もあるため、地球上で行うには限界がどうしてもあるだろうが、これがもし宇宙空間で発電可能になり、発電衛星から地上へ電力を送電する事ができるなら(マイクロウェーブで可能だという話)、安定的に太陽光発電も可能になる。
風力は自然の不安定さをまともに受けるため、これら他の発電方法から比べると安定性に欠ける発電方法だが、補助的に使う事はできるだろう。
これらいくつかの発電方法をつなぎ合わせ、原子力発電に変わる次なる安定電力供給源を作る事こそが、国策として行うべき事ではないだろうか?
非常に無責任な話をするが、過去、日本人は幾度も問題にぶつかり、その都度、日本ならではの知恵で困難を乗り越えてきた。
日本が世界的にも素材メーカーが強い国であるというのは、外的要因によって困難にぶつかった時でも、基礎研究を繰り返し、素材レベルでその問題を乗り越えてきた結果だと私は思う。
発電という事に関しても同じ手段をとる事はできるのではないだろうか?
世界的に見れば非常に小さな島国である日本だが、世界が日本に注目してきたのは何故だろう?
日本人の緻密な積み重ねから生まれ出たものが、世界の他の国がなかなかマネができないからこそ注目されるのであり、それは世界に確実に影響を与えてきた。
今、日本が原子力発電から自然エネルギー発電へと進む事で、場合によっては日本は世界有数のエネルギー国家へと生まれ変わることができる可能性もあるのではないだろうか?
無知故に憶測だけで書いているが、日本は過去に遭遇した災害から何かを学ばねば、次なる進化を遂げる事はできないように思う。
変わらねばならないのは人
なんとなく、こうした変化しなければならないという使命感のようなものは、あの被災に遭ってから、日本の人々の中にはほとんど根付いたように思える。
みんな何かを変えていかねばならない、という朧げながらの危機感は感じているのではないかと思う。
しかし、それでも原子力発電に向かっていった現実は、変わる事のできない人々の選択だったのではないかと思ってしまう。
そう思えばこそ、変わらねばならないのは人の方であり、人が環境に合わせて行くしかない。
これからの日本はそうした変化の時の中を生きていく事になるように思う。
そしてその変化をいち早く受け入れ、順応していく人が次の時代のリーディングパーソンになるように思えてならない。
ま、簡単に変われるようであれば、誰も困ったりはしない。
変われないからこそ、歴史は繰り返すのであり、同じ過ちを人は繰り返していくのだろう。
だが、そういう事すらも、これからは繰り返す事のないように、人は変わっていかねばならないという気持ちは忘れてはならないように思う。