良い印象というのは、受け手がそう思うから良い印象なのであって、いくらサービス側ががんばっても受け手がそう思わなければ良い印象にはならない。
Appleという企業は、そういう所がよく分かっているように感じる。
普通に仕事しているだけなのだろうが、私にとってそれはとても良い印象に見えてくるから不思議なものである。
結果的に4日も早く届いたんだけど、おそらくそれは意図的なものではないハズ…。
突然の配送物
今日、夕方5時過ぎだっただろうか?
突然我が家に配送物が届いた。
ここ最近、Amazon.co.jpからいろいろな買い物をしていたが、今日は配送物がなかったハズ。それなのにイキナリ届いたものだから、一体何があったのか、最初は全くわからなかった。
荷物を見るとDHLという我が家では聞き慣れない配送業者。はて? コレは? と思ったが、一つだけ心当たりがあった。
たしか、MacBook ProがDHLから配送されるというハズだったと思うが、それはAppleから貰ったメールでは7月30日という話だったはず。
だが、その荷物は重量2.75kgというちょっとした重さで、どう考えてもMacBook Proのように思えて仕方が無い。
だが、外装の箱を見る限り、それはYouTubeなどで開封動画に流れてくる、Apple独特の開封方法を施した箱だった。そう、あの角の紙テープを引っ張ると箱が開梱できるアレである。
この時点で、間違いなくソレはMacBook Proだと核心する。
Appleからのサプライズとしか思えない話だが、予定より4日早く荷物が届いたのである。
Appleという企業精神
紙テープを引くと、箱がサッと開梱する。この手軽さがAppleの企業精神を表しているように思えてくる。顧客至上主義。おそらくどの企業もその姿を目指しているだろうと思うが、Appleはこの配送の箱にもその精神が見えてくる。
開けられた箱から出てきた箱は、紛れもなくMacBook Proだった。透明のフィルムに包まれたその箱の角にも、やはりフィルムを剥がすためのタグが取り付けられている。ここまで徹底するからこそ、Apple製品は高くても受入れられる。ここまでブランドイメージを高めるのにも時間はかかっただろうが、今ではそれが当たり前のように受入れられている。
そしてMacBook Pro本体の箱もまた、持つ者の満足感を与える為のアイテムになっている。
日本メーカーのノートPCを購入したコトがある人なら分かると思うが、ほとんどのメーカーが簡易パッケージを採用する中、Appleはその真逆を行く。
シッカリとしてピッタリと合わせられた化粧箱は、如何にも高級品が入っている事を見た目にアピールする。上箱を引き上げると、ゆっくりと空気を中に吸い込み、抵抗を受けながら上箱が開かれると、そこにはまたしても本体を引き上げる為のタグが見える。
本体は半透明のフィルムに包まれているが、そのフィルムにつけられたタグを引くと、そのフィルムがひらりと剥がれる仕組みになっている。
至高。
まさにそのフィルムを剥がす行為に与えられた言葉である。
本体以外には、簡易マニュアルとAppleのシール、そして充電器と充電ケーブルしか入っていない。簡素かつ必要十分な同梱物である。
そしてこの本体を含めた内容物すべてが、Appleという企業の精神を表している。
ゆっくりとMacBook Pro本体を開くと、静かに起動し、セットアップが始まる。
ただ箱を開けて本体を取り出すだけで、これだけのアイデンティティを感じるというのは、もはやブランドイメージという言葉を通り越えた、一種の哲学を感じるほどである。
Windowsと異なるインターフェース
本体を開くと自動的にセットアップが始まり、そこでApple IDなどの情報を入力していくが、Apple IDからiPhoneの所有が確認されれば、その設定の中でiPhoneとの連携が始まる。
その事自体は別に驚きでも何でも無いが、モバイルデバイスとの連携がここまで親密だとこれから先もっと便利に使えるかもしれないと思わせるから不思議だ。
ただ…やはり私がいくら以前にPowerMacを使っていたとは言え、それはもはや過去の話。インターフェースの違いに戸惑いを隠せない。
タッチパッドはさすがはAppleと言いたくなるほど高機能なのだろうが、Windows使いの私からするとどうしても違和感を感じる。慣れるまでにはまだまだ時間はかかりそうである。
また、OSそのものの使い方も同じである。
各所にWindowsとの違いを見せつけられ、慣れない私をどこか拒絶する。だが、それはおそらく拒絶ではなく、さらなる使いやすさの第一歩にまだ乗れていないだけなのではないかと思う。
設定を終え、FINDERを表示させてふと気がついた。
macOSの端々に、その物腰の柔らかさを感じる。Windowsのような質実剛健な表現でなく、OSの挙動一つ一つに流れるような移り変わりを感じるのである。
おそらく、その動きもまた、Appleの企業精神が生み出したものではないかと思う。
ハードからソフトまで、Appleは全てに一貫してユーザーに何かを示してくる。それこそがAppleという名の精神である、と。
序盤は始まり
というわけで、MacBook Proが思ったより早く到着した。
まだセットアップを始め、それが終了した段階なだけで、全然使える状態にはなっていない。とりあえずブラウザにGoogle Chromeをインストールし、先日のOSのアップデートを適用しただけの状態で止まっている。
今後、仕事でも使っていけるように、Office Suiteをどうするか検討し、その後メール等のソフトをどうするかを考えていく。
実用に耐えるようになるには一週間ほどかかるだろうか。
いや、もっと速いかもしれないが、まずは私がmacOSに慣れる必要がある。
どうにも長く使っていなかった事で、完全に私の頭はWindowsの思考になってしまっていて、普通に設定する事がとんでもなく難しく感じる。
ただ、OSの設定一つとっても、端々にユーザー本位のスタイルとAppleの精神が垣間見えるのは、私が初めてPowerMacを使った頃と何も変わっていないように思える。
そういう部分はひしひしと感じる事ができるので、今後の主体をMacにしようという気がさらに起きる。
もっとも、Windowsとも離れる事ができないのは、今の運用スタイルの基本がMicrosoftに支配されつつある事の証のようにも思える。
…いや、実際にはWindowsであっても、MacであってもインストールしてしまうGoogle Chromeの方が、より世の中を支配していると言えるのかも知れないが。
まずはMacBook Proで仕事ができるレベルの準備を進める。
これからしばらくは、ぎこちない操作とかみ合わせていく手順の繰り返しが続くだろう。