結局は時間が全て。誰かが代わりにやれば良いという事ではない。
関係者会議
先日、当Blogで介護生活に関した記事を書いた。
現在の介護において、訪問介護士がオーバータイムで対応しているという連絡があり、急遽、その為の対策打合せが行われた。
具体的には、現在の状況の確認と、どうやれば時間内に収まるかという事の検討になるのだが、実はほぼ解決策は最初から分かっているのである。
というのは、介護士が時間がかかっている事が何なのかという事を十分理解しているからだ。
その時間がかかっているという事が「母の食事」である。
介護士は食事に関して基本的に必要が無ければ要介護者に対して食べさせるという事はしない。
これは意地悪でそうするのではなく、本人ができる事は本人ができなくなる事を防ぐためにやらせる、という考えがベースにあるためだ。
つまり、ヘルパーさんが食事を用意したならは、実際に食べるという行為は母が自分で食べる、という事を意味する。
当然、上手く食べられないので、ヘルパーさんはその行為を介助するのだが、これに時間がとてつもなく掛かる為、時間内に仕事を終えることができないのである。
昼間は何とか1時間枠でそれらが行えるのだが、夕方は30分しか時間がないため、間に合わないのである。
となると、それを解消する方法としては、私が夕食を担当する、というのがもっとも手っ取り早く、また簡単な対策になる。
唯一の問題は、私の帰宅時間が多少遅くなるので、母の夕食が遅くなるという事である。
この部分が解決できれば、訪問介護士の今回の問題はほぼ解決する事になる。
一日一時間
私は自宅に帰ると、まず自分の夕食の準備を行い、それが終わると母のおやつの準備や翌日の対応に入る。翌日デイサービスなどがあればその出かける準備をする必要があるからだ。
そしてそれが終わると母の身体的介助を少しやってその後入浴、そして洗濯となる。
それらの合間に、母から体位の変更を言われれば体位変更を行うのだが、これを全部終わらせると、夜の10時~11時になる。これを毎日のルーチンとして生活している。
自分の食事の準備といっても、結局食器の片付けやら何やらがあるので、小一時間はかかるし、手を抜ける時間があまりない。
このルーチンに、母に食事を出して食べさせるという行為が今後増える事になる。
時間にして小一時間はキッカリかかる事は間違いが無く、また私の食事と同時に進行させる事ができない事もわかっている。母は、流動食とは言わないがそれなりに飲み込める食事でないとダメなので、私とは同じ食事にはならないので、食事の準備などは別々に行わねばならないのである。
だから、私の日常から毎日一時間が今後消費される、という事が確定した。
介護生活をしていく上で、外部の力を借りても今回の変更は受け入れるしかない状況である。
一人で介護
私は現在母の介護を一人で行っている。
ヘルパーさんなど外部の力を借りてではあるが、家族としては他にいないので私一人になる。
自分の事、家の事、母の事を一人で行うのは、とてつもなく時間がかかる。
住宅環境から、洗濯などを数日纏めて行うという事もできないので、ほぼ毎日が同じルーチンになる。
怒濤の如く、介護と家事を行い、いざ寝るとなった後、午前2時や3時に母から体位変更の呼び出しがかかる。母は昼に寝ていられるので、夜なかなか眠れないという問題を抱えているので、体位が気になると私を呼び出すのである。
こうなると、私の睡眠にも悪影響が出てくる。これが数日の出来事なら問題はないが、毎日である。毎日、同じルーチンが回るという意味ではわかりやすいかもしれないが、その分、体に無理が来る。
今、まさにその無理が蓄積している状態である。
一人で介護というのは、どこかしらに問題をかかるものだという事を今まさに実感している。
だが、逃げる事もできないので、ひたすら耐えるしかない。
自分の母の事だから、やむを得ないとも思うが、それでも限界は何れ訪れる。
今の私はまさにそんな危険なバランスの中にある。