ブラックフライデーは安いかもしれないが、必要がないものを買う必要は無い。
欲しいと必要は違う
Amazonのブラックフライデーが本日終了する。
当Blogでも、nasneに接続するHDDの話をしたりもしたが、結局は何も買わずブラックフライデーを終了するだろう事の運びとなった。
欲しい者がないのか? と言われれば欲しいものはある。
だが、必要なモノかとなると本当に必要かどうかは結構微妙なものである。
あれば便利、と思えるものであっても、その度合いによっては必要という領域に到達しない場合もある。そうなれば、購入しなくても結局は何とかなるもので、購入したなら多少は楽にはなるかもしれないが、結局は使わなくなる可能性もなくはない。
物事はとてもシンプルで、便利になるからと言っても、そこにひと手間が入ることで結局使わなくなるなんて事が多々ある。つまり、使えば便利かもしれないが、それは必要なものというのとは違うという事である。
そう考えた時、結局ブラックフライデーで購入するものはあれば便利かもしれないが、必須のものではない、というものが圧倒的に多いと気づいた。
なので、とりあえず今回のブラックフライデーでは今まで購入した以上のものを購入するという事を辞めた。
私以外の必要なもの
母の介護に必要なもので、まだ買わねばならないものがあればと思ったが、それも大凡一段落した感じであった。介護に必要なモノは、そのほとんどが消耗品である事が多く、恒久的に使えるものは案外と少ない。
先日、体位変換クッションと食事介助用のグリップを購入したが、これはタイミングがあまりよくなかった。ブラックフライデーの今の時期に当たっていれば、多少安く買えたかもしれないが、結局母の退院に合わせて必要になったので、時期が合わなかった。
なので、ブラックフライデーのこの時期に購入が必要というアイテムがあれば良いが、結果的に何一つ合わなかったという事になる。
うーん、残念。
セールの在り方
最近、セールに固定的な名称が付くことが多いと思う。
ブラックフライデーも、元々日本にあったようなイベント的セールではなかったと思う。
というか、こういった特徴的な名称のセールが最近はいろいろと増えたように思う。
単純に安いセールが行われる事は嬉しいとは思うが、そういうセールが行われる事によって買い物をする時期が固定されていくような感じがして、それはそれで何か違うような…という違和感を感じる。
生活がセール時期に左右されているような気がして…というほど、セールでモノを買っていないのだが、そうする事が賢い生活の仕方というイメージが、世間的にあるように思えてならない。
もちろん、賢く買い物ができるという事は、それができないよりは良いのではないかとも思うが、逆を言えば販売店に消費者が流されているような気がするのである。
こうしたセールに生活を左右するぐらいの影響力があるのは、もちろん情報発信が容易になった現代らしさから来るモノと思うが、日本人そのものが貧困になってきたから、セールというものに依存していくしかないという今の世の中を反映しているように思えてならない。
セールを利用して賢く生きるという事と、情報の広がりが早いという事、今の世の中の世相が見事に組み合わさって、今のような状況が作られている…本当にこんな世の中で良いのだろうか?
ま、実際稼ぎが良い人からすると、別にセールに依存しないといけないという事はないのだろうから、私の様な生活をしている人限定なのかもしれないが、世の中、セールを上手く利用するような風潮が強くなったな、と最近感じる。
この流れ、最近新NISAとかでもよくみるパターンだな、と思ったのはここだけの話である。