正味3週間の入院。
病院からの連絡
昨日、夕方ごろに病院から電話が来ていたのだが、私の都合で電話に出る事ができず、対応できるようになったのが夕方過ぎだった事からその日はそのままとなり、本日になって改めて病院より電話がかかってきた。
内容はというと、担当看護師からの電話で、医師の許可が出たので退院できるようになった、という連絡だった。
毎回、母の退院に際しては、退院後のケアとして介護関係者が集まってカンファレンスを実施するのだが、今回の入院の経緯やその後の対応が前回の対策と変わらないという事で、今回の退院時にはカンファレンスは不要という事であった。
ま、前回が昨年11月の話だったので、約3ヶ月前の事と言う事もあり、母の容体そのものは変わりが無いという事なのだろう。
問題はいつ退院させるか、という事なのだが…あまり長居させるのも良くはないので、今週末の土曜日、つまり16日に退院という形にした。
即日退院でもよかったのだが、受け入れる側の都合などもあるので、それを整えるには2~3日は必要だろうと考え、16日退院とした。
そう、受け入れ体制を整えるという意味では、我が家も同じなのである。
3週間の解放
母が帰ってくる。
この事で、一番受け入れ体制の再構築が必要なのは、何よりも私なのである。
母が入院してから約3週間、私は母の面倒を見ずに生活していたので、その生活が私中心のスタイルへと変化していた。
自分の面倒しかみないでよかったこの3週間と異なり、母が帰ってくるとなると、その生活は母中心のものに鳴らざるを得ないし、何より私の生活負荷はぐんと上がる。
自宅に母を一人残しても問題がないように、その体制作りはしてあるものの、季節毎に変化させる必要のある部分もあり、この3月~5月くらいの間は、その調整がかなり難しい。その調整をしながら、かつ私の体を以前のルーティーンに戻す必要があるので、それが思っている以上に大変なのである。
また、母が戻ってくるとなると、その食事に関しても以前の形に戻す必要がある。
母の食事の7割を私が作り、残り1品をヘルパーさんに補助してもらっているのだが、母が戻ってきた直後にはヘルパーさんの1品はないわけで、それをどう補うかを考えねばならない。
…料理をロクに作れない私からすると、こういうのが地味にキツイのである。
とりあえず、まずは自分の体を介護モード戻し、やるべき活動を思い出し、それらが実施できる状態・体制にする事が必要となる。
コミュニケーションの難しさ
母が失語症となってから、これで1年が経過した。
こちらの言っている事は分かっているようなので、こちらの言いたい事は伝わっているようだが、問題は母が言いたいことをどれだけ聞き入れられるか? という事である。
これはこの1年の試行錯誤で、いろいろ見えてきてはいるものの、それでもいざその時になると言いたいことが分からない、といった事が多発した。
特に腹痛を訴えていた時、私は結局それが分からずにいて、足の痛みを訴えていると勘違いしていた。
ジェスチャーである程度の事はわかるものの、体を完全に動かせない母のジェスチャーでは、痛みのある部分を特定する事すら困難になる。
このような事態になった時の事を自分に当てはめて考えると、とてつもなく恐ろしい。
自分が腹痛で苦しい時、自分の体もロクに動かせずに必死に訴えても理解されず、痛みだけがひたすら続く…実に恐ろしい事である。
自分の体が動かせる時はまだいい。母はベッドから動くことができずにいるので、自分窮地を正確に伝えられない時点で、ささいな事が大事になってしまうのである。
今回の母の入院はまさにこのコミュニケーションの問題から始まった。
退院してくる今、この問題をどうやって解決するか、もっと考える必要がある。
人の痛みがわからないという事は、何と難しい事か…。