母の介護をしていると、母の食事にいろいろな問題が出てくる。
食の問題
母の介護を始めて2年が経過し、日常生活のルーティーンも大凡の形が出来た感じはあるが、それで全てが解決するわけではない。
何故なら、要介護者の母の容体は常に一定というわけではないので、突然起きる問題へ常に対応して行かねばならない。
また、歳を重ねれば弱る部分もあれば不都合が生まれるところもある。
母の場合、段々喉が細くなり、食べられるものにいろいろな制限が増えてきた事で、最近は食事に問題が出始めている。
以前から、きざみ食でもちょっと大きな食材が入っていると、それを飲み込む事ができないといった問題は出ていた。
最近はその流れが顕著に表れ、とろみをつけたものでも粘度が高ければ喉の通りが悪く、飲み込むのに相当苦しそうになる。
それでいて食事は毎日だから、徐々に食べられるものが限られてしまう。
私が料理好きで腕に覚えのある者なら、母が食べられる料理を考えて作る事もできるかもしれないが、こと日常生活が破綻していた私である。そんな事ができようはずもなく、母には毎日同じようなメニューを食べて貰うという、ある意味配慮の足りない食事を出さざるを得ない状況になっていた。
だが、それが当然よくない事はわかっている。
私だって毎回同じメニューだと飽きてくるし、マンネリ化する事はわかっている。
なので、なんとか味を変化させるために、今までとは違う食事を考えたい。
以前からそんな事を考えていた。
レシピ通りというワケにはいかない
液体要素の強い食事は、逆に食べにくいという事を知っている。
口元からこぼす確率が高くなり、本人もこぼす度にイヤな思いをしてしまう。ある意味逆効果だ。
なので、粘度がそこそこあり、それでいて飲み込めるものが理想的である。
というわけで、長い間母には麻婆豆腐を食べて貰っていた。
レトルトであとは豆腐とちょっとした食材を入れれば作れるという手軽さが魅力なので、そればかり作っていた。母は既に挽肉を食べる事も困難な様子なので、肉類のタンパク質は別のもので補うとし、麻婆豆腐はレトルトの素と豆腐がメインになる。
だが、これを毎日食べれば、当然だが飽きてくる。
違うメニューが欲しいが、この麻婆豆腐のような食感のものなら、問題なく食べられる。
ではそんな条件を持つ他のメニューに何があるのか?
いろいろ考えてみたが、とろみの強いクリームシチューなら中に入れる具材の調整で行けるかもしれない。そう考えた。
だが、そもそものクリームシチューは、ジャガイモや人参などがゴロゴロ入っているのが常だ。しかし、母は当然そうしたものが食べられない。
なので、入れる野菜はペースト状に近い形にするか、限りなく小さいきざみ野菜にするしかない。
そうなると、ネットなどでみかけるレシピで作る事はできない。場合によって、独自のアレンジやさじかげんが必要になってしまう。
これが、料理のできない私にとってとても大きな壁になる。
だが、その壁にひるんでいては母の食事にバリエーションは生まれない。
というワケで、半ば実験のようにして、母が食べられるクリームシチューを作ってみる事にした。
料理のできない私にとっては、とても大きな一歩であり、また冒険である。
味は良いのだが…
で、考えたのは、市販のクリームシチューの粉末状のルーときざみ野菜の組合せである。
人参とタマネギ、ジャガイモをミキサーで極小のきざみ野菜にし、まずそれを炒め、炒め終わったら水を入れて煮込み、クリームシチューの素を混ぜ込んでいくのである。
だが、このアイディアは初期の段階でまず躓く。
ジャガイモをミキサーで挽くと、ポテトサラダのようなペースト状になってしまうのである。
人参やタマネギはそこそこきざみ野菜になったが、これにポテトサラダ風のジャガイモを混ぜ込み、炒めても、いわゆる炒め物のようなものにならないのである。
だが、ある程度油と混ぜる事はできるので、強引に混ぜ込んでいく。
次に水を入れ、ある程度煮込んで人参やタマネギを柔らかく煮込む。ジャガイモは水分を粘度の高いものにする要素になっていくので、シチューらしさは生まれるが、もう炒めた野菜の体裁にはならない。
それで15分ほど煮込むと、水分も蒸発し、いろいろドロドロな見た目に変化する。ここにクリームシチューの素を入れ込んでいくと、さらに固形に近づいていくので、見た目はもう人参の赤みを帯びたジャガイモのペースト状のものである。
最終的にこれに牛乳を幾分か入れて、シチュー状のものを作って完成である。
味見してみたが…クリームシチューの味にはなっていたので、とりあえおずはこれで母には受け入れて貰えるだろうとは思う。
冷やすと固まる
つくった直後はそのまま母に食事として出しても問題はないのだが、これを幾分からの食事の分として冷蔵庫保管すると、固まってしまう。
よって次回から母に提供する場合は、これに水を入れて水分を含ませ、シチュー状にして温めて提供する事になる。
だが、母はこんな杜撰な作りのものであっても、よころんで食べてくれた。今までと違う味が口に入ったので、うれしかったのかもしれない。
救われた気分にもなったが、こんなものしか作れない自分が情けなくも思えた。
インスタント食品がそこかしこにある現代であっても、それらは健常者向けの食事である。
食に難を抱えた人が食すとなると、工夫も必要ならある程度の腕も必要になってくる。
今回の事で、思い悩むよりはやってみる事が重要だという事も理解したが、それ以上に確かに料理の知識とアレンジ力が必要だと感じた。
果たして、これから先、私はまだ違う料理を作ることはできるのだろうか?
とてできるとは思えないほどに、残念でならない。
というわけで、料理できない人ががんばってみた。
そして出来上がったものは、なんとも中途半端なものである。
残念極まりないこの状況、私にどうにかできるのだろうか?